歌誌「かばん」六月号に「クビレと摩擦」という文章を寄稿しております。
「できる連作」という特集内にお招ばれして書いたのですが、ベースになっているのは以前このブログに書いた連作論です。編集人の鈴木有機さんがここを読んで、この続きを是非にと依頼して下さったという経緯です。
現時点で私が描けるところの、あるべき連作のイメージは言葉足らずながら輪郭くらいは示せたのではと思いますので、読める方は、ほかの錚々たる皆さんの文章だけじゃなく私のも読んでね。
私もこれから他の方の連作論を読んでしばし黙考します。
今ふと思ったけど短歌の連作ってゼノンの矢みたいですよね。
それは今思ったことなので「クビレと摩擦」には書いてませんが、書いたことにつなげて言うと〈秀歌的価値観〉ってのはたぶんゼノンのパラドックスへの道なんだな。〈連作的価値観〉はそこから脱出する方法なんですよ。
購読されてない方、「かばん」はたしか神田の東京堂書店などでも売ってたと思います。
それか下記のサイトからお問合せするのもいいかもしれませんよ。
かばんWEB
http://www.kaban-tanka.jp/index.html
某誌新人賞に応募。いわゆる短歌総合誌の新人賞に出すのはひさしぶり。たぶん五年ぶりくらいと思います。歌葉に出すようになってから他に出してないので。
ちかごろ量産できるようになってる、というか連作的に大量につくって大量にボツにすることにためらいがなくなってる、ことが幸いしたと思います。以前は量産に題詠イベント等ネットのチカラを借りてたから、未発表で数十首そろえるなんて無理な話だったわけです(歌葉新人賞はネット既発表可だった)。
そういう作り方の変化にともなう作風の変化以外に、いわゆる「ネット短歌」っぽさを抑えて歌壇寄りな歌をつくろうと戦略を立てたけど、単に下手糞な歌ができるのであきらめました。
応募とはべつに、依頼をいただいて書いた短歌や短歌についての文章(どちらも今月中くらいに出ると思う)に使ってた脳をそのまま連作作りに引き継げたのも幸い。
その前にはネット歌会で短歌を読んだり考えてたことも幸いしてるし、うまいこと去年の歌葉選考会と『七月の心臓』批評会あたりから切れずにつながってきてる気がしますね。
つながってるというわりに更新は滞ってますが、短歌のことを短歌の中で考えてる、という状態のときはあまり言葉が外に出てこないんですよね。
きっかけがあればどどっと溢れますが(歌会の評とか)。
そういえば最近岡井隆さんの『E/T』を読んだ。
岡井さんの歌について何か言える準備はありませんが、この歌集は本としてとてもいいものだと思いました。読むにふさわしい速度をレイアウトがさりげなくおしえてくれるというか。
短歌って歌集一冊(あるいは一頁や一首)ごとに読み方を見つけなきゃいけない、みたいなとこがあると思うけど、そこが速度に関しては本としてクリアされてる、というのはかなり重要なことなんじゃないかと思いましたね。
読者がふだん本を読むのとは違う、少し無理な短歌読みの姿勢をとらなきゃならない場合が、歌集にはママあると思うんです。短歌は特殊な日本語だから(文語や旧かなじゃない場合も含めて)。
この本はそういう無理を強いず読者を自然に歌に向き合わせる、すごく神経の行き届いたデザインがなされてると思う。
短歌を関係者の内輪から外に出す、ってこういうことじゃなかろうか。
ちかごろ量産できるようになってる、というか連作的に大量につくって大量にボツにすることにためらいがなくなってる、ことが幸いしたと思います。以前は量産に題詠イベント等ネットのチカラを借りてたから、未発表で数十首そろえるなんて無理な話だったわけです(歌葉新人賞はネット既発表可だった)。
そういう作り方の変化にともなう作風の変化以外に、いわゆる「ネット短歌」っぽさを抑えて歌壇寄りな歌をつくろうと戦略を立てたけど、単に下手糞な歌ができるのであきらめました。
応募とはべつに、依頼をいただいて書いた短歌や短歌についての文章(どちらも今月中くらいに出ると思う)に使ってた脳をそのまま連作作りに引き継げたのも幸い。
その前にはネット歌会で短歌を読んだり考えてたことも幸いしてるし、うまいこと去年の歌葉選考会と『七月の心臓』批評会あたりから切れずにつながってきてる気がしますね。
つながってるというわりに更新は滞ってますが、短歌のことを短歌の中で考えてる、という状態のときはあまり言葉が外に出てこないんですよね。
きっかけがあればどどっと溢れますが(歌会の評とか)。
そういえば最近岡井隆さんの『E/T』を読んだ。
岡井さんの歌について何か言える準備はありませんが、この歌集は本としてとてもいいものだと思いました。読むにふさわしい速度をレイアウトがさりげなくおしえてくれるというか。
短歌って歌集一冊(あるいは一頁や一首)ごとに読み方を見つけなきゃいけない、みたいなとこがあると思うけど、そこが速度に関しては本としてクリアされてる、というのはかなり重要なことなんじゃないかと思いましたね。
読者がふだん本を読むのとは違う、少し無理な短歌読みの姿勢をとらなきゃならない場合が、歌集にはママあると思うんです。短歌は特殊な日本語だから(文語や旧かなじゃない場合も含めて)。
この本はそういう無理を強いず読者を自然に歌に向き合わせる、すごく神経の行き届いたデザインがなされてると思う。
短歌を関係者の内輪から外に出す、ってこういうことじゃなかろうか。
これはあんまり論証する気のない思いつきだけど(だいたい私の書くことはみんなそうだが)、口語短歌は圧縮された情報を読者が解凍して読み取るときの鍵が、歌の内容に隠されてる(のかどうか分からないけど、とにかく歌の内容にそれがある)場合が多いのではなかろうか。
読者はまず意味内容を読みにいってそこから鍵を見つけてくる、ということですね。
だから短歌をかなり読み慣れてる人でも、その歌の内容にうまく反応できないと解凍に成功しない=正しく歌が読めないんじゃないかという気がする。
それは文語短歌が、なじみのない語彙や文法のハードルで読者を選ぶのとは違った意味で、けっこう読者を選ぶ性質のものかもしれない。
いいかえれば、文法や語彙をきちんと学習すれば誰でも情報が解凍できる=作品が鑑賞できる、という短歌の学校教育的な平等性のようなものがそこでは崩れるということですね。
そのあたりを直感的に嫌ってる人は短歌の世界にはけっこう多いのではないかな、と思いました。
読者はまず意味内容を読みにいってそこから鍵を見つけてくる、ということですね。
だから短歌をかなり読み慣れてる人でも、その歌の内容にうまく反応できないと解凍に成功しない=正しく歌が読めないんじゃないかという気がする。
それは文語短歌が、なじみのない語彙や文法のハードルで読者を選ぶのとは違った意味で、けっこう読者を選ぶ性質のものかもしれない。
いいかえれば、文法や語彙をきちんと学習すれば誰でも情報が解凍できる=作品が鑑賞できる、という短歌の学校教育的な平等性のようなものがそこでは崩れるということですね。
そのあたりを直感的に嫌ってる人は短歌の世界にはけっこう多いのではないかな、と思いました。
松木秀さんのブログで外山恒一東京都知事候補が、おととしの角川短歌賞の候補でもあったことを知っておどろく。
知ったときは何かすごくいやな予感がしたけど、実際作品を読んでみたら(http://www.warewaredan.com/contents/tanka.html)その予感はほぼ良いほうに裏切られたというか、なんていうかこう、落ち着きのあんまりない感じがいいんではないか。と思いましたね。
獄中(で作ったのか知らないけど設定は獄中)でしかも短歌の定型、という二重の監禁状態にありながら、たいして自分と向き合ってなさそうなところに好感が持てます。ちょっと枡野短歌っぽいリフレイン、を決めすぎてる歌とかはどうかと思いますけど。
外山氏の思想とか主張は昔からよく知らないし、興味もないけど、十五年ほど前この人の本読んでかなり影響受けたことがあるんです。教養コンプレックスのようなものから電撃的に解放されたというか…。
だからあんまりむごいものは見たくないな…と失礼ながら、読む前に身構えていたので、反動で評価が底上げされてる可能性はあります。だからちょっと時間おいてから読み返してみたいと思う。
知ったときは何かすごくいやな予感がしたけど、実際作品を読んでみたら(http://www.warewaredan.com/contents/tanka.html)その予感はほぼ良いほうに裏切られたというか、なんていうかこう、落ち着きのあんまりない感じがいいんではないか。と思いましたね。
獄中(で作ったのか知らないけど設定は獄中)でしかも短歌の定型、という二重の監禁状態にありながら、たいして自分と向き合ってなさそうなところに好感が持てます。ちょっと枡野短歌っぽいリフレイン、を決めすぎてる歌とかはどうかと思いますけど。
外山氏の思想とか主張は昔からよく知らないし、興味もないけど、十五年ほど前この人の本読んでかなり影響受けたことがあるんです。教養コンプレックスのようなものから電撃的に解放されたというか…。
だからあんまりむごいものは見たくないな…と失礼ながら、読む前に身構えていたので、反動で評価が底上げされてる可能性はあります。だからちょっと時間おいてから読み返してみたいと思う。
人形の首にはきみもねじ溝があると心で知りつつひねる