時々デジャヴ―が起こるとき、ここの所、意見が割れたところだよなって思うことがある。
この世に生まれてくる前に、天上で会議があって、私はタカ派だったような気がする。
もう何人もの人達が散々チャレンジしてきて、もう無理だと諦めようとしている仲間たちの中で、それでもまだできると言い張って、厳しい条件の中で自分でやると承知して、押し切ったようなおぼろな記憶。
一番の問題は、そのまま覚えていて実行するならさほど大変ではないのだが、産まれるときに全てを忘却して、本来の目的を遂行しなければならないのが難関なのだ。どうにか思い出せるようにいくつか自分で仕組みを設けているようなのだけど、それ自体も一旦忘却にさらされる。
忘れるのだから思い出せる保証はどこにもない。それでも、私はできると強く信じたかったようだ。
一旦プロジェクトが実行されると決まったら、仲間たちとも入念に検討して実施に移ったはずなのだが。
本当のことか、夢なのか、その目的も確固としないまま、未だ忘却の中。