一人暮らしなのにわが家は”物”に溢れています。

相当減らしたはずなのに未だに一番多いのが本。そして服や食器。

日々、なんとか物を減らそうと努めているのですが、気がつくと”知らない”間に増えています。

その度に「なんでニンゲンはこんなに物が必要なんだろう?」と不思議な気持ちになります。

朝起きると歯ブラシ、顔を洗うとタオル、うがいをするコップ、料理をするのに鍋釜、包丁、まな板、菜箸、お玉などなど。食事をするにもお箸やカトラリー、お皿やお茶碗、湯のみだ、カップだ、掃除をするには掃除機、洗濯は洗濯機、ああ、なんとなんと、改めて数えていくと気が遠くなるほどの”物”で日々の生活が成り立っているのです。

 

 

動物はな~んも持ってません。

子供を作るときの巣作りのときはその辺で適当に見繕って、実に上手に巣作りをしますが、毎日の生活に”物”はいっさい必要ありません。

近所に棲息している烏や鳩を見ているとつくづく「あなた方はな~んも持ってなくて、いつも身軽でいいね~」と思ってしまいます。

 

思えば若いときは無性にいろんなものが欲しかった。

が、最近は以前のように積極的に欲しい!と思うものが無くなってきました。

マタイによる福音書(6・25-34)に「空の鳥を見よ。蒔きも、刈りも、倉に納めもせぬに、天の父はそれを養われる。(~省略)野の百合がどうして育つのかを見よ。

苦労もせず紡ぎもせぬ」というイエスさまの言葉があります。

そうなんですよね。

この教えに従順になればなるほど、必要なものは必要なときに手に入るということをますますリアルに体験させてもらえるようになりました。。

 

 

初めに記したようにニンゲンだけが肉体という”物”を維持していくためには、太古より道具、即ち”物”が必要です。

しかし現在の状況は初めは必然であった”物”が、やがてはあって当たり前、さらには不必要であっても、もっともっとになってしまいました。

その結果、今の地球は物で溢れ帰り、環境汚染に歯止めが利かず、危険な廃棄物だらけ、と実に凄まじい様相を呈しています。

 

30年ほど前のある夏に冷蔵庫が壊れたときに「冷蔵庫なしで私は果たしてどれくらい耐えられるのか」という実験的遊び心が起こり、その夏から秋にかけてまったく冷蔵庫無しで過ごしたことがありますが、いやはや大変でした。

材料の買い置きも出来ず、おかずや頂いた冷蔵が必要なお菓子もその日に食べないといけません。

あまりに大変なので床下に放置していたアイスボックスを使いましたが、大して役には立たず、とうとう諦めて秋風が吹く頃に新しい冷蔵庫を購入したのですが、それが届いたときの歓びたるや、初めて電灯の光を目にした人も如何やと思えるほどの歓びでした。冷えた麦茶や西瓜がどれほどありがたいものかと思い至りました。

現在テレビは不必要なので持っていませんが、私には冷蔵庫も洗濯機も掃除機も必要です。冷蔵庫事件以後は使うたびにみなさんに「ありがとう」と言って使っています。

 

 

ニンゲンは物無しには生きていけないのですから、”物”を持つことは悪いことではないと思っています。必要な物は必要です。他人が無駄だと思っても自分にとって必要な物は必要です。ストイックになり過ぎることはストレスになります。

本当に自分にとって必要か否か、それさえハッキリしていれば”物”を持つことを拒否することはないと思います。

ただ大事なことは、”物”を持つときにそれへの必要性と愛情を見極められる”意志”をしっかりと”持つ”ことだと思います。

そしてもっと大切なことは、”物”を持っていようがいまいがそれに心を煩わされること無く、日々意識の”断捨離”でいつも心が軽やかであることだと思っています。

 

4/19~25のお告げ

SPIRIT OF AIR

空気のスピリット

 

普段気にも止めていないことに積極的に意識を向けるようにする週にして下さい。

空気がなかったら、私たちは生きられません。

でも、普段は空気のことなど考えたこともなく、また感謝をすることもありません。

空気のみならず、まったく意識することなく当たり前になってしまっていることにはどうしても無頓着になってしまいます。

 

些細なことは実は大切なことです。

大事なこと、些細なことの基準は人それぞれですが、自分が些細なことだと思っていることに意識を向けることで、ビックリするような発見がある場合が多々あります。

今週はまわりの声、気配、匂い、景色、そして口にするものなどに普段以上にに敏感であって下さい。

子供やペットのいる人は、彼らの表情やつぶやきに真摯な気持ちで向き合う。

コップ一杯の水を口にするときに、その味を全身で感じ取る。

お風呂に入っているときは、入浴していることを真剣に体感する。

なにげなく手にしたなにかをジックリと観察する。

など、今までであればなにげなく行っていたことに対して、ある意味で儀式的な厳粛さを持って対応してみて下さい。

 

そのような日常的な些細なことに対して敏感になることで、頭の中のモヤモヤがスッキリと消え失せ、心がとても軽くなっていきます。

日常の一瞬一瞬に誠意を持って真摯に向き合うことが心を軽やかにしていく秘訣なのです。心が軽やかになれば自分にとって本当に必要な”物事”が自然に起こり、難なく手にすることが可能になるのです。

 

※来週のお告げは都合により、お休みさせて頂きます。

”予言”シリーズ、全巻読み終えました。

今週のお告げとシンクロするあるページの内容が印象に残っています。

少々、長くなりますが本書89ページからの抜粋です。

 

<~現代においては、私たちは自分が得になるようにという強迫的なあせりから、真実を曲げることに慣れきっているのだ。さらに政治的な目的を達成するために、あらゆる嘘を使ってきた。だから、目覚め始めると、腐敗や貪欲がそこら中に見えるようになる、しかし、知っていると思うが、意識のレベルが高くなると嘘や偏見は一切許されなくなる。真実の法則は絶対なのだ。もし、自分の気づきの範囲で正直でなかったら、みんなを傷つけることになるからね。エネルギーレベルが落ちて、物が明晰に見えなくなってしまうために、まず自分自身を傷つける。そして、真実と肯定的な影響を与えることができなくなるために、他の人たちを傷つけるのだ>

 

”嘘”という字は”口に虚しい”と書きますが、まさしく”嘘”は虚しいです。

かの哲人カントも「嘘は絶対にいかん!」と言ってます。

うちのバアちゃんも「嘘ついたら閻魔さんに舌、抜かれるで!」と喚いてましたし、

とにかく、嘘はいかんのです。

 

”嘘も方便”などという諺があります。

方便とは仏教用語で衆生を真の教えに導くために用いる仮の便宜的手段だそうですが、このような仏教用語とブレンドすることで、この諺は「生きていくためには時として”嘘”も必要なのさ」と嘘をつくことを正当化してしまっているように思います。

しかし私が思うには理由はどうであれ、やはり”嘘”はイカンのです。

嘘はどうひっくり返っても正当化できません。

嘘は嘘です。

 

では、あーたは嘘をついたことはないのかえ?

と言われると、ほぼないです!

でも、ン十年も生きてきたので、やはりどこかでちょっとした嘘はついたかも知れませんが、嘘をつくと気持ちが悪いし、嘘が下手なのですぐにバレるし、辻褄合わせが面倒なので嘘をつくより本音を言ったほうが楽でした。

おかげで随分と友達を失くしましたが・・・。

最近は年の功&経験値アップの賜物でやっと上手に本音を伝えられるようにはなりました。

 

 

以前に鑑定のクライアントから恋愛相談を受けたときのこと。

「この彼とうまくいくでしょうか?」

彼女からの話を総合し、相手側の態度を鑑みても「多分、無理!」。

しかし、彼女は”嘘”でもいいから「うまく行きますよ」と言って欲しそうな様子。

そんなときに正直者の私がどうしたかと言えば、若いときはなんの屈託もなく平気でいきなり「無理です」と言っていたのですが、数多の失敗を経てやっと分別のついたそのころあたりからは「うまく行くも行かないも、ご縁次第です。相手の態度がどうであれ好きなのであればあなたがそれで善しとできるかどうかです」。

クライアントはトーゼン、不服そうなのですが、嘘はつけないし、これが私の本音なので一貫してこれで通しました。

結局は彼女のひとり相撲で終わったんですけどね。

少なくとも嘘はつかず、はっきり言って傷つけることもなく、本音で対応できた私っていいじゃん!と思えた過ぎし日の一頁です。

 

本音で生きることはなかなかに至難の業なのかも知れません。

が、これからも私はどんなに些細なことにも自分に嘘をつかずに生きていこうと思います。

 

4/12~18のお告げ

TALKING STICK

トーキングスティック

 

今週は徹底的に”本音”で過ごして下さい。

どんなに些細なことに対しても決して曖昧にしたり、自分の気持ちを偽ることなく明確に本音で対応することです。

例えば食事に行き、なにが食べたい?と聞かれたら『なんでもいい」とか「同じ物で」ではなく、自分が本当に口にしたいものを伝えることが大事です。

 

直感力、および直観力を鍛える最良の方法は常に”本音”を生きることです。

なんであれビジョンをクリアーにしてそれを実行していく習慣を身につけると、直感力と直観力は自然にグレードアップし、さらにはより良いシンクロニシティが頻繁に起こるようになります。

 

グッドタイミングでのシンクロが起こってくると、頭であれこれと思案することなくすべての物事が面白いようにスムーズに流れて行きます。

自分の気持ちを偽ったり曖昧にしたままにしておくと不必要な不安感や寂寞感、恐怖心に苛まれます。

気持ちを偽るということは意味のない拘りがそうさせるのです。

例えば出世がしたいという拘りがあれば、上司やクライアントに対し言いたくもないお追従を言ったり、哀しくなるようなことをしたりと無駄にエネルギーを消耗させてしまいます。

自分が本当に出世を願っているのかどうかを、しっかりと自分に問うことでまったく異なる視点に気づけるはずです。

本当は出世などになんら興味はないかも知れません。

そう思わなければいけない”なにか”を見極めることが大事なことなのです。

 

今週は嘘、偽りのない真摯な気持ちで自分の拘りを観察し、自分の”本音”をすべてさらけ出す週として下さい。

 

 

なにか新しいことを始める前に「自信がないから・・・」という人がいます。

自信がないとは、直訳すれば自分を信じられないということですが、では信じるとはどういうことなのかと広辞苑を紐解けば

ん・じる【信じる】

 〘他上一〙 

❶ 少しの疑いも持たずにそのことが本当であると思う。

「神は存在すると━」

「霊魂の不滅を━」

「従来の学説を━・じて疑わない」

❷ 自分の考えや判断が確実であると思う。確信する。

「僕は彼がきっと来ると固く━・じている」

「彼女の成功を━」

❸ 相手のことばや人柄に偽りがないものと思う。信用する。信頼する。

「私を━・じてついてきなさい」

「もう誰も━・じられない」

❹ 信仰する。信心する。~に帰依きえする。

「仏教を篤あつく━」

◆①②⇔疑う

=信ずる

関連語

大分類∥思う∥おもう

中分類∥信じる∥しんじる

明鏡国語辞典 ページ 3107 での【信じる】単語。

 

とありました。信じるのはなかなか大変です。

 

 

以前に「頭では解っているんだけど・・・」というときは解ってないということです、と書いたことがありますが、信じることは頭で解ることではありません。

言葉にするとなんとなく解ったような気になるだけで、本当はなにも解っていないのです。解らないことは信じられません。解るというのはこれまたいつも言っていることなのですが「腑に落ちる」、即ち言葉ではなく体感的に納得することです。

 

長年、たくさんの犬猫と生活してきました。

彼らとの関係性には言葉で納得させるという行為は成り立ちません。

私は烏や蜂、蟻などとも時折コミュニケーションをすることがありますが、やはり言葉は役に立ちません。

すべてイメージでのコミュニケーションです。

イメージは誤摩化せません。

動物やニンゲンの小さな子どもはいくら『可愛いね」とか「よゐこだね」と言葉を羅列しても本心からでなければ彼らはすぐに見抜きます。

彼らのセンサーは実に素晴らしい!

 

 

頭で解ったつもりになることを続けていると、徐々に自分のことが解らなくなってきます。自分は一体どうすれば良いのか?私は本当にこれを手に入れたいのか?こうするべきなのか、ああするべきなのか?ああ~~、わからんので誰かに聞いてみよう、解るためにはもっと情報を集めなければ!、より多くの意見を収集し自分にとって最も良さげな選択をしなくては、とかとかとか・・・。

で、結論としてあれこれと頭で思案しているうちに多くのことに対して”自信”がなくなってくるわけですね。

 

私は元々、人の言うことをほとんど聞かない質(たち)で、おかげさまで失敗も多かったですが、失敗を重ねるうちに自信だけはたっぷり持てました。

自分から積極的に行動するときも、誰かから薦められた場合も面白そうであれば、新しいことを始めるときに「自信がない」と思ったことはまったくなく、というか自信だなんだかだと思うことすらなく、取りあえずはやってみるかぁという感じで今まで来ました。

後先のみならずまわりの状況も顧みない猪突猛進型故に、今から回顧すれば顔から火が出るような恥ずかしい状況に何度も陥ったことも多々ありましたが、与えられた機会はすべて私にとっての必然体験なのだ!と妙な自信でどんどん体験してきました。

 

新しいことに対して成功するなどという自信は元々あるものではありません。

”行為すること”そのものが”自信”になるのです。

 

またまた犬猫の話になりますが、私は彼らのおかげで”頭”で思案するということが時として実に無駄なことなんだよなぁ、と思えるようになりました。

彼らは瞬時にしてすべての状況判断ができます。

言葉ではなく直感と直観を駆使し、それを信じて行動します。

まさしく”自信”満々なのです。

私の”自信過剰”は彼らのおかげで、さらに磨きをかけてもらえたように思います。

今後もなにがあろうと新しいことを楽しめる”自信満々人生”を送って参ります!

 

※わが家のあふを譲って下さった動物ボランティア”猫の味方ネットワーク”さんのブログとHPです。興味をお持ち下さった方はぜひご覧頂ければと思います。

ブログアドレス

https://ameblo.jp/nekonomikata/entry-12666549511.html

HPアドレス

https://nekomi60.web.fc2.com/

 

4/5~11のお告げ

SONG OF THE WILD

荒野の歌

 

今週は新しいことにチャレンジする週にして下さい。

それぞれの人に新しい展望が開けてきています。

そのチャンスを活かすも殺すも自分次第です。

なにかを始める前に自信は必要ありません。

まずは面白そうか、そうでなさそうか、その感覚だけを頼りとして、とにかく行動することが大切です。

子供が遊ぶことそのものを楽しむ感覚です。

 

自分の裡に眠っているパッションを呼び覚ますときです。

これを読んでいるあなたの意識は無限大に拡大していっています。

今まで慣れ親しんできたやり方を180度変えてみて下さい。

 

想念がすべての物事を形作ります。

自分で自分の限界を作り上げないことです。

あなたの意識は宇宙レベルです。

だれかやなにかを傷つけない限り、あなたが思いつくすべてが実現可能なことなのです。

人間関係がうまく行っていないとすれば関係そのものを見直し、手放すべきことを躊躇せずに手放して下さい。

必ず、はるかに素晴らしい人間関係が起こってきます。

物や意識に関わらず欲しいものがあれば、それ持っている自分をイメージして下さい。それが必要であればすぐに手にすることができるはずです。

新しいことに挑戦することを恐れないで下さい。

新しい考えを受け入れることをためらわないで下さい。

 

荒野の呼び声に耳を澄まして下さい。

リスクを考えずに、自信を持って自分の境界線を越える週にして下さい。