皆さん、こんにちは。しばらく記事更新をお休みしておりました。インフルエンザで寝込んでいると思われた方も多いと思いますが、全然感染する気配もなく普通に過ごしております。ただ、息子がインフル&肺炎で緊急入院し、一昨日退院したばかりなのです。![]()
家族の入退院もそうですが、年末のお掃除などで忙しくしておりまして、特に取り上げるニュースもないのでお休みしておりました。ご心配をお掛けして申し訳ありませんでした。(誰も心配してないって?w)
さて、12月13日の「第12回・第13回ご報告~22を超えてゆけプロジェクト」においてご報告申し上げました「聖徳園 あわら敬愛こども園さん」から、本日お礼のお手紙が届きましたのでご紹介いたします。
拝啓
師走の候、〇〇様におかれましては、益々ご清祥のこととお喜び申し上げます。
平素は、当施設の活動につきまして、ご協力とご支援を賜り、厚くお礼申し上げます。
さて、この度は、北海道の味覚をありがとうございました。
早速、子ども食堂で使わせていただきます。お心遣いに感謝申し上げます。
今後ともご指導ご支援を賜りますようお願い申し上げます。(以降は省略)
令和元年12月23日
社会福祉法人聖徳園 あわら敬愛こども園
園長 渡邉 一幸
(過去記事)
‟伝説の麒麟”は平穏な世にやってくる(11/18)
【弥勒下生は近い】謎多き聖徳太子(1)(8/30)
【弥勒下生は近い】謎多き聖徳太子(2)(8/31)
聖徳太子の「未来記」(1)(2016/7/4)
聖徳太子の「未来記」(13)(2016/8/1)
今年最後に届いたお礼状が「聖徳園」という点には、「嬉しいような~」「意味ありそうな~」感じがしております。「22を超えてゆけプロジェクト」の今年最後の贈呈先に「聖徳園」を選んだのは私自身ですので当然といえば当然なのですが・・・![]()
【弥勒下生は近い】~聖徳太子の予言(8/28)より
聖徳太子は25歳の時、人類の終末とも言える重大な予言を残している。
「私の死後二百年以内に、一人の聖皇がここに都を作る。そこはかつてない壮麗な都になり戦乱を十回浴びても、それを越えて栄え、千年の間都として栄える。しかし一千年の時が満ちれば、黒龍(黒船)が来るため、都は東に移される」
「それから二百年過ぎた頃、クハンダが来るため、その東の都は親と七人の子供のように分かれるだろう・・・」(引用終了)
「一人の聖皇が都をつくる」とありますが、”聖皇”とは桓武天皇のことでして、‟都”は云わずと知れた平安京のことです。
桓武天皇ねぇ・・・実は年が明けましたら、「弘法大師空海の御遺告(2)」をアップいたしますが、空海さんが唐から帰国する船内で桓武天皇崩御の噂を耳にするのです。少しご紹介しますね。なお、桓武天皇が崩御されたのは806年4月9日(延暦25年3月17日)です。3月17日?インフルで入院した息子の誕生日なんですが・・・![]()
(引用開始)
『わたくしは大同2年(807)に我が国に帰った。帰国の船の中で、日本の天皇(桓武天皇)が崩御されたと人々が噂しあっていた。これを聞いてわたくしは噂の真偽の程を確かめようと、船内の人々に尋ねたが、あれこれと論じ争うばかりで、はっきりとしたことが判らなかった。船が(九州に)着岸すると、ある人が告げて云った、(桓武)天皇がこれこれの日時に崩御された、と。わたくしは深い悲しみでいっぱいになり、白い衣をいただい(て喪に服し)た。』(引用終了)
「弥勒下生は近い~謎多き聖徳太子(1)」でも触れておりますが、聖徳太子はイエスと同じく馬小屋で生まれましたね。聖母マリアの懐妊にも伝説がありますが、聖徳太子の生母・穴穂部間人皇女は、「西方の救世観音菩薩が皇女の口から胎内に入り身籠もった」という似たような伝説があります。実は空海さんにも似たような伝説があり、空海さんご自身が遺告で述べております。
弘法大師空海の「御遺告」(1)(12/22)より
十二歳になったとき、父母は次のように話した。
「わたくしたちのこの子は、むかし仏弟子だったに相違ない。なぜかといえば、夢の中で天竺国(インド)から聖なる僧がやって来て、わたくしたちの懐(ふところ)に入るのを見た。そして、このようにして懐妊して生まれた子だからである。だから、この子はいずれ仏弟子にしよう」と。
透明人間(昭和53年 ピンク・レディー)
また、有料記事『消えた原爆』でお知らせした‟謎の秘術”は、聖徳太子が遺したものです。詳しい内容までは分かりませんが、わたしの勘ではいつかもう一度使用することになると思います。世紀のスーパースターとは、実に謎が多いものですね~。ではでは~![]()





