他人軸の原点「教育」
おはようございます。さて、今日の話題は、人はなぜ、他人軸になるのか、そして、他人軸から自分軸へは、どのようにすれば戻れるのか、それは、方法を学ぶ前に、まずは仕組みを理解する事です。今回は、人生の出発点「学校教育」から他人軸の仕組みを理解したいと思います。===まず前提として、次の言葉を見て下さい。学校は国家機関です。学校教育の前提は、「子供は何も知らない。」「大人は何でも知っている。」「子供の考えは間違っている。」「大人の考えは正しい。」と言う前提から始まります。===この前提は、ヨーロッパのキリスト教から始まります。人は生まれながらに罪人だと言う「原罪」を人の人生の出発点にしました。そして同時に、「しかしキリスト教に従えば、罪は償われる。」と教えました。この前提があれば、人は自ら思考を止め、自分を責め、支配者に従うようになります。「自己否定」+「解決方法」=「支配・奴隷化」そして、この2000年前のキリスト教的論法は、現在にも引き継がれ、「人は生まれながらに、何も知らず、間違った考えを持っている。」「しかし学校に従えば、立派な人間になれる。」と教え、これが学校教育の基本になっています。===他人軸とは、「私は間違っている・私は無力だ」+「支配者は正しい」と言う視点です。しかし、逆に言えば「私が間違っているなら、それは教えてくれなかった人が悪い。」と言う責任転嫁にもつながっているのです。昨年から様々な有名企業が不祥事を起こしていますが、そこの企業で働く人々は、まるで他人事のように会社を批難しています。そして社長も同様、「私は悪くない。」「悪いのはあの芸能人だ。」と責任転嫁を繰り返しています。つまり、現在崩壊を迎えている企業とは、大小問わず、全員が他人軸の会社なのです。===では次に、具体的な教育の意味を見てみましょう。勉強が出来るか、出来ないかは、個人の問題で、他人がとやかく言う問題ではありません。五教科が好きな人、他に興味がある人。人はそれぞれ目的を持って生まれて来ます。ではなぜ、勉強が出来ないと怒られるのか、と言うと、それは教師の指導や指示に、従っていないからです。どこまで指示に従ったかは、顔を見ただけではわかりません。そこで、どこまで効果があったかを測定する方法として、試験が用いられています。試験の成績が良かったか、悪かったかは、どこまで指示に従っているかと言う意味で、成績が悪くて怒られるのは、命令に従っていないからと判断されるからです。宿題も同様、宿題をやらなければ、命令違反として、罰せられます。授業態度が悪いのも、権力に対する反抗的態度として、粛清の対象になります。学校教育の基本は、命令の暗記で、物事の道筋を学ぶ哲学は、そこに含まれません。なぜなら、学校教育に筋道が通らない事を見破られてしまうからです。===さて、そこで学校は、成績の悪い生徒、反抗的な生徒に、反省を促します。反省とは、自分に向き合い、問題点を見つけ、改善方法を導き出す思考法で自発的な行為ですが、学校での反省は教師の前で自分を責め、悲しい顔をしながら、体をくねらせ、許しを乞う態度を、反省としています。この手法は、反省ではなく、”自己批判”と言う名前の「政治洗脳手法。」この事によって生徒は、自尊心やプライド、主義主張を奪われ、恐怖心から、教師に従うようになります。問題は、完全な自己否定により、自我が崩壊する事。これが、深刻な他人軸の視点を引き起こします。===他人軸から自分軸への移行は、理屈がわかっても簡単ではありません。問題はここです。他人軸に洗脳された人が、自分軸へ移行しようとすれば、そこに強い恐怖心が現れ、拒絶反応が起こってしまうのです。洗脳に必要な時間は9年間。これが、義務教育の時間で、暗記した記憶は消えても、精神的洗脳は本能に刻まれます。そこで他人軸に洗脳された人が自分軸に移行する時は、まるでパラシュート無しで、スカイダイビングをするような、強い恐怖心が沸き上がります。これが洗脳の恐怖です。===そして学校を卒業すれば、次にテレビやメディアが教師の代わりとして、世間の常識や指針を教えてくれます。常識に従うのは当たり前、常識だから疑っても仕方ない。常識に従わない人は非常識だ。と言う言葉の意味は、そのまま、命令が当てはまります。命令に従うのは当たり前、命令だから疑っても仕方ない。命令に従わない人は非常識だ。常識に従わないといけない理由は、それが命令だからです。===では、命令に従って、何かしらの被害が出たらどうなるか、と言うと、被害者、加害者、関係者全員、「私は言われた通りやっただけ。」「問題があるなら、それは指示を出した人が悪い。」と責任転嫁が始まります。これが企業同様、社会全体が他人軸になった時の結末です。===ここまで見てわかるように、国は命令はします。そして、従わない者を処罰します。しかし、最後に責任は一切果たしません。ここを理解する事が、自分軸へ戻る第一歩です。===どれだけ素直に言う事を聞いても、国は最後は責任を取りません。知り合いの子供の高校生で、音大を志望した子がいましたが、高校の進路指導室に相談したところ、「おまえなんかに、受かる訳ない。」と一蹴されたとの事。では、指導部に従い音大を諦め、将来後悔した時、学校は責任を取ってくれるのでしょうか。もちろん学校は、そんな事を言った事すら、覚えていません。要は何でもいいから、その場の命令に従わせるだけが目的で、その命令に、中身も意味も無いのです。だとしたら、私達はどのように考えるべきでしょう。===学校の悪口を言えば、「どうせあの人は、勉強が苦手だったんだ。」「バカの僻みだ。」と言われますが、これは、ワクチンに反対する人を、陰謀論者と呼ぶのと同じ理屈。自分に都合の悪い事を言う人や真実を語る人は、彼らから見れば悪なのです。===さて、今回は、他人軸の仕組みを理解する事で、脱却法を見てみました。一度に全てを書き切る事は出来ませんが、引き続き、自分軸、他人軸の視点から世の中を眺めてみたいと思います。本日も最後まで読んでいただきありがとうございます。