伊勢湾台風(昭和34年9月26日)

 

伊勢湾台風(Wikipedia)より

1959年(昭和34年)9月26日に潮岬に上陸し、紀伊半島から東海地方を中心とし、ほぼ全国にわたって甚大な被害を及ぼした台風である。伊勢湾沿岸の愛知県・三重県の被害が特に甚大であり、「伊勢湾台風」と呼ばれることとなった。明治維新以来最大の被害を出した台風である。

 

 

犠牲者を3,000人以上出した台風として、室戸台風、枕崎台風とあわせて昭和の三大台風に挙げられ、その中でも最悪の被害をもたらした。伊勢湾台風での犠牲者の数は、1995年1月17日に兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)が発生するまで、第二次世界大戦後の自然災害で最多のものだった。(引用終了)

 

 

昨日、映画「砂の器」の動画を見ておりました。思い出したのは、三木謙一が伊勢の映画館で和賀英良の写真を発見したことから、幼い頃の「秀夫」ではないかと上京し和賀と会い、そして蒲田操車場で殺されたことです。

 

つまり、三木謙一が伊勢参りの旅に出なければ、殺されることもなかったのです。原作もそうなっておりますが、松本清張の作品ですからヒントがありそうで、「伊勢湾?三重県の県庁所在地の「津」は数靈18でもあるし・・」

 

国道41号線沿いの岐阜県で大雨被害(6/28)より

 

28日朝の夢で、愛知県~静岡県にかけての海側の地図が出てきました。地震も十分あり得ますが、伊勢湾台風を思わせる台風襲来もあり得るかもしれません。

 

なお、偶然なのかどうか分かりませんが、伊勢湾台風は昭和34年9月26日、洞爺丸が沈没したことで有名な洞爺丸台風は昭和29年9月26日に発生しており、共に9月26日です。「26は開始のサイン」です。

 

(過去記事)「26」は開始のサイン(2)(3/26) 「26」は開始のサイン(3/23)

 

 

7月12日の「築地の水神様、鳥居撤去のその先に(2)」において紹介しました照子さんが気にしていた「三河地震」のことですが、この地震で最大震度5を記録したのが「津市」でした。

 

愛知西部で震度4 東海道新幹線が一時運転見合わせ(4/14)

 

三河地震(Wikipedia)より

1945年1月13日午前3時38分23秒に、愛知県の三河湾で発生したマグニチュード6.8の直下型地震である。深溝断層(ふこうずだんそう)と横須賀断層によって起こされた地震で、北北西方向への延長線上には1891年濃尾地震を引き起こした根尾谷断層帯が存在し、更にその延長線上には1948年福井地震を引き起こした福井地震断層が存在する。(引用終了)

 

「46」は未来の数字(2)(6/27)より

 

「77」・・・中心・母港・産道・国土・確立・一瞬・鎮座・マリア・裕福・臨界点

 

「数霊 臨界点 ~ 深田 剛史」より

 

龍体日之本 神降地(かみこうち)

銀河の夜明けの幕開き

日之本開闢 尾張始まり

ヲワリ清める 言の玉(ことのたま)

響かせめぐるは言納靈(ことのたま)

 

‟美濃・尾張”が開かねば‟身の終わり”‟三河”の玉し靈抜けねば‟身皮”だけ。この三国から始めよ、世の立て替え立て直し。(引用終了)

 

映画「砂の器」