フェミニズムと反証可能性 | 猫さんダイアリー♪(=^・^=)

猫さんダイアリー♪(=^・^=)

老人よ、大志を抱け!

フェミニズムと反証可能性

 

 

私は学がないので、「なんか変だな~」と思う事に、

適切な言葉を当てはめることができない。

先ほどネットでとても興味を引く記事があったので、

リンクと一部引用を無断でさせてもらいます。お願いお願い

 

日本が「"自称"民主主義国家」なのがよくわかる…ユダヤ人哲学者が見た、日本とナチスドイツの共通点

 

ポパーに話を戻そう。彼が強調した「反証可能性」という概念は、万人が心に銘記すべきものである。20世紀で最も重要な概念といえるかも知れない。

彼がいうには、科学は反証される可能性を残していなくては科学ではない。地球が太陽の周りを回っているというのは永遠の真理ではなく、今のところ正しいとされているだけのもので、いつかそれが反証される可能性があるからこそ、これを科学と呼ぶことができるというのである。

これを初めて耳にした時、なんでそんなことを言うのかと思ったが、今になってこれはすごい発見だったと思う。多くの人にとって科学とは真実として出来上がっているものなのに、ポパーは科学で重要なのは真実ではなく、真実と思われていることを虚偽として証明する可能性をもつことだと言っているのである。

「反証可能性」という概念は開かれた態度を導く。科学は開かれた態度でなくてはできないという思想がその背後にあるのだ。このことは、彼が必死になって擁護しようとした自由主義の理念と通じる。彼にとって、自由主義は満場一致の正反対であって、ある提案に対して反対意見が次から次へと出されることで保障されるものなのである。

たとえば町内会というものがある。日本中どこにもあるだろう。町内の住民が集まる会合である。ところが、たいていの町内会では議案が提出されても誰もこれに異議を唱えない。これでは会合を開く意味はない。しかし、異議を唱えないことが慣行になっているのだ。そういうわけで、会合は満場一致の拍手喝采で終わる。自称民主主義の基礎がこれであるとすれば、ポパーの出る幕はない。

それにしても、ポパーはどのようにして「反証可能性」なる概念を思いついたのか。

彼がウィーン生まれのユダヤ人であったことと関係するだろう。ヒトラー率いるナチスが勢力を増していくのを見て、彼はニュージーランドへ逃れた。

彼が恐れたのはなにより全体主義だった。団結を重んじ、反対意見を削除し、異分子を排除するシステムがドイツを支配し、その結果、ユダヤ人排斥となった。彼はそのようなシステムだけは許してはいけないと思ったのだ。それが彼の基本理念である「反証可能性」「開かれた社会」になったと思われる。

ポパーは科学哲学者として有名だが、会社経営に関心のある人ならドラッカーを知るべきだ。現代経営学の祖である。彼もポパーと同じくウィーン出身のユダヤ人。全体主義を嫌悪した点で2人は共通する。分野はちがえど、基本的価値観は同じだ。ポパーの本が難しいという人には、ドラッカーの本をお薦めする。日本で400万部も売れた本の著者だから、知っている人も多いだろう。

 

 

そうそう、「反証可能性」。いい言葉です。グッグッ

日本においては、「空気」を察することが最高の処世術とされます。

特に、先進国で流行っている"進歩的な思想"には、それに異議を唱えるだけでも、白い眼で見られる。キョロキョロ もし、カンボジア人がフェミニズムを提唱していたら、これだけの流行になっていただろうか? 私のように、『「女性党」を作って、女性みんなが投票したらいいじゃないか?』と至極真っ当な意見を言っても、抹殺されます。非国民扱い。えー

「反証可能性」を残しておかないと、社会科学じゃないと思うんだけど。。。

 

※フェミニズムなんてもう古いと言われるやもしれませんが、女性のブロ友さんの殆どが、この思想に共感しているので、これって変じゃないの?と思うのであります。