崩れる社会と個人の未来
おはようございます。さて、早速ですが、これまでのおかしな社会の仕組みが、今、一つずつ暴かれ崩壊へ向かい、自然界でも様々な災害が世界中で起こっていますが、ここからどうなるのかについて、考えてみたいと思います。===一見、これらの問題が解決する事で、社会は平安の道へ進みそうですが、その前に、おそらく、やるべき事があるはず。それは個人の課題の解決です。===今起こっている社会の問題は色々ありますが、その中で、どのニュースに意識が向いているかは、人それぞれ。ではなぜ、人によって異なるニュースに意識が向くのかと言うと、おそらく、その人の中にある問題を、外に投影しているからだと思います。===で、ここまで良いとして、問題は、外の問題をそのまま外の問題として片付けるか、それとも、外の問題を通じて、自分の在り方を見直すか、この違いも、二極化の境界線につながって行きます。===今、外で問題が起こっていますが、自分の内を解決しない限り、外の問題は無くならないと言えますし、逆に言えば、自分の内が解決出来れば、外の問題は、一つずつ減って行くはずです。つまり、外で起こっている問題に意識を向けていれば、外の問題が解決しても、次に新しい外の問題が現れるだけで、どこまで行っても、問題が消える事はありません。自分はそこに留まったままだからです。===例えば、今年7月5日に大津波が来ると予言され、多くの人が不安を感じましたが、7月5日を過ぎたら、未来は安泰と言う事にはなりません。ネットでは、7月5日の翌日には、「本当の予言は8月15日だ。」とか言って、新しい不安を煽っています。サムネイルから、「もうそれに付き合う人はいないはず。」と思いきや、この手の不安を煽る予言が消える事は無く、新たな予言は、アクセス数を稼いでいます。===なぜ不安を煽る噂が後を絶たないのか、と言うと、不安の原因を外の世界に作る事で、自分に向き合う課題を、肩代わりしてもらい、その問題が解決される事が、自分の問題の解決につながると捉えるからです。つまり、不安な情報を求める背景には、安心感があるのです。そのため、7月5日が過ぎ不安が去った事で、自分の不安の矛先が消え、そこに新たな不安が芽生えた事で、人々は、新たな不安に「安心感」を求めてしまうのです。===ではなぜ人はこのように、外の世界の不安を求め、そこに安心感を抱いてしまうのか。それは、本当の自分に向き合う事こそ、真の恐怖だからです。最初に書きましたが、今、社会は日々崩壊を続けています。しかし、本当の課題は、社会の崩壊ではなく、自然災害ではなく、その先にある、本当の自分に向き合う事。===何回も例として出て来ますが、今、静岡県の市長が話題になっています。そして、多くの人が彼女に対して怒りを覚え批判しています。この段階では、多くの人が自分の外に問題を探し、それを解決する事が、解決だと思っていますが、本当の解決は、彼女の行動を、自分の中に見つけだし、自分自身が理解する事。誤解があるかもしれませんが、だから、彼女は許されるのではなく、今、彼女に対して、感情的に批判している人達は、実は、彼女を通じて、自分の中にも存在するズルい心(エゴ)に反応し、激しい怒りを感じているのです。もし、自分の中にも存在するエゴの声に耳を傾け、そこに至るプロセスが理解出来れば、彼女の言動が理解出来るようになるので、あとは冷静に法律に基づいて、判断を下すだけ。そこに感情的な批判やジャッジは生まれません。そうなれば、後の事は、行政の役割と言う事が理解出来ます。彼女の話題が、日々更新され続ける理由も、そこに自分のエゴを肩代わりしてくれる安心感があるからです。あの人は悪い人。だから私は悪くない。と考えて、私の身を守り、安心感を得ているのです。===逆に、稀にですが、「彼女も十分反省しているので、これ以上責めるのは可哀そう」と言う意見もありますが、それは、自分に向き合う事が出来ず、これまで物事を曖昧にして来た人の意見で、「自分も責められたくないから、人も責めないようにしている。」と言う自己保身(エゴ)からの意見です。一見平和主義の意見ですが、実は、守っているは彼女ではなく、自分自身を守っているだけなのです。===さて、ここまで見てみると、人のエゴが、いかに自分に向き合う事を拒み恐れているかが、見えて来るのではないでしょうか。つまり、これから訪れる明るい未来の幕開けを前に、本当に直面する課題は、社会の崩壊でも、自然災害でも無く、これまで人類が避けて来たエゴに向きあう事。なぜなら、今地球が崩壊している原因は、エゴにあるからです。そして、多くの人がエゴに向き合う事が出来た時、外の問題は消え去り、それが、人類の本当の意味での解放につながるはずです。===昔から「地球は監獄である。」と言われていますが、その監獄は、自分のエゴが作り上げた世界で、そこから抜け出す事こそ、人類の解放だったのです。逆に言えば、エゴを理解し、通過しなければ、そこに解放は生まれません。エゴがあるからこそ、次へ進めるのです。これを抜け出すまでにかかった時間が、数千年。果たして人類は、この壁を乗り越える事が出来るのか。そのくらい、エゴに向き合う事は、難しい事なのです。===ここで、エゴから抜け出す考え方を、簡単に書いてみたいと思います。個人的に、人間の心や、精神、死生観など、色々な角度から眺めて来ましたが、わかった事は、人の人生は、エゴでコントロール出来るほど、簡単な仕組みではないと言う事です。エゴは、自分の人生を、人生設計と言う名で、コントロール出来ると思っています。そして、人生設計と言う名の、自分の都合に合う出来事を、幸せと呼び、合わない事を、不幸と呼んで来ました。これがエゴの限界です。では、人生とは、どのような仕組みで出来ているのか、それを一つずつ解明しようと思っても、それは、無理です。大切な事は、「人生は、自分(エゴ)の手に負えない。」と知る事。これを覚えるだけで、随分楽になれるはずです。===もちろんこれは人生への責任転嫁ではありません。もし悪い事が起こった時、エゴはこう考えます。「悪い事が起こったけど、それは私の知らない人生の責任であり、私自身の責任ではない。」「文句があるなら私ではなく、人生に言って下さい。」と考えるのは、エゴの責任転嫁です。本来の人生は、こう考えます。「そもそも何も悪い事など起こっていない。」「悪いって何?」もちろん私達は人間なので、何が起こっても冷静と言う訳には行きません。しかし、目の前に起こる一見悪い事は、その先に必ず、良い意味のある結果が待っています。つまり、そもそも悪い事は起こっていないだけでなく、全ては成長のために起こっているのです。この仕組みは、科学的に証明出来ませんが、エゴに向き合う経験を通じ、将来必ず、心底理解出来るようになります。このように人生は、人智を越えた仕組みの上に成り立っているので、私達はただそれを感謝して受け入れるだけです。===さて、今日も長くなってしまいましたが、これから起こる、希望の未来について書いてみました。本日も最後まで読んでいただきありがとうございます。