黙祷、長崎にプルトニウム原爆が投下されて、79年。 | ザスタジオ 熊谷直夫と仲間達(日本アドスペースStaff BLOG)

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79年前の今日、8月9日午前11時02分に、
アメリカ軍が日本のナガサキに対してプルトニウム型原子爆弾を投下した。

これは、実戦で使われた人類史上二発目の核兵器であり、この一発の兵器により
当時の長崎市の人口24万人(推定)のうち原爆 が 投下 された 当時 、 長崎の人口は約24万人でしたが、 原爆 によって1945 年12月末までに73,884 人が亡くなり、その後も
原爆症などにより多くの人命が失われました。



長崎市に投下された原爆のキノコ雲



日本の降伏は既に時間の問題となっていたので、早期終戦にも原爆は必要なかったこと、
原爆以外の容易な外交的手段がありトルーマンはそれを知っていたこと、
原爆はアメリカの若者50万人の命を救ったという苔の生えた主張に全く根拠がないと思う。



『2つの違うタイプ原子爆弾の効果を人体実験するため、
アメリカは敢て無理な無条件降伏の要求をし戦争を長引かせ、
ウラン型をヒロシマへ、プルトニウム型をナガサキへと投下したとのでは!?
その後、人体実験の検証はすれど、治療行為をしなかった。

(あくまで私見ですが・・・)』







ナガサキ原爆の日にあたり、

原子爆弾は、一瞬にして都市を壊滅させ、幾多の尊い生命を奪った。

たとえ一命をとりとめた被爆者にも、

生涯いやすことのできない心と体の傷跡や

放射線に起因する健康障害を残した。

これらの犠牲と苦痛を重く受け止め、心から追悼の誠を捧げる。

原子爆弾による被害の実相を広く国の内外に伝え、

永く後代まで語り継ぐとともに、

歴史に学んで、核兵器のない恒久平和の世界を築くことを誓う。
( 長崎原爆死没者追悼平和祈念館、 銘文より)


黙祷



追伸

パレスチナ自治区ガザでの戦闘で子どもたちが亡くなる現状に心を痛めており、
平和祈念式典にイスラエルを招待しなかった鈴木市長の判断を支持する。

原爆を落とした加害国米国の大使が式典参加を見送りは許しがたい。


エマニュエル駐日米大使『広島では日米は親友だと発言?』


米国が日本を目下にに見てて、原爆の投下のことよりユダヤ資本を優先しただけの話だ。

それに追随したG5の国々、被爆者とその家族に対するまた日本人に対する
深い侮蔑行為だと思う。

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