「よき事だけをカウントしなさい」
ああ、やっと聞こえた。
SUPから落ちて、波に揉まれている最中に来たことば。
まだボードに戻らないうちに、追い被さるように、少し大きめの波が背中から打ち付けて来る。
「良かったね」
波に乗れずに凹んでいるところに、何で?
「波のところに居る事自体、(乗っている、立っているに関わらず)波のあるところに居る事に変わりはないから」だそうです。
そうだよね。量子場で望むことを確立するなら、大事なのはその望みにフォーカスすること。常にフォーカスし続けることだよね。凹む時こそ!
前回ブログ記事をアップしたのは、9/15。
それから暫く、“コトバ”が聞こえて来なかったので、息ができないように苦しかったです。
でも、実は違うことばの来方をしていたんだよね。
前日には、「最近、朝日を毎朝ビーチに浴びに行っても、自分が朝から濁っていてリフレッシュしていないと感じる」と話していて、話しながら言えていたのね。
今日(土曜日)も仕事はあったけど、気分は休日なので、ゆっくりめに朝日を眺めていたら、平日は朝日を見に行っても、その後の予定の時間が氣になって、落ち着いて佇めてなかったんだな、とも感じました。
水曜日には、花那さんとのLINEで、「奇蹟が起きる自分の人生を信頼します!」とお返事していて、こんなことが言えるようになったんだなぁ、わたし。
このカードが出て、ちょっとネガティブに反応した後の展開でした。
それからまた、コトバが変容し始めました。
自分の人生が奇蹟を起こすのを信頼します!
受動から能動に変化したようだけど、ここでの“自分”は、有機体・生命全体の自分なので、自力の自分を超えています。だから、顕在意識範囲の小さい自分からしたら、やはり受動表現なんだよね。
もう、わたしには奇蹟しか残ってないからな。
声が聞こえなくなっていたのは、座学講座が続いて、受講生の数も増え、事務対応が増えていた状況の影響だと思うけど、その期間中に、施術家さんがフローズンマッスルを解してくれた時は、激痛で意識が飛び、幼少期のオペレーターに繋がったほど!
また「通信切ります」と言われた時は、切らなきゃダメなの〜😭と思いました。
ボソっと「個人回線もあるけどね」みたいに言ってたので、友達だからなのか、と思った瞬間に、友達の概念が違うことに氣が付きました。
そのオペレーターと1対1で友達というより、個がありながら集合意識の共有度が高いので、(集合意識の顕在化部分が大きいというのかな。映画ソウルフルワールドのジェリーみたいなかんじ)みんな友達みたいな状態のようでした。
バシャールがその星の全員と結婚している、と言ったような感じかな。概念から異なるのね。
隠すものもなく、曝け出しても安全な意識状態なのだろうね。互いに。