モーリス | goldenblue

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「古代の叡智の幼稚園」
エデュケーションとセッションが一体化した新しいスタイル、エデュ・セッションで、魂が導く本来の自分の力を取り戻していくセラピーをしています。

ここのところ何日も、ソファーに張り付いたようになってヌース理論の本を読んでいる。

途中でマヤ歴の本を広げたり、YouTubeで動画を見たり、パラレルに情報収集が広がっている。今の時代だからあり得るスタイルだろう。このような贅沢な時間が与えられているのも不思議に思うし、読んでいるというよりインストールしているような感覚だ。

そんな中、突然昔の記憶が思い出されてきた。

私が生まれて初めて海外に赴いたのは、ニュージーランドだった。大学生の頃だ。
ファームステイがしたくて、しかも牛や羊ではなく、馬がいるところを探していると、行き着いたのは1軒だけしかなかった。

そこは競走馬を育成する牧場だった。
そこで、とても面白いものを学んだ。

競走馬を競馬場に運ぶ時に、馬を馬運車に乗せて運ぶのだが、馬がトラックに乗るのを嫌がることは少なくない。それはそうだよね、狭くて暗いところに押し込められ、ガタガタ揺られたあげく、下りたら全力疾走で走らされるんだから。

馬運車に馬を乗せる時は人も馬も怪我をしやすいから、慎重かつ迅速に行い、テクニックと経験が要る。馬が嫌がった時は無理をしないで、一回リセットしてリトライする。しかし、リトライも何度もやると、馬がごねるのを覚えて効果的でないから、何度もできるわけではない。

そこでリトライのやり方だが、通常は馬運車に向かう進路から馬を回転させて、もう一度やり直す。だが、場主のモーリスは独特の方法を教えてくれた。

馬を回転させると、一旦視野から馬運車が消えて、また現われるから恐怖心を持つ。馬運車を見せながら、馬の頭を進路に向けたまま後ずさりさせ、馬が落ち着いたらリトライする。なぜなら、後ずさって遠ざかると、馬運車の入り口が小さく見え、近づいていくと大きなところに入っていく感覚になるから、恐怖心が軽減するという。馬が理解する時間を与えているのだ。しかも、馬運車に乗ることを止めたわけでない、という状況が馬にも分かった状態を保つ。

彼のアプローチの根底には、馬を尊重し、敬意を感じ、信頼している発想を感じる。実は、常識的には、後ずさりはさせてはいけないと教わってきた。それは馬に癖が付くからという理由で。

また、一般的には馬を調教する時は、母馬と仔馬を引き離して行う。しかし彼は、母仔を同じ馬場に入れて調教を行っていた。母馬が仔馬に「教える」から効率がいいのだという。

勿論、母馬が仔馬にああしろこうしろと口で言うわけではないが、動物の(そして動物の一部である人間も)言語(※ここでは狭い意味に限定)、発語を介さない教育が現に起きている、生態の在り様に目を向けたのだ。通常目の前に展開されていながら、目を向けていなかった要素ではないだろうか。仔馬がまとわりついて、邪魔だくらいにしか思わないだろう。

彼がこのようなアプローチに切替えるようになったきっかけは、彼が腰を痛めたからだそうだ。力ずくで馬に教え込もうという方法が通用しなくなり、発想を変えたということだ。

視点が変わることで、世界、次元が変わるヌーソロジー学習の中で、この記憶を思い出したのだろう。

なんとなくこの体験はシェアした方が良いような気がしたので、記してみました。


とにかくヌース理論を読んでいると楽しくてしょうがない。今まで座禅や、光透波や、仏教とカウンセリングなどで学んできた、点と点が繋がって、通る感があるからだ。学校では答えを見つけるのに苦労するように教えられるけど、これまで私が学んできたことは、答えを一番最初に教えてもらうことばかりだったんだ。

この喜びを友達に伝えると、本当に顔が嬉しそうだねと言われた。うん、本当に嬉しい。光顔巍巍だ。