文楽
友人と文楽を見に行ってきた。
午前は『双蝶々曲輪日記』、午後は『恋女房染分手綱』の通し狂言。
初めて文楽を見たのは、2000年に『仮名手本忠臣蔵』通し狂言を東京で28年ぶりにやるというので、外交官として香港に赴任する夫に日本文化を勉強させるために誘ったのだ。
人間国宝吉田玉男の『城明渡』の由良之助の人形遣いはすばらしく、それまで数限りなく見た映画やドラマのどんな役者の演技よりも、人形の後姿が物語るものの方が深く大きかった。
歌舞伎も大好きだが(とくに吉右衛門の船弁慶や幸四郎の為朝)、やはり文楽の方が好きだ。
人形だけで3人がかり、それに太夫と三味線が付くという手のかけよう、そして人形が生きているように見えるという至芸。
梨園は世襲の特権階級になっているのも気に入らない。結婚する相手と、子供までなしても養育費を送るだけに留める相手を区別するというのは何様なのだろうか。
寺島しのぶは結局手記の出版をとりやめたようだが、読んでみたかった。
映画『赤目四十八瀧心中』(車谷長吉の原作はなかなか良かった)や『バイブレータ』で今年注目された彼女を1999年の蜷川の『グリークス』でエレクトラ(オレステスは菊之助がやってキスシーンもあった)を見たときからいい女優だと感心していたが(大河ドラマ『琉球の風』で富司純子と王族の母子役をやったときはそうでもなかったが。それにしても、夫である尚寧王(沢田研二)が母に魅かれるという設定なんて、「なぜ、女に生まれ、また母ほど美人でないのか」と悩んでいたという彼女にとってどんなにか残酷だったろう)。
波乃久里子、片岡京子(鐘下版『サド公爵夫人』で感心した)、松たか子(『オケピ』『ラ・マンチャの男』『セツアンの善人』『オイル』の演技はさすがと思わせるものがあった)等、梨園に生まれた女優に芸達者が多いのは、やはり「男にさえ生まれていれば」という気持ちがばねになるのだろうか。
それに比べ、文楽は金にも利権にも無縁で、ひたすら芸の道に精進している人ばかりだ。吉田玉男も、大阪の老人ホームに住んでいる。文楽鑑賞も4回目になり、人形遣いや太夫の顔もだいぶなじみになってきたが、みな、芸の道一筋に生きる凛とした清冽な顔立ちだ。
住太夫も大好きだ。
高齢化しているせいか、必ず誰かの休演があるし、ロビーに医務室があったりするので、このすばらしい芸術がすたれやしないかと心配になったが、最近世界遺産になって、見る人が多くなり、その心配はなさそうだ。
ただ、吉田玉男は前回の『妹背山婦庭訓』でも、2場出るはずが、1場だけになっていたし、今回も1場だけだった。体の調子が良くないのだろうか?非常に心配だ。
文楽の良さは、
1.様式美 (『妹背山婦庭訓』の花嫁の首を輿に乗せて川を渡すシーン等)
2.義理の世界を描いている (実の子よりも義理の子を命がけで立てる、娘婿の愛人の花魁の落籍料を舅が家宝を売って作る、等、『心中天網島』のおさんに代表される)
3.自己犠牲 (『妹背山』のお三輪には泣かされる)
4.言葉遊び (床本を見ればわかるが、『忠臣蔵』では、公儀をはばかり、時代を室町時代とし、主人公も大星由良之助としているが、科白の中に「大石小石を踏み分けて」という件があったりする)
5.ドールハウスの楽しさ
文楽には、人形だからといって細かい動作も省略しない律儀さがある。
たとえば、『菅原伝授手習鑑』の寺入りの場には、3兄弟の嫁たちが、舅の古希祝いのご馳走の準備をするシーンがあるが、本物の大根をちゃんと人形に切らせているのだ。人間の芝居のように小道具も小さいサイズで全て用意されているところが、まるでドールハウスを見るように楽しい。
それと、『女殺し油地獄』『恋女房』等、殺人、切腹のシーンが必要以上に残酷な気がするが、これも必要あってのことだったのではないだろうか。つまり、人間誰の中にも潜む暴力性を、文楽や歌舞伎のこうした残酷なシーンを見ることによって上手に昇華させることによって、現実に犯罪や暴力沙汰が起こることを防止するという保安的な機能があったのではないかと私は考えるのだが、いかがだろうか。
神戸の酒鬼薔薇事件について、宮部みゆきが「鎮守の森等のない場所=ニュータウンで生きる人間の病理」について言及していたけれど、少年犯罪の増加を見るに付け、人間の不合理性や凶暴性を上手にコントロールする装置が必要だと思う。
12月は『菅原伝授手習鑑』に行くのを今から楽しみにしている。
『忠臣蔵』『義経千本桜』の通し狂言をこれまで見たから、これで三大浄瑠璃を見ることになるからだ。
ちなみに、劇場でエッセイストの青木奈緒さんを見かけ、図々しくも名刺交換させていただいた。母上の『小石川の家』等のファンだし、兄上は同じ高校の1年先輩だったから。
午前は『双蝶々曲輪日記』、午後は『恋女房染分手綱』の通し狂言。
初めて文楽を見たのは、2000年に『仮名手本忠臣蔵』通し狂言を東京で28年ぶりにやるというので、外交官として香港に赴任する夫に日本文化を勉強させるために誘ったのだ。
人間国宝吉田玉男の『城明渡』の由良之助の人形遣いはすばらしく、それまで数限りなく見た映画やドラマのどんな役者の演技よりも、人形の後姿が物語るものの方が深く大きかった。
歌舞伎も大好きだが(とくに吉右衛門の船弁慶や幸四郎の為朝)、やはり文楽の方が好きだ。
人形だけで3人がかり、それに太夫と三味線が付くという手のかけよう、そして人形が生きているように見えるという至芸。
梨園は世襲の特権階級になっているのも気に入らない。結婚する相手と、子供までなしても養育費を送るだけに留める相手を区別するというのは何様なのだろうか。
寺島しのぶは結局手記の出版をとりやめたようだが、読んでみたかった。
映画『赤目四十八瀧心中』(車谷長吉の原作はなかなか良かった)や『バイブレータ』で今年注目された彼女を1999年の蜷川の『グリークス』でエレクトラ(オレステスは菊之助がやってキスシーンもあった)を見たときからいい女優だと感心していたが(大河ドラマ『琉球の風』で富司純子と王族の母子役をやったときはそうでもなかったが。それにしても、夫である尚寧王(沢田研二)が母に魅かれるという設定なんて、「なぜ、女に生まれ、また母ほど美人でないのか」と悩んでいたという彼女にとってどんなにか残酷だったろう)。
波乃久里子、片岡京子(鐘下版『サド公爵夫人』で感心した)、松たか子(『オケピ』『ラ・マンチャの男』『セツアンの善人』『オイル』の演技はさすがと思わせるものがあった)等、梨園に生まれた女優に芸達者が多いのは、やはり「男にさえ生まれていれば」という気持ちがばねになるのだろうか。
それに比べ、文楽は金にも利権にも無縁で、ひたすら芸の道に精進している人ばかりだ。吉田玉男も、大阪の老人ホームに住んでいる。文楽鑑賞も4回目になり、人形遣いや太夫の顔もだいぶなじみになってきたが、みな、芸の道一筋に生きる凛とした清冽な顔立ちだ。
住太夫も大好きだ。
高齢化しているせいか、必ず誰かの休演があるし、ロビーに医務室があったりするので、このすばらしい芸術がすたれやしないかと心配になったが、最近世界遺産になって、見る人が多くなり、その心配はなさそうだ。
ただ、吉田玉男は前回の『妹背山婦庭訓』でも、2場出るはずが、1場だけになっていたし、今回も1場だけだった。体の調子が良くないのだろうか?非常に心配だ。
文楽の良さは、
1.様式美 (『妹背山婦庭訓』の花嫁の首を輿に乗せて川を渡すシーン等)
2.義理の世界を描いている (実の子よりも義理の子を命がけで立てる、娘婿の愛人の花魁の落籍料を舅が家宝を売って作る、等、『心中天網島』のおさんに代表される)
3.自己犠牲 (『妹背山』のお三輪には泣かされる)
4.言葉遊び (床本を見ればわかるが、『忠臣蔵』では、公儀をはばかり、時代を室町時代とし、主人公も大星由良之助としているが、科白の中に「大石小石を踏み分けて」という件があったりする)
5.ドールハウスの楽しさ
文楽には、人形だからといって細かい動作も省略しない律儀さがある。
たとえば、『菅原伝授手習鑑』の寺入りの場には、3兄弟の嫁たちが、舅の古希祝いのご馳走の準備をするシーンがあるが、本物の大根をちゃんと人形に切らせているのだ。人間の芝居のように小道具も小さいサイズで全て用意されているところが、まるでドールハウスを見るように楽しい。
それと、『女殺し油地獄』『恋女房』等、殺人、切腹のシーンが必要以上に残酷な気がするが、これも必要あってのことだったのではないだろうか。つまり、人間誰の中にも潜む暴力性を、文楽や歌舞伎のこうした残酷なシーンを見ることによって上手に昇華させることによって、現実に犯罪や暴力沙汰が起こることを防止するという保安的な機能があったのではないかと私は考えるのだが、いかがだろうか。
神戸の酒鬼薔薇事件について、宮部みゆきが「鎮守の森等のない場所=ニュータウンで生きる人間の病理」について言及していたけれど、少年犯罪の増加を見るに付け、人間の不合理性や凶暴性を上手にコントロールする装置が必要だと思う。
12月は『菅原伝授手習鑑』に行くのを今から楽しみにしている。
『忠臣蔵』『義経千本桜』の通し狂言をこれまで見たから、これで三大浄瑠璃を見ることになるからだ。
ちなみに、劇場でエッセイストの青木奈緒さんを見かけ、図々しくも名刺交換させていただいた。母上の『小石川の家』等のファンだし、兄上は同じ高校の1年先輩だったから。
金融法学会
今日は金融法学会に出席した。
午前中は通貨法の話で、通貨当局の主権の域外適用の話から、いわゆるアメリカ問題にまで話が及んだのが興味深かった。
銀行員時代にOFACで米ドル送金を凍結されたり、9.11のためにパトリオット・アクトができたり、マネロンが厳しくなったり、そしてSarbanes-Oxleyも、国際金融の世界ではアメリカが事実上世界中の規制を作っていること。
考えてみれば、法ではないもの、規範になっているBIS規制をはじめとするいろいろな国際合意の中にも、legitimacyが疑わしいものがたくさんある。
電子取引、グローバリゼーションの進展もあり、主権国家の作った法でなく、大航海時代の国際商慣習のような、業界や専門家の作ったルールが支配するようになるのかもしれない。
午後は、動産登記制度の要綱案の話だった。
担保目的の動産譲渡担保の場合、占有改定による引渡しという論理は、他に対抗要件を具備する手段がなかったから使われたのではないだろうか。登記制度ができるなら、担保設定については「引渡」にこだわる必要はもうないのではないかと考えたが、今回の案は178条の枠を超えることはできないようだ。
ゼミでお世話になった民法の大権威H先生に法科大学院のことを聞かれ、「何とかできそうです」と答えたら、「できても存続するかどうかが問題ですね」と厳しいコメントをされた。
総会で学会の厳しい財政状況について理事長のM先生から報告があり、「理事会の弁当代を個人負担ということにしたら、顧問のH先生が『それなら参加しやすい』と出てくださるようになったのが怪我の功名でした」とのこと。本当にH先生らしい。
また、やはりゼミでお世話になったY先生の古稀記念行事についてD先生に伺ったら「記念論文集もパーティーもご本人が固辞されました。Y先生らしいといえばまことにそうなのですが」とのことだった。
私が大学時代師事させていただいた先生は、このように学者としても人間としても高潔・清廉な方ばかりだったので、大学教員は皆そうだと思っていたが、昨年実際に大学教師になってみると…。(この先は言わぬが花)
17時半に終わった時は台風によるひどい雨でマンホールから水が逆流しているのを初めて見た。
ずぶぬれになったが自宅までは地下鉄で3駅で助かった。JRは一部運休になっていたから。
会場は市ヶ谷と四谷の間だったが、後でその辺が土砂崩れしたのを知って慄然とした。
ジェンダーと法
今週から後期が始まった。
共通教育課目「ジェンダーと法」の第1回講義を行ったが、教室に行ってびっくり。定員200人の教室が満員で立ち見も何十人もいる。はじめは私が教室を間違えたのかと思い、次に学生が間違えたのかと思い、「ここは『ジェンダーと法』の教室ですが」と聞いてしまったがまちがいなかった。
こんなにたくさんの全学部の1年生が関心をもって受講してくれること自体に非常な希望をもった。
奇麗事をいうようだが、私は大学教員の役割は、学問を教えるだけでなく、良き社会人を送り出すことにもあると信じている。
だから、点字の講習会もやっている。
私のこの講義を聴いた学生が、ジェンダーについての意識をもち、卒業後、自分の周囲だけでもその光で照らしてくれれば、それが多様な価値観を受け入れる、誰もが生きやすい社会を作ることにつながると思うのだ。
私自身が総合職一期生として銀行に14年勤め、男社会での苦労と辛酸を嘗め尽くしたから、私が教える学生、とくに女子学生にはそんな思いをさせたくないのだ。
1回目の講義は、「実にエキサイティング。自分自身の偏見に気づき目からうろこ」という感想文が多く、大成功だった。
また、内容について書き足すのでまたこの項目をチェックしていただきたい。
共通教育課目「ジェンダーと法」の第1回講義を行ったが、教室に行ってびっくり。定員200人の教室が満員で立ち見も何十人もいる。はじめは私が教室を間違えたのかと思い、次に学生が間違えたのかと思い、「ここは『ジェンダーと法』の教室ですが」と聞いてしまったがまちがいなかった。
こんなにたくさんの全学部の1年生が関心をもって受講してくれること自体に非常な希望をもった。
奇麗事をいうようだが、私は大学教員の役割は、学問を教えるだけでなく、良き社会人を送り出すことにもあると信じている。
だから、点字の講習会もやっている。
私のこの講義を聴いた学生が、ジェンダーについての意識をもち、卒業後、自分の周囲だけでもその光で照らしてくれれば、それが多様な価値観を受け入れる、誰もが生きやすい社会を作ることにつながると思うのだ。
私自身が総合職一期生として銀行に14年勤め、男社会での苦労と辛酸を嘗め尽くしたから、私が教える学生、とくに女子学生にはそんな思いをさせたくないのだ。
1回目の講義は、「実にエキサイティング。自分自身の偏見に気づき目からうろこ」という感想文が多く、大成功だった。
また、内容について書き足すのでまたこの項目をチェックしていただきたい。