京都の祇園で5棟が燃える火事 火柱上がり一時騒然(7/9)

8日午後9時すぎ、京都市東山区祇園町南側で飲食店の従業員から「建物からいぶした臭いがする」と通報がありました。警察によりますと、火が出たのは祇園の花見小路通沿いにある木造2階建ての飲食店とみられていて、この店を含む5棟が燃えました。(引用終了)

 

 

昨夜、京都・祇園で飲食店5棟が燃える火災がありました。昨年5月、「千花」という日本料理店から出火し合計7棟を焼く火災がありました。その後、7月に行われる祇園祭では、後祭の一つである「花傘巡行」が猛暑のために中止になっています。

 

(参考)

「三つ星」割烹料理店から出火、6棟に延焼(2018/5/12)

 

祇園祭・花傘巡行中止と「対照的な夢」(2018/7/22)より

昨日、24日に行われる予定だった「花傘巡行」が猛暑のために中止されることになりました。例年にない酷暑ですから致し方ないですね~。

 

 

素戔嗚尊を始めとした三柱の神様が、八坂神社本殿に御帰還される行事のひとつが中止です。簡単に表現しますと、人間界にお残りになられるという意味でしょう。その神様が素戔嗚尊なのか、櫛稲田姫命なのか、八柱御子神なのかは分かりません。(引用終了)

 

全国的に最も有名なのは17日の前祭「山鉾巡行」です。う~ん、その直前にこの火災・・・素戔嗚尊はあの世へ帰らずに人間界に残っているのかもしれません。火災現場が、あの有名な「花見小路」というのも不気味です。

 

 

前記事でも触れました東京・荒川区での親族殺人事件ですが、自殺した父親が「娘を切った」と家族に話しています。娘さんの死因は首を絞められたもので、切り傷はありません。切り傷は父親の手首の方です。妙な言葉使いをしていますよね。うーん

 

松尾芭蕉が訪れし場所にヒントあり(6/26)より

 

娘の木津いぶきさん(18)から、どうしても伊吹山(岐阜県・滋賀県境)が連想されます。松尾芭蕉は野ざらし紀行(1684年秋~1685年春)において、大津から大垣までの途中で伊吹山に寄っているようです。

 

 

 

元禄2年(1689)の秋、松尾芭蕉の「奥の細道」は伊吹山のふもとの街「大垣市」で終えますが、その途中、伊吹山の美しさを称えこんな句を残しています。

 

「そのままよ 月もたのまし 伊吹山」

 

日本武尊像(伊吹山山頂)

 

西国征伐の次に東国征伐を父(景行天皇)より命じられた日本武尊は、大和を後にすると、叔母・倭姫命がいる伊勢に立ち寄ります。苦悩する日本武尊に倭姫命は、素戔嗚尊が八岐大蛇の体内から取り出した「草薙剣」「一つの袋」を授けます。

 

西征に比べて東征は苦難の連続でした。相模国では火攻めに遭いましたが、倭姫命からもらった袋に入っていた「火打石」「草薙剣」が日本武尊の窮地を救いました。そして、走水の海では、妃の弟橘姫の自己犠牲によって助かりました。


日本武尊と弟橘媛、そして走水神社(2017/1/20)

弟橘媛

 

深い悲しみの中、大和への帰路に着く日本武尊ですが、尾張の美夜受比売に草薙剣を預けたまま、伊吹山の神を素手で討ち取ろうとして出立します。途中で白い大きな猪と出会います。 日本武尊はこの猪を「伊吹の荒神の使いの者」と思い、「今殺さなくても、帰りに殺してやろう」と言われたが、この猪こそ伊吹の荒神自身だったのです。 (一説に荒神はスサノオという説がある)

 

荒神は日本武尊の言葉を聞いて大氷雨(雨と霧)を降らせ日本武尊は命からがら下山しますが、瀕死の身体で大和を目指すものの、鈴鹿を超えれば大和という能煩野(三重県亀山市)まできて、ついに力尽きてしまいました。

 

 

伊勢神宮・熊野本宮大社・伊弉諾神宮・元伊勢(外宮豊受大神社)・伊吹山を線で結ぶと、地図上に奇麗な『五芒星』が浮かび上がります。また、出雲大社~元伊勢~伊吹山~富士山のレイラインも有名ですね。

 

(参考)伊吹山ドライブウェイHP

 

 

気になる『津』ですが、大津市、津市もありますし、草津、津軽、会津、直江津、沼津、海津、多度津、宇田津、吉備津、津山、唐津・・etc 日本武尊に関係する「焼津」「木更津」も浮かびます。

 

【花鳥風月】祇園精舎の鐘の声(2016/6/12)より

平家物語02
 

話を最初に戻しますが、京都・祇園で2年連続の火災です。長い間、京都は陰陽道や風水に護られてきましたが、諸行無常(この世の一切の事象は常に移り変わる)ですから、これからはそうは行かないように思いますね。ましてや、八坂神社の御祭神である素戔嗚尊が動いているとしますと・・・目