星田妙見宮・星降り祭

 

星田妙見宮の拝殿です。動画をご覧になればお分かりいただけると思いますが、拝殿の天井には「十二支の円盤」が掛けられています。針が「北」を指していますね。妙見信仰(北辰信仰)の神社らしいですね~ニコニコ

 

星田妙見宮・拝殿

 

 

御神体の織女石(たなばたせき)

 

織女石が、前記事でお伝えした3ヶ所に落下した「影向石(ようごうせき)」かどうかは判然としません。といいますのは、拝殿の裏手にもうひとつ磐座があるのです。それがこちらです。

 

拝殿裏手にある磐座

 

拝殿から鳥居に話を戻しましょう。一の鳥居の横にこのような案内板があります。

 

 

「わが国の隕石落下記録上、二番目に古いとされる弘仁7年(816)の星の降臨によって、この山の大部分が吹き飛ばされ、馬蹄形になっています。山を登りながら、当時の衝撃のすさまじさ、宇宙の神秘を感じて下さい。※最古の記録は、764年、続日本紀」

 

登龍の瀧

 

前記事でご紹介しました案内図にあります武曲星付近です。拝殿から下っていくと⑦「登龍の瀧」があります。816年7月23日の隕石落下地点が、この滝壺にあたるようですよ。

 

 

彗星探検家の木内鶴彦氏・著「宇宙の記憶」の記述が案内板となっています。瀧の正面には祭事場のような所があります。八角形になっており、中心にキャンプで使うようなコンクリート製ブロックが二つありました。

 

 

「多分、ここで火をおこすんじゃないかしら?」

「そんな感じですよね~」

 

と話しており、冒頭でご紹介しました動画を観て、予想通りだったと分かりました。「星降り祭」の際に祭事をする場所なんですね。

 

 

6月3日の「柏崎-千葉構造線と弘仁地震」の文末において、「弘仁地震が発生した『818年8月頃(弘仁9年7月)』を覚えておいてください。意外なシンクロニシティが本日判明しました。」と述べました。

 

そうなんです。現在の交野市に隕石が落下したのは、816年7月23日(弘仁7年)です。その2年後の818年8月頃(弘仁9年7月)に現在の関東地方で活断層型の大地震が起きたのです。

 

 

また、2016年の日刊ゲンダイの記事もご紹介しましたが、その中で地震学者が、「今はその地震(弘仁地震)からちょうど1200年が経つころ。数年の間に、いつ巨大な首都直下地震が起きてもおかしくありません」と述べています。

 

 

★弘仁(810~824)、天長(824~834)、承和(834~848)

 

★1200年・・・

・高野山開創1200年祭が2015年(平成27年)

・星田妙見宮鎮座1200年祭が2016年(平成28年)

 

鎮座とは、妙見山に七曜の星(北斗七星)が降臨(816年7月23日)したことですから、816+1200=2016年で間違いありません。

 

御影堂(高野山)

 

高野山の年表から

弘仁七年(816年)・・六月十九日弘法大師、高野山の下賜を請う
  同  上・・・・・・・七月八日高野山開創の勅許を賜る


空海さんが高野山開創に着手した年と隕石落下は同じ年!びっくり

 

気になることには意味がある(21)(2017/5/31)より

※ 交野山(こうのさん)の観音岩

 

そして、交野市には交野山(こうのさん)という山があり、読み方を変えると・・・こうやさん(高野山)にもなります。爆  笑

 

 

七星如意輪観音・・・18日に訪れた神呪寺では、1年に1回だけ御開帳される「如意輪観音像」、真名井御前(如意尼)から空海さん、不思議過ぎるくらい繋がってしまいましたとさ~ハート

 

(過去記事)【高野山・関西の旅】22を超えてゆけ?!(2)

 

これにて、「高野山・関西の旅」は終了とさせていただきますが、最後にもうひとつの隕石つながりです。1日夜の中国雲南省での隕石落下もそうですが、競馬の世界でもありました。お祝い

 

 

 

因みに、仏ダービーを制したディープインパクト産駒の「スタディオブマン(Study of Man)」の馬名を直訳しますと、「人(男)の勉強」となります。ではでは~完了