おはようございます。

 

さて早速ですが、

 

インドには聖人、聖者と呼ばれる方が

沢山いますが、

 

インド旅行へ行った人や、

インド人と一緒に仕事をした日本人の話によると、

必ずしも評判は良くありません。

 

どうやら詐欺が多く、嘘つきも沢山いるとの事。

 

聖人の多いインドと、詐欺師の多いインド。

はてさて、どちらが本当のインドなのでしょう。

 

そこで思いついたのが、

インドには、ハッキリ目に見える悪人がいるので、

何が悪で、何が善なのか、わかりやすい事が、

聖人を生む土壌になっているのではないでしょうか。

 

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例えば日本の場合、

戦後の日本人の多くは善人でしたが、

 

中途半端な善人だったため、

何が善で、何が悪か、

そこまで明確な境界線はありませんでした。

 

しかし、ここ20年ほどの間で、

政府をはじめ、政府関連企業、不良外国人など、

明らかな悪が姿を現しました。

 

この経験によって、

これまで何となく善良だった日本人は、

明確な善悪の見極めが出来るようになり、

 

何となくの善人から、

明朗で凛とした、

目の座った善人になりつつあるのです。

 

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ではここで、お隣中国はどうかと言うと、

 

先日お話した、ギリシャ哲学の憎(エイコス)・争い(エリス)

の意識によって、中国は崩壊を迎えています。

 

明らかな悪がいるなら、

どこかに聖人が出て来ても良さそうですが、

中国の悪は、今始まった話ではありません。

 

紀元前403年 - 紀元前221

中国は戦国時代へ突入しますが、

この時代、儒教が発達しています。

 

更に時代は進み、

西暦1127年、中国は南宋時代に入りますが、

この時代も政治が腐って、経済が衰退した事で、

 

朱熹(しゅき)と言う儒教学者が、

儒教を朱子学としてまとめています。

 

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では、今の時代、

何が生まれたかと言うと、

 

詳しくは知りませんが、

李 洪志(り こうし)が気功を元にした

法輪功(ファールン・ゴン)と言う思想を

1990年代からアメリカで広めているそうで、

 

簡単な解説しか読んだ事はありませんが、

おそらく、今の中国人にとって、

良い方向を指し示しているように感じます。

 

インドで言うところの、

ヨガ思想に近いものだと思います。

 

このように、世の中が悪に包まれた時、

そこに、聖人や学問が生まれるのです。

 

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しかし、問題はここから。

 

これまで2000年以上に渡り、

人類は悪との戦いでその都度学問を作り、

 

すでに答えは出ていますが、

なぜそれが浸透しないのか。

 

その理由が、先日書いた「旧皮質」の影響です。

 

旧皮質のエゴは、1(自分にとっての得)だけを求めるので、

悪にとっては、正しい道こそ悪になってしまうのです。

 

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ここで、自分の専門の音楽から、

管楽器の演奏を見てみると、

 

管楽器の上達方法は、

すでに確立され、答えは出ています。

 

しかし多くの人は、管楽器の上達には

何十年もかかると言っています。

 

この何十年と言う年月は、

一体何を指しているのかと言うと、

 

基礎の大切さを理解し、

実際に向き合うまでの時間です。

 

そこに気づかなければ、

一生上達は出来ません。

 

どんなに複雑な前衛音楽でも、

全ての音楽は基礎の延長だからです。

 

逆に言えば、最初から基礎を元に練習すれば、

1年から3年で基本的な技術は身に付きます。

 

いわゆるプロと呼ばれる人は、

最初から基礎を学んだ事で、

若い内から現場で活躍出来るのです。

 

答えはすでにあるのに、

なぜ、何十年もの時間がかかるのか。

 

これが、哲学はあるのに、

なぜそれが浸透しないのか。

 

なぜ、2000年経った今でも、

同じ過ちを繰り返し、答えを求め続けるのか、

につながっています。

 

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楽器演奏の基礎の一つは、

メトロノームを使って、

一定のテンポで練習する事。

 

元々人間は、一定のテンポを刻む感覚は持っていません。

しかも楽器を持てば、運指や呼吸など含め、

一層難しい練習になります。

 

この時、新皮質を使う人は、

「自分は何を間違っているのか。」

「なぜこれほど難しいのか。」

「どうすれば一定のテンポで演奏出来るか。」

と言うように、

 

まずは、自分が出来ていない事実を出発点に、

そこから試行錯誤を繰り返し、

自分なりの道筋を歩みながら、上達を目指します。

 

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しかし、旧皮質の人は、

 

0=出来ない=負

1=出来る =勝

 

の二元論で考えるので、

 

一定のテンポで演奏出来ない事を、

0(負) と捉えるので、

出来ない事実を認める事が出来ません。

 

旧皮質は絶えず、無条件に1だけを求めています。

そこで、自分が出来ない0を、1に変換する方法として、

 

「メトロノームは子供の練習。」

「大人のやる事じゃない。」

 

「音楽はそもそも、心によって揺れる物。」

「一定のテンポで演奏する事は、機械で演奏するようなもので

そんな音楽に心は無い。」

 

「自分には才能があるから、基礎は必要無い。」

「自分は出来ないのではない。やらないだけ。」

「自分はやらなくてもわかっている。」

 

しかし、出来ていない事がバレると、

「やらなくても、バレないと思ってた。」と言う。

 

(補足=演歌、ロック、ジャズ、クラシック、

    全ての音楽は一定のテンポで演奏します。)

 

と言う感じに、論点、視点をすり替えて、

基礎練習を避けてしまうのです。
 

正しい方法は1つ。

しかし、出来ない理由は100万通りあるのです。

 

1だけ求める旧皮質は、あらゆる手段を使って、

0を1に変換するので、

 

基礎の大切さに気付くのに、

何十年もしくは、一生かかってしまうのです。

 

これが、答えがあっても、

身に付かない理由。

 

哲学があっても、2000年以上浸透しない理由です。

 

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では、どうすれば旧皮質は0を認める事が出来るのか。

 

それが、今中国で起こっている、

社会の崩壊。つまり、経験です。

 

この事によって、

 

「自分さえ得すれば良い」と言う考えは、

「自分の生命の危機」に直結する事を経験すると、

 

旧皮質は、「得」より「生命」を優先します。

 

0=損(劣)

1=得  (優)
 

0=得(劣)

1=命   (優)
 

では、どうすれば1を得られるか。

 

この時、残っているのは、

道筋だけ。

 

そしてここから、前に進む人と、

その場に留まる人の二極化が起こります。

 

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さて、いよいよ厳しい時代に突入ですが、

全ては、星の動きと連動しています。

 

何となく怖い気持ちになってしまいますが、

人は星の影響で動くのではなく、

 

人と星は、同じ動きをしているので、

自然に心も前向きになって行くはずです。

 

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本日も最後まで読んでいただき

ありがとうございます。