古代日本からの警告・聖徳太子の大予言

 

九州北部における豪雨被害が大変なことになっております。謹んでお見舞い申し上げます。雨はまだ収まっていないので、この件に関しては明日にさせていただきます。

 

 

「弥勒下生は近い」の第2弾は聖徳太子の予言です。中学時代から気になっている歴史上の人物の一人です。先日、冒頭でご紹介しましたビデオを見つけました。聖徳太子の予言は存じておりますが、今回は「太子自身の死」と「人類の未来」に関する予言を取り上げます。応仁の乱などに関する予言はビデオをご覧ください。

 

(参考) 聖徳太子(Wikipedia) 日月神示(Wikipedia)

『2016年に原発事故、日本沈没・・怖すぎて封印された聖徳太子の予言』より引用します

 

 

「私はまもなく死ぬし、子孫は一人も残らない」

 

聖徳太子は自らの悲劇的な運命も予言していた。太子は病死とされているが、蘇我入鹿に暗殺されたともいわれている。太子の死後、一族は入鹿軍に囲まれた。

 

太子の「争ってはならぬ」という遺言を守り、集団自決をしたのである。その悲劇のあった場所は、五重の塔の近く。一説によると法隆寺は、一族もろとも残虐に滅ぼされた聖徳太子の怨霊を封じ込める場所だともいわれている。

 

法隆寺(2019/6/16撮影)

 

聖徳太子は25歳の時、人類の終末とも言える重大な予言を残している。

 

「私の死後二百年以内に、一人の聖皇がここに都を作る。そこはかつてない壮麗な都になり戦乱を十回浴びても、それを越えて栄え、千年の間都として栄える。しかし一千年の時が満ちれば、黒龍(黒船)が来るため、都は東に移される」

 

【2018年秋】京都・吉野の旅(最終回)(2018/11/22)より

 

794年に桓武天皇により定められた「平安京」。約1000年の永きに渡って日本の首都であったが、黒船の来航により明治維新が起こり、首都は東京へ移される。

 

第三次世界大戦の予言

 

「それから二百年過ぎた頃、クハンダが来るため、その東の都は親と七人の子供のように分かれるだろう・・・」

 

 

「クハンダ」とは仏教用語で「末世に現れる悪鬼」のことである。真っ黒く汚れた禍々しい存在で、人の肉体も精神も真っ黒に汚してしまう性質を持っている。

 

 

「クハンダ」の正体は、隕石の来襲、核攻撃、福島原発から出てくる放射性物質などいろいろ考えられる。

 

 

では、聖徳太子が予言した運命の時は、いつなのか?それは、お釈迦様の亡くなった日から数えて二千五百年後。釈迦入滅の日は諸説あるが、欧米の学者の計算によれば、BC483年、484年、487年、500年となっている。

 

 

一番早い運命の時は2000年であるが、これはもうとっくに過ぎてしまっている。次に来るのは、2013年、2016年、遅くとも2017年には破滅の時がやって来ることとなる・・・(引用終了)

 

【日月神示】富士は晴れたり日本晴れ(1)より

 

聖徳太子の「2030年以降、人類は滅亡する」という予言は、あくまでも現代に生きる有識者の解釈です。わたしはそこまで悲劇的な予言ではないと思います。「2030年以降に3次元地球は終わりを迎えますよ~」という意味ではないかと思うのですよ。

 

ただ、「弥勒下生が近い」とは言っても、我々が何もせずに救世主の出現を待っていれば、自動的にミロクの世が到来するという意味ではありません。神と人が協力して築き上げるものでしょう。

 

 

「3次元地球の終焉」までに、一人でも多くの人間をミロクの世にいざなうために、弥勒菩薩(=イエス・天照大神)が下界に降りて来る、と解釈しています。2030年以降・・・私の予測では、2035年~2037年に起きる天文現象がリミットではないかと思っております。

 

(過去記事)

聖徳太子の「未来記」(1)(2016/7/4)

聖徳太子の「未来記」(13)(2016/8/1)