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After Five English ネイティブ感覚で英語がしゃべりたくなるブログ☆

海外に行きたい!英語を話したい!
海外の長期滞在から日本に帰って来たけど、
英語を話す機会が無い・・・・。
・・・・・でも英語に触れていたい!
そんなあなたをヘルプしたい!
ネイティブ感覚を身につけるお手伝いをします!


こんにちは、Kumikoです。

以前海外に住んでいて、日本に帰国してしばらく経った後に再び海外に住んだ、という人は少なくないと思います。その時に感じるフラストレーションはまた英語習得を始めた頃とは異なって、焦る気持ちも生じますよね・・・


いろんな人が、いろんな観点から英語に接していきますよね。


今日はカナダに来た当初の話をしようと思います。

シドニーで高校を卒業し、日本の大学を卒業して5年ほど社会経験をしたのちに、縁があってカナダに来ました。

カナダに来たのは8年前です。

いざカナダに来て、久々の海外生活~~!ルンルン~~!!!


なーんてことは全くなくて。


びっくりするくらい仕事は探しづらいし、カナダ系の職場においては日本での経験はほとんど参考にされないし、(東京に住んでいたというのもあって)不便なことだらけだし・・・・・・


でもって、なんとまぁ自分の英語が通じないこと!

日本で英語講師をして、一応シドニーでの留学経験もしていて、英語に対してある程度の自信があったのにもかかわらず、カナダで英語のコミュニケーションをすることが最初は大変でした。


カナダに来てまだ日が浅かったある日、自宅のネットが不通になり、ケーブル会社に連絡したのです。状況を説明したつもりが、全然違う部署につなげられて、一体なぜ!?と思いました。

原因は記憶にないのですが、覚えているのが、電話の向こうにいるオペレーターさん、ちょっと戸惑っていまして。私はたどたどしい話し方をしていた、と今となっては思います。英語で順序立てて状況を説明してはいたと思うのですが・・・・


他にも、通っていた学校のクラスメイトとの会話や先生、はたまたよく行くカフェの店員との会話がたどたどしかったのです。現地の人が使っている表現に全く慣れていませんでした。


留学生活を終えて英語を使わなくなった時期が一時期あり、3年ぶりにオーストラリアに行った時に英語を使わないと確実に忘れてしまう、ということを思い知らされたから、社会人になってからは英語を使う仕事に就くことに決めていました。そして、英語をほぼ日常的に使うようにはなり、英語を日常的に使っているから「大丈夫だろう」という思いもどこかにありました。


にもかかわらず、カナダに来たら

「あれ・・・・アタシ、全然喋れてないし・・・」

自分自身にがっかり、というか・・・描いていた状況と全然違うことへの焦りというか・・・

気づいたらラジオ番組が何を言ってるかもわからない・・・・
フリーペーパーの内容も何のこっちゃ、頭に入ってこない・・・・

凹み始めたら耳と目のアンテナまで塞がってしまいました。

英語をもっと上達させないとマズい・・・と焦るものの、とにかく苦手意識だけが先走ってしまって、萎縮してしまいました。

そんなこんなで、資格もなんとか取り直して、ESLの学校に
臨時講師としての仕事が決まり、ほっとした反面、内心「務まるのかな・・・・」という不安がありました。


カナダ自体を理解していなかったです。

そして、海外生活を甘くみていました。


オーストラリアで英語を話すのと、日本で英語を話すのと、カナダで英語を話すのとではそれぞれ全く異なったコミュニケーションの形があるのですね。

使う単語も、表現の仕方も違うし、カナダでしか使われないスラングやイディオムも存在しています。カナダに住んでいる人たちのコミュニケーションの仕方とアメリカに住んでいる人たちのコミュニケーションの仕方は異なります。勝手が違う分、そうなるのも当然ですよね。

カナダで話される英語、カナダ人のコミュニケーションの取り方、移民大国であるが故の文化。。。。英語がこんなにも違うだなんて・・・

ある意味カルチャーショックでした。

しかも日本の生活に慣れていたから勝手の違いを「不便」と勘違いしていました。比べることは悪くないのでしょうが、「違い」を認識せずに「不便」と思っていた自分が恥ずかしいです。

カナダで話す日本語は、日本で話す日本語とはまた違います。
内容も異なるし使う単語も必然的に違ってきます。同じことが英語にも言えるのですね。時の流れもあるので以前とは違う表現を用いて何かを話すこともありますよね。

日本に住んでいた頃「英語はライフワークだな」ってふと思ったことがありますが、カナダでもろにそれを痛感しました。

日本語が母国語である限り、英語は私にとって生涯を通して習得していくものだと。

カナディアンのメンタリティーや生活様式の影響もあってか、そのうち居心地の良さを見出し、あまりガツガツと焦るようなことはしなくなりました。

時を経て今・・・・

正直、まだまだ、まだまだです。

つい最近も、仲のいい同僚と一緒にやるプレゼンの内容のことで困惑させてしまい、ちょっと様子がおかしいなと思ってメッセージを読み返したら明らかに私の理解力の乏しさが原因だったことを発見。誤解は解けましたが、もうハラハラしてしまいました。

いろいろと肝に銘じることが多い日々です。

でも、それはそれで刺激的だし、いろんな有難い瞬間にも巡り会います。こういう過程が大事なんだと思えてきました。止まることなく歩まないといけないのですね。

そして、カナダに来た当初の戸惑いや、抱えていた悩みがあったから、今は英語習得についていろいろなことが意識できるようになったんだな、とも思います。


ツールは、使わないと慣れていかないし、
使わないでいると鈍ってしまう。
そして、ツールは常に変化を遂げる。
英語はコミュニケーションを取るためのツール。
使い方を意識することも大事なんだと思いました。


英語を用いてのコミュニケーションは常に動きがあって、そして、場所も時間も変われば様式、用法も変わる。そしてそれを認識して使うことは思いの外ストレスになることもあります。

でも、つまづいてもいいじゃないですか。

それが後々「ああ、いい経験したわ~」と思えるはずなのです。

もしこれを読んでくれているあなたが、海外から日本に帰国してしばらく経った後に再び海外に渡って、英語に対するモヤっとした悩みを抱えているのであれば、とにかく焦らず、まずは生活を謳歌しつつ習得に前向きに挑んでみてください。気長に、気長に。

現地で色々と英語に触れられる良い機会、環境が周りにはたくさんあるはずです。

気負いせずにいきましょうね。

最後まで読んでくれてありがとう。

Kumiko

こんにちは、Kumikoです。

いかがお過ごしですか?

この前、サスカチュワン州(Sakatchewan: カナダはアルバータ州の東隣にある州です。アルバータ州とマニトバ州に挟まれています)出身の友達と電話で話すことがありました。

その友達は、日本が大好きで、ジブリに憧れてイラストレーターを目指しています。彼がバンクーバーの美術専門学校に通っていた時に、別の友人を通して出会ったのですが、電話で色々近況を話していたら、ポロっと、

「ねぇ、日本語教えたら?」

と言われ・・・・


私の最初のリアクションは

No way!

でした。笑

その友達は目下日本語を独学中で、日本語と英語で説明できる人がいたらいいじゃん、という見解を持っていました。

きっとYouTubeには多くいると思うのですよ、ちゃんと英語で日本語の単語やフレーズについて話せる人は。


私は英語を教えるトレーニングは受けているし、教育も受けましたが、日本語を教える教育は受けていません。

しかも、日本語を教えるのってやはり容易なことではありません。

なので、日本語を教えることができる方にはもう、頭が上がりません。

日本語はやっぱり複雑で、えーっらい大変な言語です。覚えることも山盛りです。ひらがな、カタカナ、漢字、尊敬語、謙譲語・・・・・・もう出てこない・・・・。

そして日本語を習得しようとする人たちにも恐れ多いです。

日本語を話して育ったからって、日本語を教えれるとは限らないのです。


ただ、実は各方面の色々な友人や知り合い、はたまた同僚から聞かれるのです。


「日本語教えないの?」と。

その度に、Just because I grew up speaking Japanese, it doesn't mean I can teach Japanese. (日本語を話して育ったからといって教えることができるとは限らない)と言っていました。

でも、、、でもね、ちょっとチャレンジしてみようかと。
(やるんかい!笑)


どこまでできるかわかりませんし、いいビデオが作れるかもわかりませんが、やらないとわからないじゃん!ということで。苦笑

ダメならさっさと見切りをつけます。


そんな覚悟でまずは簡単なフレーズや気になる一言についてポロポロとつぶやいているビデオをアップしてみたり。笑


さてさて、それはさておき。


今回は、「使う」ということについて話してみたいと思います。

よく I use English to communicate.と言った具合に、「使う」という動詞が用いられます。

そう、この『使う』というメンタリティー、何気に大事なのです。

私も色々なところで「~という用い方をします」や、「~は使われます」という感じで英語のフレーズや単語を紹介しています。

というのも、インプットは色々と無意識にしているので、あとは、当てはめる、というか、引き出しを開けるような感覚で『使う』のみなのです。

もし使い方を誤っていたら使い直せばいいだけ。

sayspeak だとちょっと気負いしてしまうかもしれませんが、use だったらなんとなく感覚的に楽だと思うのです。
なので、あるものを「使う」という感覚で英語のアウトプットに取り組むといいかもしれません。

「これをなんて言おう」という時に、日本語から英語に訳するのではなく(訳をしようとするともうテンパってしまうしもっと疲れます)、知ってる単語をとりあえず語順が間違ってもいいから並べる、すなわち、単語を使う、という風にアプローチを変えてみると、『英語=英語』というマインドになるかと思うのです。うろ覚えでもいいから塊になっているフレーズを口に出してみる、これが「使う」そのものだと思います。

ひょっとしたら覚えないといけないこともあるかと思いますが、繰り返すようになったら体に染み込んできます。

言語は、使わずして損です。日本語を介さずとも使おうと思えば使えます!

「こういう時はこんな風に言うのね」の方が後々いろいろ応用がききます。訳すると、その場では言えるかもしれませんがあまり応用力はありません。使って使い回してみましょ(^^)

今日はそんなメンタリティーの話でした。

最後まで読んでくれてありがとうございました☆







こんにちは、Kumikoです。


今回は「クラスでの辞書の使用」について書いてみたいと思います。

前回のブログでもちょっと話した「クラスでの辞書の使用の可否」、私のクラスでは原則的には NO です。

クラスによって、そして先生によってルールは異なりますが、私のクラス、そして多くのクラスでは

1st - ask your classmates in English / explain in English
2nd - ask your teacher
3rd - use English-English dictionary
4th - use your dictionary (with a permission)


というルールが設けられております。

辞書ってね、特に母国語の場合は、理解以前に『訳』止まりになりがちなのです。

辞書自体は奥が深くて、便利です。品詞も例文も何でも揃っています。じっくり読んで理解を深めるには最適です。でも、『クラス』という流動的な場でで使うとなると、よっぽど「辞書を牽く時間」を設けない限り、意味を深く理解するまでには至らず、「とりあえず訳して意味をつなげる」ことに傾倒してしまうのです。


これは私自身も経験しました。
辞書片手に授業を受けて、単語の意味はわかっても、結局先生の話は耳に入らず、授業の内容も右から左・・・。

ある日辞書を忘れたのをきっかけに、辞書は家に置くようにしました。
単語が飛び飛びでわからなくても先生に英語で説明してもらったりクラスメイトに説明してもらって、内容も理解できたし、何より先生の話が耳に入り、わからない単語はメモするにとどめました。


授業中に辞書を牽いて
「そうか、こういう意味か。じゃあ今度使うときはこう言おう」
というところに至るのはそんなにないです。

むしろ、英語で知って英語で理解した方が実は長い目で見ると楽です。
なんでかって、結局は英語でのコミュニケーションだからです。

よく新しい単語が出てくる時に生徒さんに聞かれます。

生徒:Kumiko, what does 'climate' mean?  I don't know this word.
私:It means weather or weather conditions.  Many people enjoy skiing in Canada because we have a cold climate.

私が説明する際はまず同義語・同意語を伝えます。定義よりも同義語を言うと「ああ!」となります。ここではできるだけ同じ品詞の単語を用います。
そして、そこでも「?」な場合は、例文を作ります。

それを生徒同士にも徹底してもらっています。

以前は生徒たちも、同じ母国語を話す場合サクッと訳をしてクラスメイトに伝えることがありました。良かれと思ってやっているのです。

しかし、理解は深まっても多分使うことはありません。
英語で発音することもなければ、母国語で覚えてしまうからです。
単語同士の引き出しを使うチャンスが消滅するばかりか、使う機会もそこで実は半減するのです。

実際、英語で説明する生徒さんたちは英語で頭の中をサーチしているので刺激になるし、覚えていきやすいのです。

今となっては、何か新しい単語が出てきて誰かが質問した際、「答えさせて!」と言って説明したがる生徒の方が多いです(まるで言ったもん勝ちのごとく。笑)

生徒同士でもわからない場合は私に聞いてきます。
私もできるだけ粘り強く説明はするのですがどうしても私の説明でも「???」の場合、教室にある英英辞書を使ってもらいます。

母国語の辞書は授業中は本当に出番がありません。

使いたい時は May I use my dictionary?  と言ってもらうようにしています。

携帯の辞書を使用する生徒が大半ですが、基本的には携帯は鞄の中にしまってもらっています。

No phones on the table, please. という一言を授業の初めに呪文のように唱えています。笑

でもって電子辞書の不利な点は、書く上でのスペルの上達が遅くなることですかね。辞書が検索してくれちゃうのです。便利な世の中です!

でも、うっかり検索をして全然違う単語の意味を覚えている生徒もいます。

前に、entertainment という単語の意味を知りたくて(でも他の生徒にも聞けず私にも聞けず)机の下で辞書を牽いたのはいいけど、予測変換で enterprenur と検索していて、違う意味を紙に書いていた生徒もいます。

しかも、辞書にはない表現も多く用います。
「この単語は辞書にないよ」
って、そりゃそうだ。
全部が全部辞書にあるとは限りません。

今の時代、辞書よりもネットで検索する方が楽かもしれません。

言語は生きています。
使われる場所が異なれば表現も異なるし、世代が違えば違った表現を用いる場合もありません。全てが辞書にあるとは限らないのです。

なので、まずは人、次に人、機械は後ほど!
というスタンスで挑んでいます。

この方が英語でのコミュニケーションが取れますしね。

人と会って話している時に辞書使う?

と生徒に聞くと「あぁ、使わないね」と反応してくれます。
「授業もコミュニケーションだよ」と言うと、なるほど、と理解してくれます。

授業中や誰かと会話をしていて知らない単語が出てきた時は「後で辞書を牽く」目的で以下のような質問ができます。

What does ---- mean?
Can you give me some sample sentence?
Is that a noun / verb / adjective ...?
How do you spell that?

などなどと聞くことができます。

確かにね、辞書の正確性というか、辞書を牽いて納得するのも大事なのですよ。でもそれは家で復習する時の使用を勧めます。

英語で授業を受けていて、母国語の辞書を牽いて母国語で理解するのって、疲れるんです(経験者は語ります)。

復習の時は存分に使ってもいいと思います。でも、それでも母国語の辞書の使用頻度は下げつつ行った方がいいのではと思います。

最終的には英語での理解がコミュニケーションをより円滑にすると思うのです。

英語を英語で理解するのはそんなに大変なことではありません。

実際、今以下の文章を見ても日本語にはわざわざ訳はしませんよね?
英語のままで理解したりイメージしたりしますよね?

I have two dogs.

これは極端な話ですが、短い文章から例文も取り組んでいくと後々楽だったりします。

私のYouTu-Blogで冒頭の約1分間英語で話すことがあります。そこは英語の字幕を付けていますが、日本語に訳すことはしません。「なんとなく」でいいので、「こんなこと言ってるのかな」いいのです。じゃぁこれを使ってみよう、ってなったら文法や訳ではなく「英語で理解」する感覚を身につけてもらえたらと思うのです。

ちなみに、フレーズ紹介も訳を紹介しているつもりもありません。
状況を想定した際に使われるフレーズです。訳をするとたちまち不自然なフレーズだらけになってしまいます。

もし、YouTube内で私が使った表現で「???」となったら、そのフレーズごとネットで検索してもいいと思うのですが、その際英語での方法が幾つかあります。

フレーズの後に definition / synonyms / meaning といういずれかの単語を付けて検索するのです。そうすると英語で出てきます。

もし仮に英語の意味も理解できなかったら辞書の出番でしょう。
でも、我慢大会じゃないけど、辞書を用いないであえて英語で英語に挑むマインドを持つことで感覚が養えると思うのです。

何か新しい単語やフレーズや表現を耳にしたり目にした際は、文法を意識せず、訳を意識せず、「こんな感じのこと言ってるのね」「こう言いたい時はこんなフレーズなのね」で止めて、まずコミュニケーションすることを念頭に置いてみてください。

そして、これもちょっとした環境づくりの一環だと思っています。

またも長くなりましたが・・・・・汗


最後まで読んでくれて、どうもありがとう(^^)

Kumiko


こんにちは、
Kumikoです。

実は私の自宅にはテレビがありません。

なので、日頃のニュースはネットを介して知る日々です。

10代の頃によく聞いていた Prince氏の訃報はFacebookの友達のポストで知り、衝撃が走りました。

Michael Jackson氏が他界した際も、大好きなアーティストだったのでショックだったのですが、反面、心のどこかでMichaelと同年代のPrinceは不死身という根拠もない思いがあり、きっとおじいちゃんになってもかっこいい音楽と世界を作ってくれるんだろうな、と思っていたので本当に残念でなりません。

天国で、David BowieとMichael Jacksonとコラボでかっこいいフェスを開いてるといいな。。。


さて



前回のブログで辞書についてつらつらと述べさせてもらったのですが、今回はちょっと延長線上の話をしようと思います。

個人的な見解になるのですが、英語の習得、特に「インプット(リーディング・リスニング」は感覚的にジグソーパズルを埋める感覚に似ている気がします。


はい?

ってなるかもしれませんが・・・・・

個人的には本当にそう思うのです。
私が英語を習得し始めた頃、ある日、頭の中に

「あ、英語の勉強ってパズルみたい」

ってポッと思ったことがありまして。以来パズルなのです。笑

でも、どう言葉にして説明したらいいかがわからず今の今まで来ていました。

ジグソーパズルの箱には出来上がった時の全体の絵が描かれていますよね?
そして枚数も決まっていてサイズもわかります。

外側の枠を埋めていってから中のピースをはめ込んでいく感覚が英語で何かを読んだり聞いて理解する時の感覚とそっくりなのです。

全く英語がわからない時は、いきなり難しい本を読んだりラジオを聞いても理解することはできません。モチベーションが下がるばかりです。

パズルも、膨大な数だとやる気が失せて、気付いたら物置にある荷物の一部になりかねません。

でも、簡単な本を読んだり、一部を抜粋して読んだり、短めの音源を聴いたりすることでちょっとずつ習得を進めていくことができます。パズルも枚数が少ないものや絵シンプルなものから始めていくと埋めやすいですよね。

「何から読んでいいかわからない」
「何から聞いていいかわからない」
と、言語習得においてのこのような悩みをお持ちでしたら、まずは、ある程度知っている単語があって、全体的な内容がわかるものから始めるのがコツではないかと思います。

私の場合は、それがポップソングの歌詞だったり、大好きな映画の原作だったり、推理小説の原作だったりしました。でも絵本も読んでいたりしました。絵があると想像しやすかったからです。

馴染みのあるものから始めることで基盤が作れていたと思います。
そして、段落ごと、ページごとに繰り返しながらも進めていきました。

多少その中で知らない単語や聞き覚えのない表現があったとしても、なんとなく「こう言うことを言ってるのかな・・・」という感覚が出てきたと思います。知らない単語の数が膨大すぎるものは手をつけずに避けました。

語彙力がついた後に、もっと長めな文章や少し難解なリスニングにチャレンジしていきました。リーディングをする上で、キリのいいところまで読んでいき、わからない単語が出てきたら、とりあえずメモしておき、とにかく全体の内容をつかむことを心がけながら繰り返し読むことで、脈略をつかむことを意識するのは大事なことかと思います。スキミングやスキャニングをかいつまんが感じのものです(skimming/scanningは両方とも用法が違うし異なる技術を伴います)。

パズルのピースにしても、全体の絵を知ることはパズルを埋め込む鍵になりますよね?「この絵のこの部分にこのピースが来る」というのは、絵を知っているから。パズルの絵が欠けていくことから始めても、なんとなく全体像は作っていく上では浮かびます。

単語ひとつの意味を知ることを欠けていたとしても、全体の内容はつかめます。ただ、知らない単語が多すぎる場合はその読むもの自体を避けるのが賢明だと思います(もしくは文章単位で進めるか)。

ぼんやりとした外枠があるのとないのとでは全然変わってきます。

もちろん、一つ一つの単語に意味はあり、その単語で文章が成り立ち、さらにはその集合が段落を形成し、ストーリーが出来上がっているので、

「この単語を知らないことで何か大事な情報を受け取り損ねているかもしれない」

という思いから単語の意味を知る必要があるという気持ちが生じることは多々あります。

ただ、単語の意味を理解することばかりに集中してしまうと、全体の内容を知らないままになってしまうか、聞き流してしまいます。リーディングではまだ繰り返して読むことができますが、リスニングだとそういうわけにはいきません。

リスニングに関しては、何かを聞いている時に気になる単語を耳にして辞書を使用することで、その後の文章が耳に入ってこなくなります。

必然的に下を向いて辞書に記載されてあることを目にすることで、話し手のボディーランゲージや雰囲気が伝わってこなくなってしまうのです。

コミュニケーションの大半はボディーランゲージから成り立ちます。
ボディランゲージからも多くの情報を掴み取ることができますし、コミュニケーションが成り立ちます。

そして、辞書を見ている間も情報は流れています。
一つの単語にとらわれているとそれ以上のものが理解できなくなりがちなのです。

もし、会話中や授業中に意味を理解し損ねた単語があって、気になったら、まずは会話を止めてもいいから単語の意味を相手に聞くか、止めるのに抵抗があるならせめて綴りを聞いてメモしておく、もしくはカタカナでもいいから書き留める、その場で辞書を牽くのではなく、引き続き聞くことに集中して全体的な内容を把握することが大事だと思います。(このような場合の時に会話を止めるのは講師としてもとても有用だと思います。なぜなら、その質問をしたい生徒さんはクラス他にもいるという確率が高いからです)

もしビデオやポッドキャストであれば、何度でもいいので辞書を使わずに、まずは「だいたいこんな話をしているのかな」というポイントを納得がいくまで掴むことを勧めます。単なる雑音にしか聞こえないとすれば、もう少し短めのものを選ぶか(だいたい一つのリスニングに際しては一度に聞く長さが30秒から1分半のもの)、ゆっくり話されているもの、聞いてて「あ、これなら聴けるかも」と思えるものを選んで繰り返して聞いてみてください。馴染みのある内容や声を基準に選ぶと良いでしょう。最初のうちは、同じ声の人を何度も聞くことは発音でも効果的だと思います。

リスニングに関して言うと、日によっては耳に入ってくるものとそうでないものがあります。目よりも耳の感覚の方が脳内の思考に働きかけるパワーが大きいのかなと思います(これは独断と偏見で言わせてもらっていますが)。

英語環境を作るために終日(もしくは長時間)英語のラジオを流すことは、内容を理解することよりも英語で話されるイントネーションやトーンなど、『音』の認識をする上では効果的だと思います。

リスニングで理解するのであれば、まずは短いものから(リーディングと同じです)始めることが大事だと思います。言語習得は、脳内で第一言語を使用する際に使われる部分とは別の部分が刺激されるので結構疲れます。

一気にドカーン!とやると疲弊してしまいがちです。疲れてしまうとモチベーションも下がるし、思い通りに進まないというフレストレーションも溜まりがちになります。情報量も多いのでちょっとてんやわんやになります。

なので、ご自分のペースで進めてくださいね。
そして、「繰り返すこと」は、必ず応用になります。一度や二度ではなく、違う角度を意識して何度でも何度でも同じリスニングやリーディングの材料を使い込んでください(講師たちの間では、このような行為を Material Recycling と言います。一つのプリントにしても、最低3回は異なったアプローチを取ることが多いです)。

パズルも一度完成したらまたバラして、そして再度作り上げていくときに前ほど時間がかからずに作成していくことができますよね。それは一度目の作業が応用できているからだと思います。より全体図が明確になっているし、ピースの位置のみならず、ピースの絵の細かいニュアンスも把握しつつあるからだと思います。「今度はこの柄のピースから始めよう」「今度はこの形のピースから埋めていこう」という、別の計画を立てることもできます。


と、ちょっとパズルと英語習得、ってなかなか極端な例え話をしてしまいましたが・・・・・・


最後に、これまた経験上のコツですが、小説や新聞にしても、和訳版を読んでから原作を読むのも一つの方法だと思います。

辞書をたくさん牽くことに嫌気がさした頃、当時シドニーに住んでいた私に、いつも和訳版で読んでいた大好きな推理小説の原作を母が送ってくれたのです。先にストーリーを把握していたので、スラスラと読めて、辞書を使わなくても大まかな内容を知ることのみならず、「日本語でのこの表現は英語でこういうのか!」という体験をたくさんしました)

普段からあまり読み物をしない、という方でも、短いものであれば継続できるかと思います。ある程度慣れてきたら、気になる本を図書館で借りたり買ったりして、「いつかこれを読破したい!」という目標を立てていくこともできます。


感覚を培う方法は人それぞれですし、効率的に進める方法もきっと沢山素材するはずです。


こんにちは、
Kumikoです。

バンクーバーは快晴の週末でした。
近所のあちこちで夕方から草刈機の音が聞こえるこの季節、まだ夕方5時6時は日が全然沈まないので、そういうところでカナダ西部の春を感じたりしています(^^)

しっかし、、、
やっぱり日本の川沿いの桜模様は風情があっていいですねぇ・・・・。

さて、以前のブログで Diversity Inclusions についてちらりと話したと思うのですが、この Diversity Inclusions、一言で言うと「多様性の受け入れ」でして、これには性別の選択や性に関するアイデンティティーのみならず、
異文化、通常の生活において考えや価値観の違いなどを含む多様性全般を指します。

私が携わっているプログラムでは絶対的に必須な課題となります。

そして、その理念を私は受け継ぎたいし、引き継いでいきたいとも思っています。


でね、ちょっとこれに関連してなくもないのですが、、、
でもって、書くことも迷ったのですが、ちょっと綴ることに決めました。
そのうち消しているかもしれませんが。。。

少し前、ついに自分の受け持つ午前のクラスの生徒たちに、ちょっと大きめな雷を落としてしまいました。。。。

今現在、私が受け持つ午前のクラスは9割が中国からの生徒で占められています。そして、ごく少数でパキスタン、ベトナム、イラク、イランからの生徒がいます。

授業中は English First のポリシーを貫き、それこそ辞書も使わないことを徹底しています(これについては別の記事を書こうと思っています)。

休憩中も本来は英語を話すのがうちの学校のポリシーで、パーティーや課外授業でももちろん英語を用いるのがルールです。ただ、この時ばかりはルールがあってないような状態になります。

ごく一部の生徒たちはそういう時も英語で会話をすることを務めていますが、その環境にはなかなかなりませんでした。というのも、多くの生徒たちが母国語で休憩時間等を過ごすのです。

授業とは関係ない話題や情報交換をする場になるので、英語よりも母国語の方が意思疎通は早いし、簡単だし楽だというのはわかるのですが・・・

私もスタッフルームで他の講師たちと休憩を過ごすので今まであまり気づきませんでしたが、休憩時に何が起きているかというと、中国からの生徒以外はほとんどポツンとなっているのです。

そりゃそうです。

言語がわからないから話に入っていけない。


それに配慮する生徒たちがほとんどいない。


しばらくこの状態を観察し、私も時折「English, please!」と言うものの、私がいなくなったら途端に母国語に戻ります。そして中国以外の出身の生徒たちはポツン。これは何も私のクラスで起きているわけではありません。

ちなみに、午前のクラスはある程度英語で文章も作れて意見も言えて感情も伝えることができるレベルです。日常英会話も基本レベルでは問題なくできます。

生徒同士の偏見、別の国に対しての偏見は、クラス内にはあるとは思いません。

中には頑張って話の輪に入ろうとする別の国の生徒もいますが、なんせ二言目には母国語に戻るので、多くが匙を投げてしまう状態・・・・

いつの間にやら、共通の話題がなくなり、その流れで話さなくなる、というサイクルが始まっています。ちょっと悪循環なサイクルです。

でも、これをどうにかしようという動きも見られない・・・
どこかで諦めているのです。

「彼らは英語を話さないから話す気がない」

「英語で話しかけてこないからこちらも母国語を使って話してもいい」

みたいな空気が伝わります。


なので、ちょっと前に参加したワークショップの案を借りてテコ入れする時期がいよいよやってきてしまいました。


そのワークショップの案は、ゲストスピーカーが私たち講師に
「どんな先生が好き?」
「どんな先生のクラスが受けたい?」
という質問を投げかけ、それぞれグループになってアイディアを出し合い、具体的にポスターに書く、という作業です。

そして出来上がったポスターを壁にかけて、ゲストスピーカーは私たちにこう質問を投げかけます。

「あなたがた講師たちは実際このような先生になれていますか?」と。

これにはちょっと別格の経験をさせてもらいました。
ハッとさせられ、反省もし、色々と省みるきっかけを与えられました。


この案を今回は私の生徒たちに対して採用してみたのです。

まず、生徒たちに
「自分の子供たちにはESLの学校ではどんなクラスメイトでいてほしい?」と。

そして、ポスターにはいろいろ書き足されていました。

Respect other students.(他の生徒たちを尊敬すること)
Be helpful.(役に立つようにいること)
Be a teacher and a student. (先生にもなること)
Always use English.(いつも英語を使うこと)
Follow the teacher's instructions.(先生が言うことに従うこと)
Be peaceful.(穏やかでいること)
などなど。

いざ壁にポスターを貼り、ほほう、、、と
みんなそれぞれが作ったポスターを見ていました。

私は、そこで生徒たちに

「で、自分ではこういう生徒でいれてる?」

と聞きました。

途端にクラスはシーン・・・・・
本人たちは反応に困っていました。
でも、私も言いました。

「できてないよね?」

そりゃ気まずいですよね。

気まずいの覚悟でしたから。

この時点で私もちょっと感情的になりました。

なんの落ち度もないのに、話したくても話の輪に入れない生徒たちのことを考えてしまいました。

雷を落とす気満々でいる私でしたが、同時に次の作戦も企てていたので、そのままどんどん雷を落しました。

続けて私は、生徒たちにはこう言いました、

休憩中のみならず授業中でも英語で意思疎通ができる時に母国語を話すのはどうして?と。

誰かが話している最中になぜ口を挟むの?なぜ発言している人にチャンスを与えないの?

今のままのクラスでの態度ではいざ学校に来なくなったとしてもカナダの社会には受け入れられることはない、と。(ちょっと厳しめ)

どんなに英語を上達させようとしても他の生徒たちをリスペクトしないでいるなら、英語でだってコミュニケーションはとれない、と。

学校(特にLINC プログラム)にいるのであれば、良い生徒でいようと先生に印象を残すのではなく、互いに良いクラスメイトになるよう心がけるべきだ、と。

普段からお互いをリスペクトして誰も外されることのない雰囲気を保つようなことができないなら、クラスを受ける必要はない、と言いました。
どんなに良い生徒(これも疑問ですが)でも、こういう生徒にはクラスに来てほしくない、と。。。。。。。。


私としては、生徒たちに別に私に良い生徒であってほしいとは欠片も思いません。まぁ、反抗的な態度をとったり差別的な発言があった時点でもちろん容赦なく警告したりするわけですが、多少憮然とされてもそれはあまり動じなくなりました。

むしろ、生徒同士がお互い良いクラスメイトにならないと、英語のコミュニケーションはもとより、クラスで建設的な授業を受ける、ということができない、ということに気づいて欲しかったのです。

ここで私の言う良いクラスメイトは、異文化を理解し、多国籍であることを受け入れ、「英語」というツールで意思疎通をしてみんながそれぞれ何かを意思表示したり意思疎通したりするチャンスを得ること、与えること、です。

Give each other chances! 

と、ちょっと声を荒げてしまいました。

子供にこうであってほしい、ということがなぜ親であるあなたたちができないの?

と。

ええ、思いっきり生意気なことを言っているかもしれません。

でも、私のクラスの生徒たちには、クラスの外でも羽ばたいてほしいし、他の言語を母国語としている人たちがいる場でどうして英語でやり取りができないのかも自問自答してほしいし、
移民が多いカナダに来たという自覚を持ってほしいのです。子供達にそう教えているのであれば、なおのことです。

これが例えば、中国からの生徒がごく少数で、中東からの生徒が大半を占めていて、同じような状況になったとしても、私は同じことを言っています。

できるだけ、生徒たちの自主性や自律性を尊重したいのですが、
どうしても、起爆剤が必要になる時があります。


もちろん、この話をした時に、いい顔をしなかった生徒も何人かいます。

まぁ、それも別に構いません。
響かなかったらそれまでです。

その日は結局気まずい雰囲気で授業は終わり、週末を迎えました。


私もそのあと「うーん・・・・・」と、ちょっとモヤモヤもしたのですが。


週明け、一番仏頂面をしていた(と思う)リーダー格の生徒が、誰よりも英語で接していました。休憩中に。

そして、率先して別の席に座っていました。

自ら、同じ言語を話すクラスメイトに両側を囲まれて座らないという行動をとったのです。

「あ、あの時言ってよかった」と思った瞬間でした。


少しして、ちょっとクラスの雰囲気も良くなり、私は前からやろうと思っていた作戦を遂行することにしました。


正直、ためらっていたのですが、クラスの雰囲気が良くなってきたので、純粋に行動に移したくなったのです。

その作戦とは、毎日必ず1人の生徒に(日替わりで)私が書いたメモを渡すことです。

メモには「~に対して忍耐強く接してくれてありがとう」や
「~に発言のチャンスを与えてくれてありがとう」、
「~に文章の書き方を教えてくれてありがとう」
「みんなに単語の説明をしてくれてありがとう」などなど、
普段生徒一人一人が何気なく行っているクラスメイトに対するポジティブな行為を評価してメモに書いて本人に渡すことです。

私は心から「ありがとう」ということが自分が受け持つクラスにたくさんある、ということに気づきました。

生徒たちの頑張り無くしては成り立たないクラスです。
お互い良きクラスメイトでいることを客観的な視点でメモに残すことで、生徒たちにより前向きになってもらいたいと思いました。おそらく、生徒たちも自分の長所・短所はわかっているのですが、私みたいな講師の立場の人が言うことで、長所がもっと肯定されるなら、いいかな、と。

同時に、私ももっと生徒一人一人を観察しよう、という意識が芽生えました。


今はまだこの作戦という種を蒔いたばかりなので、どのような効果があるかはわかりません。私のクラスにいる間にその種は芽を出さない可能性も多大にあります。

それでも、もしこの後カナダでの生活で何かしら芽生えるものがあったら、いいなと願っています。

雷を落とすことは私もちょっとビビり気味でした。苦笑
あんなに大きな声を出してものを伝えたのもかなり久しぶりでした。
心臓もバクバク言ったし・・・・でも同時に、私の態度にブレがあっちゃいけない、という試練にも出会ったような気がします。

「あの先生最悪!」
とこの時ばかりは思われてもいい、と思ってしまいました。。



これを書くことを頭の中で練ってたら、いつの間にかブログの更新が滞っておりました。苦笑

生徒たちがgood student でいなかったとしても、good classmates でいてくれれば、それでいい、と今は強く思います。それが結果的には生徒たちの英語習得の前進にも繋がるのだろうと思います。


これまたとりとめもなく、しかも長くなりましたが・・・・・汗

もしこれを読んでくれているあなたが、これから留学を考えていたり、英会話スクールに通うことを考えているのであれば、考え方や価値観、文化や言語の違いがあって当然で、そして、互いに尊敬し合えるような良いクラスメイト・いいチームメイトになることをぜひとも心がけていただきたいと思う今日この頃です。

お互いいいクラスメイトであれば、絶対にいいクラスになるし、それは必ず自分自身にいろいろな形となって還ってくると信じています。


最後まで読んでくれてありがとう(^^)

Kumiko
(多くの誤字脱字がありました。失礼しました。)