地球平面説の意味
おはようございます。さて、先日の続きとして、今では過去の話となってしまった地球平面説について、それが一体どんな意味を持っているのか、個人的見解を書いてみたいと思います。このブログを読まれる方は、この説を知っている方も多いと思いますが、簡単に説明すると、地球を自分の目で観察してみると、実は球体ではなく、レコード盤のような平面なのでは?と言う説で、一時期、ネット界隈を賑わせていました。=この時、従来の球体説の人達は、平面説を唱える人達を、「頭のおかしな人達」とか「陰謀論者」と言って、この説を一蹴していましたが、私が思ったのは、そもそもなぜ今の時代、平面説が浮上して来たのか?と言う疑問でした。そこで色々な意見を眺めてみたところ、平面説を唱える人達は、「常識を疑う必要がある。」「常識は真実とは限らない。」「常識を鵜呑みにするのは危険である。」と言う背景があると感じました。つまり、NASAや科学者、政府、学校、医者など、権威の言葉は、鵜呑みにしてはいけない。と言う事で、平面か球体かは別として、権威の常識を疑う視点は、今となっては、正しい事が証明されています。逆に言えば、平面説を笑って一蹴した人は、テレビだけを真実として受け入れる人達で、他の可能性は受け入れない人達と言う事が証明されたのです。これが、常識人と呼ばれている人達です。==では、肝心の平面か、球体か、についてですが、これは未だに謎です。私が感じた一番の不思議は、平面説を唱える人も、球体説を唱える人も、どちらもそれが正しい事を証明していますが、面白い事は、異なる2つの証明が、同時に成立していると言う事。これは一体どんな現象なのでしょう。==そこでふっと思いついたのが、量子力学の世界の「光の二重スリット実験」この実験も知っている方は多いと思いますが、光は波なのか?粒子なのか?を観察した実験で、実験結果は「波」として証明されましたが、その状態を観察したところ、「波」ではなく「粒子」の状態として観測され、人間が観察する事で結果に変化が現れる事を「観察者効果」と呼んでいます。これは一見、実験室の中の出来事で、私達の生活には関係ないように思えますが、実際は、実験室の中にも重力は働き、電気や磁力も、私達の日常同様に、同じ物理現象が起こっています。つまり、光を観察した結果、波が粒子に変化する事は、私達の日常でも同じ現象が起こっている事を意味します。===これは一体何なのか?私達は目で物を観ていますが、見ると言うのは、光を感じていると言う事。つまり、光は本来波ですが、見る事によって、光は粒子に変化し、物体として認識しているのです。少し気持ち悪い話ですが、私達の世界は、自分が見る事で、物体として存在しているのです。逆に、見ていない世界は、波の状態で存在していると言う事。とは言うものの、見ていない部分の波の世界から、ボールや物が飛んで来ても、頭に当たれば衝撃を受けます。これは、波だから存在しないのではなく、波も物体も、エネルギーとしてはイコール。これをアインシュタインは、「e=mc2」(エネルギー=質量×光の速度二乗)と説明しています。つまり、光の波は、物体と同じエネルギーを持っているので、見ていなくても、ボールが頭に当たれば痛いのです。==これを宇宙に当てはめてみると、宇宙は拡大していると考えられていますが、その理由は、観測機の発展に伴い、人間の観測する範囲が広がっているからです。観測するから、そこに物体が現れるので、観測範囲が広がる事が、宇宙の拡大につながっていると言えます。==他にも、「宇宙はエネルギーであり、星もプラズマで出来た光に過ぎない。」と唱える学者もいます。そのため「火星も月もプラズマだから人間は着陸出来ない」と考える人もいます。これは、星がプラズマなのか、それとも物体なのか、どちらが正解かと言う話ではなく、人間が観察出来る距離に行けば、波は粒子に変化するので、着陸可能と言えます。夜空の星を見上げると、火星は赤く光って見えます。赤く光って見えると言う事は、近づくほど、光は勢いを増し、最後は真っ赤な光が見えるはずですが、人間が観測出来る範囲に到達すると、地形が見えて来ます。一般的には、火星の光は、太陽の光が反射したものなので、近づくと地形が見える事は、一見正しく感じますが、なぜ、地球の砂漠と同じ色の地形が、太陽の反射で赤く見えるのでしょう。また、アメリカが最初に火星に到着した時、ヴァイキングから送られた画像は、地表が真っ赤でした。これはのちに、NASAが赤いフィルターをかけた事で、赤く見せていたと言う事が暴露されていますが、なぜ、そんな加工をする必要があったのでしょう。これ以上は憶測なので、書きませんが、==この考えを、全く別の視点で考えると、私達は死後、天国へ向かいます。では、天国の世界は平面なのか、それとも球体なのか?と考えると、これもまた想像の範囲ですが、「見た範囲が私達の天国」と言う事が、理解出来ると思います。そして、見える世界は人それぞれ。三途の川は、黄河のように広かった。と言う人もいれば、簡単に飛び越えられるほど、小さな小川だったと言う人もいます。花畑の向こうには丘があった。と言う人もいれば、市役所のような建物に行ったと言う人もいます。天国と言う世界は、平面か球体かではなく、観測者次第と言う事ですが、この感覚は、実はこの世も同じではないでしょうか。==では、ここまで見て来て、私達の日常を振り返った時、何が見えるかと言うと、地球は決まった形は無く、光のエネルギー体であり波として存在するが、私達が観測する事によって、物体や地形が現れる。つまり平面としても、球体としても、解釈によってどちらも成り立つと言う事。これが私の考える地球の形で、なぜ球体説と平面説が同時に存在出来るのかの理由です。==では、粒子や物質としての星ではなく、波として存在する星とは、一体どんな様子なのか。もちろん観測と同時に物質化するので、エネルギーを目で見る事は出来ませんが、次の動画から、そのイメージを感じる事は出来るはずです。この動画は、「星はエネルギーだから、実体は無い」と言う内容ですが、その中で、星がエネルギーで存在する状態が撮影されています。=====私は「星はエネルギーだけど、観測する事で物体として認識される。」と言う考えです。=====この撮影は、業務用望遠鏡ではないので、実際は星の光だけを撮影したものだと思いますが、イメージとして、星が波で存在する姿を感じられると思います。1分45秒からご覧ください。実際、私達の世界は、一体何が起こっているのか、それはわかりません。しかし今、世界の常識は崩壊に向かっています。これからの新しい時代に向け大切な事は、何が真実なのかを外に求めるだけでなく、自分にとっての、自分だけの真実を内に求める事も、重要になるはずです。地球は平面なのか、球体なのか、それはわかりませんが、どちらを選択するにしても、そこにあるのは信仰に過ぎません。これまでの時代は、「知っている・暗記している」=理解している=信仰 であり、学校教育や常識とは、信じるだけの信仰に過ぎなかったのです。今回のブログが、自分なりに何かを考えるヒントになればと思います。本日も最後まで読んでいただきありがとうございます。