映画自主上映ボランティア | goldenblue

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「古代の叡智の幼稚園」
エデュケーションとセッションが一体化した新しいスタイル、エデュ・セッションで、魂が導く本来の自分の力を取り戻していくセラピーをしています。

今、このブログのタイトルを書いてみて、私は今更気がついたのだけど、改めて「自主」の重みを感じました。映画の自主上映会は、近頃取り組む方々が各地に居られますが、すごいエネルギーのうねりなのだなと思います。

そもそも、この映画の自主上映主催のボランティアに手を上げたのは、私自身がこの映画を見てみたかったから。今回蒲田での上映は、都内で約一年ぶりの上映となり、つまりは「やります」という人がいなければ、見ることができない映画なのです。ですから、私が主催を決めた時はまだ映画を見ていなかったんです。それでも、プロデューサーの森田さんによると、奇跡のりんごの木村秋則さんや、「発酵道」の本を著した寺田本家の寺田啓佐さん等々が、この映画のコンセプトに賛同し、推薦しているということなので、直感的に良さそうだと感じました。

木村さんの本は、以前から数冊読んでいて、変わりゆく時代のなかで、これからは、木村さんのような生き方が日本人の生き方だよね、といわれるような生き方を自分自身がしていきたいと思っていました。また、発酵や寺田さんをWEBで検索していた時に、この映画のサイトにも行き当っていたのですが、その時はまだ、自分の中でその記憶が繋がっていませんでした。

主催を決めた後で、5周年記念の時に神崎町に上映会を見に行きましたが、映画が始まって数分のうちに、何とも言えない懐かしさというか、回帰の雰囲気に包まれる感じがして、ああ、間違いなかったなと思いました。

そして、前売り券のお申し込みを頂くメールでも、参加希望者の方々から、「上映してくれてありがとう」という声を複数お寄せいただき、やはりそういう映画なんだなと改めて知らされる次第です。

ただ、上映会を数日後に控え、責任を伴ってこんなに緊張したり、気の回らない私が、準備に落ち度がないように自分自身を鼓舞しなければなりませんので、結局ゆっくり見ていられないことになりそうですね

私にとっては、初めてのボランティアの経験で、何も分からずに飛び込んでしまいました。これまで、フォスターペアレントは十数年経験してきて、フォスターチャイルドに会いに、2度アフリカにも行きましたが、全く異なる経験でした。

阪神淡路の震災や、東北の震災等々で、ボランティアを経験した沢山の方々は、きっと既にご存じのことかもしれません。

ボランティアは、活動費用も時間も労力も自分もちなので、お金や物ではない何かを、自分自身で得ていかなければなりません。私にとっては、大勢の人を前に表に立ったり、多くの人に伝え広めるといった活動に苦手意識を持っていたので、克服しようと試みるチャンスを貰ったのかもしれません。

ただ所属するだけでお給料がもらえたり、結果を出さないと収入が得られない成果主義とも違うし、指示待ちの仕事や、マニュアル通りの仕事とも違います。ちょっと仕事のネガティブな側面ばかり強調して書いてしまいましたが、もちろん経済活動におけるお仕事は、そのような側面ばかりではないですね。

ちょっと横道にそれますが、貨幣経済を基本とした社会は、赤ん坊が歩行具を付けて歩くようなものかもしれません。もっと成熟した社会では、お金という媒体を介さなくても、はたらけていく社会というものがあるかもしれませんね。ボランティアはその予行練習のような、予備的な段階の位置づけになるかもしれない等と思いました。

積極的に役割分担を果たす責務が自ずと生じてきますし、その集団が目的とするはたらきに、貢献し、役に立ち、機能していかなければなりません。そして同時に、その責任と行為自体がその人自身に得られる何かでもあるといえるでしょう。意志を持って活動し、集団の目的と、自身の願い信じるところが、自ずと一致していくいとなみなのでしょう。所謂遣り甲斐とか充実感や連帯感などといったものも、得られる何かに含まれるかもしれません。ボランティアに従事する中で、唯与えるだけで、得るものがあることを知っている感覚が生まれてくるように思います。

自分に何ができるか自分で考え、又その行動が周囲と調和しているか調整していくことも必要となってきます。

良いものでも、勝手に広まっていくものではないので、押し流していく努力が必要になります。

それから、私は自分自身のことだったら、反対や抵抗に出遭った時、あっさり身を引いてしまう傾向にありますが、ある場面では、どこからか粘って食らいつく力が湧いてきたようにも思います。良いことばかりが有難いのではなく、本意と異なることが起きても、自分自身の在りよう(エネルギー)の写し鏡を見せられているのだなと思えました。

なぜなら、方向性や情熱もなく、とりあえずその場しのぎをしたり、嫌々文句を垂らしながら反感を内に秘めて、その場をやり過ごしたりといった、自分自身のこれまでの行為に心当たりがあるからです。そのような行いが、如何に不毛であるかを、反面教師で教えてもくれます。その対極にあるものが、ボランティアの行為には見出せる気がします。自分自身の禊に他ならないと思います。

映画上映の主催に手を上げ、友人を誘って、場所と開催日時を決めた後に、「私は主催者です」と一人称で活動してくれる仲間を募りました。また、見る人見せる人といったボーダーが無く、スクリーンの向う側の出来事で終わらない、それぞれ一人一人の生き方に繋がりと動きが広まってくることを願いました。

今回は、これまでに何度も自主上映のボランティアを経験されてきた先輩方と、次に自主上映を希望している方々がお手伝いしてくれています。

ボランティアは、自分にできることを、先ずは自分に合った範囲内から、自分で見つけていくところから始まると思います。少しでも興味が湧きましたら、次に繋げたいと思いますので、ちょっと勇気を持って、お声かけいただけたらと思います。

すぐに逃げたくなる弱腰の自分自身に、最後のもう一息、奮起を与えるために、書いてみました。少し厳しい内容にも読めますが、私自身が厳しさを感じたからでしょう。人生は厳しいだけでも、楽なだけでもないのでしょうね。水星逆行中に、こんなにあからさまに書いて大丈夫なのかな~と思いつつ。

映画「降りてゆく生き方」蒲田上映会、1/24(土)、大田区民ホール「あぷりこ」にて、間もなくです。