今まで愛宕の瞑想で、わたしの聖なる空間では、キリストが現れる時は大概、視界の左側の森から動物たちを引き連れて現れることが多くありました。
何故かわたしはそのパターンを否定したがっていたことに氣付きました。
そして、先月末頃ふと、そういえば仏陀は出てこないよなぁ、と思ったのです。
氣付くと変容は起こるものですね。
セッションにお越しになるクライアントさんをお迎えするにあたり、準備の瞑想をしていた時のヴィジョン(11/4)です。
森からキリストが現れるのを受け入れると、次に何んと、空間に穴が開いて、その穴から青い身体のヴィシュヌ神がよいしょっと出てきました。異次元空間からまるで乗り物に乗ってやってきたような感じでした。
そうしたら、その横に佛陀も現れたのですが、螺髪をほどいて髪をおろしていたので、キリストにそっくりでした。
軽妙な語り口で、雑談を始めました。そうだよね、髪下ろせばそうなるよね…
すると、そこにえもいわれぬ美しい光を纏ったガネーシャが現れました。
あまりに美しく温かな光で、これまで見たことのない光明でした。
翌日、また別のクライアントさんをお迎えする準備で瞑想していたところ、中心に現れたのは観音様のようでした。多臂の聖観音様かな。
後から思えば、クライアントさんをサポートする存在たちが現れてサインを示し、わたしもそのお蔭様で恩恵に与るような感じがしました。
昨日は、豊穣の扉開きの瞑想で、神々がわたしをぐるっと取り巻き、その様子をまたその全体を包む外側から眺め、またその様子を神々がぐるっと取り囲み、そしてそれをまたわたしの視点の光が包み込み、ということが繰り返されて、光の境界がぐんぐんと広がっていきました。
広大な世界がすっかり明るくなると、それまでいかに”わたし”という範囲が狭く小さなところにいたのか、と感じました。
如意輪の瞑想の時に、大日如来と一体化しながら、ヤベツの祈りを唱える時に、「わたくしの地境を広げてくださいますように」といっているのが、「これかあ!」と思いました。
2回目の瞑想に入った時は、豊穣の五文字の光が、地球全体を包み込み、螺旋状にうねり乍ら宇宙全体を巡礼している地球の軌道そのものが、温かな虹色に輝く龍のようでした。(ナシーム・ハラメインさんの動画のイメージに近いです)
目を閉じて座している肉体には、一筋の良い香りがたなびき、窓の外には鳥がさえずるのが聞こえ、まるで極楽浄土を感じさせるものでした。
午後になって3回目の瞑想で見えたのは、全く異なるヴィジョンでした。
緑に茂る樹木に、豊穣の五文字が白い蛇となり巻ついていきます。
いったん戻って、4回目に入ると、頭上に緑色のコイルのようなものが現れ、下方の先端から何かがドロッと落ちました。青緑のようなドロッとしたものが、微生物のかたまりのようなものか何かでしょうか。
それから、白い円錐にオレンジ色の8の字の片方の丸をかけて、最初はぎこちなくクルクル回り始めました。8の字は2つだったか、もしくは反対周りもする動きだったか。
3回目と4回目は続き絵巻のように、意識を向けていない間にも時間が連続して経過していたようでした。
ガネーシャの強烈な美しい光が予告編のように現れていたので、これらの光には馴染みやすかったのではないかなと思っています。
この記録は、解説や注釈が無いと分かりにくいレポートかもしれませんね。
前回のブログ投稿から、やっと次の呼吸ができました。
興味がありましたら、瞑想体験会においでくださいませ。
お話ししましょう。