先週、友人に誘われて北海道神宮に桜を愛でに行きました。
実に20年以上振りにやっと桜を愉しめるようになりました。
と言うのは、1998年の桜のころに愛犬を亡くし、以来桜を目にすると胸が詰まって涙腺がいきなり弱るというトラウマのため、できるだけ桜を見ないようにしてきました。
桃太郎という名前でピンク色のイメージのワンコでだったので、桃色の桜の花色が余計に哀しみに拍車をかけるのです。
でも今回、本当に久しぶりに桜を目の当たりにすることができ、さらになんと美しいと思えるようになりました。
誘って下さった友人に大感謝です!
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桃太郎クン
夕方に行ったのですが人影がほとんどなく、参道の両サイドに並んでいる灯籠に明かりが入り、実に幻想的で”幽玄”という言葉はこういう状況を言うんだ!と心底から感動しました。
坂口安吾の短編にかなり残酷で幻想的内容の「満開の桜の下」という作品がありますが、私に取って桜は幻想的です。それ故、桜にはトワイライトゾーンがピッタリだと思います。
私もできれば桜の花びらにまみれてあちらの世界に旅立ちたい!
5年前に伴侶を亡くし、彼の遺言を叶えるべく彼が好きだったゆかりの地10カ所ほどに5月ころから半年以上をかけて遺骨を散骨したのですが、自分の桜の花びらまみれになって息絶えたいという思いを我が伴侶に託すべく、北海道神宮の桜の木の下にも散骨しました。
遺灰は真っ白で目立つので、雪のシーズンに蒔いたのですが、翌年の春もやはり桜を見る気になれず、今回やっと参ってあげることができました。
生前からお互いに「死んでも墓に入れられるのはいややよな~」と言っていたのですが、我が伴侶は「ヒンズー教に改宗したら鳥喪らしいから、そうしようかな~」と真剣に申しておりました。
「だれが死体を山に運んで、バラバラにするのん?」
「あんたやん」
絶対にいやですよね。
ならば彼の想いに近いのは散骨しかない!
そう確信し、遺灰を大阪は堺市(生誕の地の近所の履中天皇陵に)とオフィスのあった大阪北浜の堂島川に、東京は日大の校庭と住まいの近くの大宮八幡宮に、北海道は支笏湖、忍路、モエレ沼、藻岩山、そして北海道神宮と、水用陸用の遺灰を10ほど作ってもらい、肉体という衣を脱ぎ捨て自由無礙に動き回れる霊界への門出を祝って、勢い良く蒔きまくりました!
肉体という霊の神殿を大切にするのは当たり前ですが、霊が去ったあとは言わば抜け殻です。それなりの礼を尽くして、あとはこちらで一緒だったときの良い思い出を大事にした霊的交流をすることが最良の供養だと信じています。
地球という美しい星に肉体という霊の乗り物を頂き、あらゆる体験を重ねしんどいことも含め人生を目一杯愉しむことが人類のミッションです。
自縄自縛に囚われず、心を100%自由に解き放ち、一瞬一瞬を満喫する人生でありたいものです。
5/10~16のお告げ
GRANDMOTHER EARTH
グランドマザーの大地
先週のお告げはグランドファーザーの空でしたが、今週はグランドマザーの大地。
先週のイマジネーション能力を高めることがテーマでしたが、今週はグランディングがテーマです。
現在の世界的世情はコロナ渦のせいで実に不安定です。
私たちは想像を絶する状況に追い込まれています
今までは当たり前であったことが、どんどんとそうではなくなってきています。
非日常が日常となり、それに順応していくことがとても困難な人たちがますます増えてきています。
この状況を悲観的に捉えるのか楽観的に捉えるのか、視点が少し異なるだけで物事は大きく異なってきます。
私達人類はなんのためにこの世に生を受けたのか?
私は誰なのか?
こんなときだからこそ自分の人生をじっくりと見つめることが大切です。
産業革命以来、あまりにも人類は生き急いできました。
1962年に出版されたレイチェル・カーソンの「沈黙の春」で、すでに警鐘が鳴らされていたにも関わらず人類の傲慢さは留まるところを知らず、ますます酷い状況に陥いり今に至ります。
しかし今回のコロナ渦で人の営みが穏やかにならざるを得ない状況の中で、自然は元気を取り戻してきています。
あれこれと色んなスローガンを掲げても、今まで人類は立ち止まることをしませんでした。
このような言い方は顰蹙ものかも知れませんが、今の状況は無理矢理にでも立ち止まらせなくては大変なことになるという大宇宙の愛だと思えます。
今私たちがしなければいけないことは揺るぎない大地をしっかりと感じ、心からの感謝の念を送ることです。
この大地があってこそ私達は存在していられるのだと言うことを忘れないことです。
















