皆さん、おはようございます。

 

前記事をアップしたのが昨日の午後9時44分でしたが、寝る前に照子さんの『世見』をチェックしましたら、記事のタイトル『宝永地震』にビックリ仰天~びっくり

 

冒頭の富士山の写真は、本年1月に訪れた『四国8の字の旅(6)において、JAL機内から撮影した宝永噴火口の写真です。以前から『時空を超えた大地誕生のドラマ~中部・関東地方(2)』の表紙に使用するつもりでした。

 

 

 

私達は、過去の災害の経験から知識を身に付け、何を教訓としているのでしょうか。南海トラフのほぼ全域で、プレートが一気に破壊されたことがあります。
 

東海地震南海地震が同時に発生したのです。地震の威力は、私達が想像できる範囲を大きく超えます。明応東海地震の時は、浜名湖と海が繋がりました。


宝永地震は、関東から九州までを揺らす大地震 M8.6と推定されています。地震の記録の中でも日本最大級のひとつと言えるでしょう。
 

太平洋沿岸の浦に立地する集落は大津波に流され、四国南西端にあるはいたか神社では、42段ある石段の39段の高さまで津波が来たと記録に残り、愛媛県の道後温泉では、145日間も湯が出なかったといいます。
 

この時の地震では、大阪湾にも津波が押し寄せたのです。その時の津波の勢いは市街の川や堀を遡り、道頓堀の日本橋まで迎船が70隻ほど飛び込み、30石~50石の船は押し倒されたのですから“凄い”の一言です。
 

宝永地震は1707年10月28日に起きました。この地震では、室戸、潮岬、御前崎が1m~2m隆起したかと思うと、高知の東部は20km²もの広大な範囲が最大2mも沈下したのです。宝永地震はこれだけでは終わらず、49日後、富士山が大噴火しているのです。
 

いつ再び同じ目に遭うかわかりませんが、緊急地震速報の「地震です 地震です」はもう聞きたくはありません。これまで M9クラスの地震はごくまれにしか起きないと思われていましたが、考え方を少し変える時期が来たのかもしれません。今年も油断出来ません。(転載終了)

 

南海トラフ地震は8月~2月に起こることが多い?!(2019/6/25)

 

・1498年 9月20日   明応地震(室町時代)

・1605年 2月  3日  慶長地震(江戸時代)

・1707年10月28日 宝永地震(49日後に宝永大噴火)

・1854年12月23日  安政東海地震(32時間後にダウン

・1854年12月24日  安政南海地震(32時間前にアップ

・1944年12月  7日  昭和東南海地震(昭和19年)

・1946年12月21日  昭和南海地震(昭和21年)

 

(参考)南海トラフ巨大地震(Wikipedia)

宝永地震(Wikipedia)、宝永大噴火(Wikipedia)

 

「M46.富士宝永噴火と災害復旧」より拝借

 

元禄地震が起きたのは、元禄16年11月23日(1703年12月31日)、関東での慶長地震は、慶長9年12月16日(1605年2月3日)です。

 

どちらも、前記事で触れました『名峰・富士の知られざる誕生の物語』に登場するフィリピン海プレートの動きそのものですね。

 

他地域での慶長大地震は、下図を参考にしてください。

 

気になることには意味がある(40)より

 

「富士山のおいたち・歴史時代の噴火史」より拝借

 

宝永地震右矢印宝永4年10月4日(1707年10月28日)

 

宝永大噴火右矢印宝永4年11月23日(1707年12月16日)

 

前述の元禄地震も11月23日に発生していますが、新嘗祭の日ですね。ふ~ん・・・なんでしょうね~??

 

 

有料記事をお読みになっている方も驚かれたと思いますが、10月28日というサインは重要みたいですね。

 

国内最大の内陸型地震「濃尾地震」が発生していますし、アニメ「東京マグニチュード8.0」B’Zのアルバム「RUN」にもシンクロします。

 

今年、来年の10月28日に同じことが起きるという意味ではなく、同じ事象が近い将来に起きるという意味ではないでしょうか?

 

 

なお、「アグネスの独り言(7)」で触れました宝塚歌劇団出身の「大地真央さん」に関連した事象が近いうちに起きるそうです。

 

 

あと、気になる点としては、6月8日に東京・八王子市で高校1年生の男子生徒が拳銃自殺を図りましたが、10日から話題になっている渡部建さんは八王子市出身で神奈川大学卒業なんですね。

 

たまたまなのでしょうが、大地真央さんと共に気になっています。ではでは~カメラ

 

(過去記事)