ブログを書き始めたことすらスッカリ忘れておりましたw

 

身体の麻痺と耳鳴り、心臓の病みの症状がひどくなってきて

(痺れ止め毎日と鎮痛剤は時々、あと「強力わかもと」「命の母」をずっと飲んでます…汗

 

長時間起き上がっているのが辛いので

横なってストレッチや筋肉モミモミしながら

スマホでyoutubeやTwitter。

 

ほんでもって移住の件で不動産、住宅建築関連の本やサイトを読み漁り

(まだあるんかいっあせる

 

同時進行で知人の不動産屋さんから良土地が売りに出た連絡が入り

土地売買契約、

仮住居賃貸契約、

建築会社との打ち合わせ等々も入ってきて

 

ホントにもうブログという単語は脳内から忽然と消えておりました。

 

なんて長い言い訳~~~~~~~~~てへぺろビックリマーク

 

 

そんなこんなで時が経ち、

1月末に、まさかの武漢でのコロナウイルス発生。

(オリンピック前には何かくるとは思って動いていたのに…予想以上に早く来たガーン

 

最低限の防災グッズや備蓄はしていたけども

不足分食料などの買い出しでドタバタ…

 

今は転居予定だった不動産屋や大家・建築会社の日付が決まらず様子見だけど、

先の見通し立ってませんです。

 

もうね、やられましたわっ!

申し込み済み賃貸が2月中旬空き予定だったのが1か月遅れたのが痛かったチーン

しっかり首都圏逃亡計画が全ストップかかりました。

ああああっ逃げ遅れましたよ…(´;ω;`)ウゥゥ

 

もうなるようにしかならない。

とりま、状況見つつ荷物整理は少しずつやっていこうと思います。

 

これでコロナ感染したら始末に負えない。

ちな旦那は2階の書斎でテレワーク中。

大手製造業だけど全工場生産停止しちゃってるからリストラ覚悟せなあかんかもデス…ショボーン

 

 

私はアメブロで「No.9地球人きなり☆彡」と名乗っている。

 

なぜ、No9なのか?

→エンジェルナンバーが9だということ。(完結という意味があるらしい)

→2年ほど前に8次元まで輪っかのように連れられ旅したことがあることから

案内してくれた存在が恐らく9次元かそれ以上の存在だろうから。

 

なぜ地球人なのか?

→皆地球に住んでいればもちろん地球人なんだけど、

私の場合は「今だけ地球人」をやっているので強調したかった。

 

この「今だけ地球人」というと、信じがたい方もいるだろうけども

私にはこの地球に来る以前の星の記憶が鮮明にあるからだ。

 

証拠を出せない以上妄想だと捉えられても仕方ないけども

幼少期から何度も同じ映像が出てきて、その中で私は生きていた。

その時の場面や風景、やり取り、家族、周囲の人々の顔形や声まで覚えているし、

地球に来なければならなくなった経緯まで覚えていたりする。

 

地球に向かっている途中も覚えている。

20人くらいいただろうか?皆で地球に向かってきた。

地球に近づいた時

「本当にその道で大丈夫かー?怖くないのかー?」と大声で私に語りかけてきた方もいた。

私は「わからない。とにかくやってみる!」と答えた。

 

その後、皆が散り散りになって地球圏に突入したのだけども

入っていくとき一瞬不思議な「ぞくっ」とした怖さを感じた。

ものすごいスピードで一人吸い込まれていく。

まるでワープしている…そんな感じだった。

 

そして「地球人」として生まれた。

 

私は本来地球にくる予定はなかった。

住んでいた星の父がその星の「本部」の研究者だったから。

 

その星のことを説明すると膨大な量になるので

どこまで書いていいのかわからないんだけど

ほとんどの一般人は本部が何をやっているか知らないし出入りも基本できない。

ただ「自分たちを守ってくれていて、常に他の星たちと連絡を取っててスゴイところ」

ってことしか知らない。

 

普段はそれほど連絡船(小型の2人乗りくらいの白い乗り物で音や煙などは全くでない)

は飛ばないのだが、ある時から少しずつ頻繁に飛ぶようになり

皆で「何か外の世界で問題でもあったのかなあ?」とよく話していた。

 

よく草むらで一人で遊んでいた時、

いろんな知恵を教えてくれていた仲良くしていたおじちゃんがいた。

草や曲がった小枝とかで何かを作ってくれてその絡みを外すという遊びもしていた。

(地球でいう知恵の輪に似てる感じ)

 

最近、あの有名な本「モモ」を書いた

ミヒャエル・エンデさんの著書「エンデの遺言」を読みつつ、ふと表紙を見た時

とんでもなく驚いた。

「あのおじちゃん!!」の写真。

少し歳をとらせた感じもしなくもないが雰囲気がどう見ても同じ人。

目や口元まで。あの微笑み方までも。

 

あのおじちゃんは仲良くなった後で同じ星の人たちに

「あの方は高名な方なのにあなたお友達なの?本来なかなか口を聞けないくらいの人よ」

と言われたことがある。

 

そのエンデさんらしきおじちゃんが

ある時「ちょっとしばらく大事な用事で出かけなければいけない。きっと帰ってくるからね」

と言って、抱擁してくれた。

それからそのおじちゃんはその星からいなくなった。

 

その頃うちの星では何人もそういう形でいなくなる人がポロポロと出てきていた。

どこかに派遣されていると聞かされていた。

 

そして、ある日父の元に本部の人が突然来て、

普段物静かな父が声を荒げていた。

どうやら私のことで言い争っている感じだった。

(家族がいない人も多いんだけど、うちは父と母と妹がいた→もち地球では全く違う家族)

 

なんとなく私の派遣の話であることは察していた。

「なぜ娘なんだ!ルールに反している」とか聞こえてきたから。

(本来、父のような本部の要人の家族は派遣されないことになっていると父から聞いていた)

 

本部と呼ばれているその建物は

白くて細長くて上側が楕円形でとても大きい。

地球より明らかに高度な技術でできてる感じで

形状はエノキ1本をドデンと建てた感じ?

自然たっぷりの中にあってとっても目立つ。

 

初めて本部に連れていかれ高スピードのエレベーターらしきものに乗せられながら、

私はワクワクでいっぱいだった。

多くの人がいる中、モニターで説明を受けたが、

どうも私は辞退した人の代わりになった補助要員で後から追加されただけって感じで

話は既に最終確認の説明の様子。だから「ちんぷんかんぷん」

 

ただ、そのモニターに映っていたのは青くてとても綺麗で見たこともない美しい星だった。

 

そうその星は…「地球」。

 

その星の話やその時受けた説明や使命などの話はまた今度の記事で…。

(少し疲れてきたのでごめんなさい)

          

タイトルどおり、今、私は左半身が麻痺した状態が続いている。

個人病院2か所と総合病院でいろんな検査をしたけども

「原因不明」

「おそらくストレスからくる神経麻痺だろう」とのこと。

 

こうやってタイピングさえ左手がかなり重く、心臓が常に病み

日常生活もけっこうなかなか辛かったりする。

 

ストレス性だからか、

その日の体調や天候によって状態もマシな時と全く動かない時もある。

 

一応右半身はちゃんと動くので何とかようよう生活はできるものの

髪や体を洗うのも右手だけで洗わなければいけないわけで

通常の2~3倍の時間と労力がかかる。

2階に行くのも一苦労、茶わん洗いも洗濯干しもとんでもなく大変な労働だ。

 

2年位前、母とようやく見切りをつけ絶縁したくらいから呼吸困難が度々起こり、

徐々にシビレから麻痺、心臓も病み、現在に至る。

 

呼吸も気づくと浅く、だからか一日に何度かは

意識が朦朧となったりもして(脳に酸素が行き渡ってないから??)

正直、自分が今生きてるのか死んでるのかわからなくなる。

 

初めてのことだし、常に「苦しさ」しかない。

毎日毎日いつ心臓が止まってしまうのか破裂してしまうのかの恐怖もある。

 

ここまでストレスが体に出てるのって自分だけかと思っていたのだが…

 

夏に祖母がとうとう亡くなり、葬儀のため函館に帰った。

そこで久しぶりに会った2歳上の従兄(6代目後継ぎ)が

私と同じ症状で左足もびっこを引いて心臓を押さえながら苦しそうな顔で来ていた。

 

従兄も私と同じで実の親にぼろ雑巾のようにこき使われ最後には人生を破壊された人だ。

(祖父の会社の3代目社長となるはずだったが、祖父を継いだ伯父が

好き勝手をし、専務をしていた従兄に全部の責任を押し付け一億円の自己破産させ、

当の伯父はちゃっかり年金を月に30万くらいもらって悠々自適に暮らしている…ムキーゲッソリビックリマーク

 

小さい頃から従兄達とは兄弟のように一緒に育ったから

その経緯を見てきた私にとっては

私たち6代目20人以上を潰しまくった伯父も実母も到底許せる存在ではない。

 

2人とも子どもの人生を根こそぎ潰しておいて、

ツラッとしてるんだから呆れてものも云えない。

 

旦那も一緒に葬儀に行ったので、

常日頃話して聞かせていた私の親族の異常さを旦那は直に見て、

顔を青ざめていた。やっと信じてくれたようだ。

 

今でも毎日のように話すが驚きを隠せない様子で

「今まで半信半疑で聞いてきたけど、こんな家族親族がいるなんて信じられない」

と今はすっかり私の味方でいてくれるようになった。えーんえーんえーんラブ

 

まだまだ義両親は「まさか身内がそんなひどいことをするわけがない」と

時々私を責めるように「子どもが親を悪く言うな」と言ってくるが、

旦那は私の代わりに必死になって義両親に説明してくれるようになり

本当にありがたい。

 

今の時代「親の虐待事件」なんて連日報道されるようになってるのに、

その虐待されてきた子に「親に感謝しろ」だのと言ってほしくない。

傷口に塩をグリグリ塗られてる気分だし吐き気がする。

 

殺される目に数えきれないくらい遭ってきて

殺してやりたい気持ちを何十年も堪えてきた。

理性だけでずっとずっと生きてきてもう限界なんてとうに超えているし、

なんとか仲良くしたくて理解し合いたくて対峙してきて疲れ果てているのだ。

私を責めるのはお門違いというものだ。

 

お葬式には親族の半分も集まっていなかった。

祖父はそれなりに豪華なお葬式だったが

祖母は顔も広く、多くの友人知人に慕われていたにも関わらず

伯父が勝手に密葬にしたために、ひっそり寂しいお葬式だった。

(ババショボーンかわいそうに…)

 

私も従兄もいつまで生きれるかわからない(そう長くはないだろう)

でも多分お互い口には出さなくても同じ思いを抱いているような気がする。

 

「おまえら、とっとと早く〇んでくれ」…とね。

FB(フェイスブック)とかSNSって何かモヤ~っとします

 

同窓会のやり取りがあるからFBもやっていたんだけど、

 

かなり前(10年くらい)の話ですが

母に無理やり精神病院にぶち込まれたことで

挙式&結婚式の予定が突然潰されてしまい

招待状をまだ出していなかった時期に

事前に電話で話していた友人らが

「招待状がこないままで約束を破った」として

何人にも縁を切られてしまっていました。

 

私は病院で

家族以外への電話が許されていなかったので、

面会時、

母に何度も「電話してある友人名簿にキャンセル連絡してほしい」と

泣きながら頼んだのですが全くしてもらえませんでした。

 

やっと退院させてもらえた時には時すでに遅し。

結婚式の予定日を超えていました。

 

当時一日80錠ほどの尋常じゃない量の精神薬を盛られ

多剤投与されていたので

意識混濁状態だったのですが、

その後の同窓会の飲み会でも土下座で謝罪しましたし、

FBで2回事情を書き皆に謝罪しました。

 

私としては不可抗力だったので

自分のせいではないわけで悔しさもありましたが、

相手にとってみれば怒る気持ちもわからなくはありません。

 

でも今日、とても信頼していた中学同窓の男友達にはっきり告げられました。

自分の事情はあくまで「言い訳」だから「怒っているし許せない」と。

 

約束を果たせなかった事情を話して

謝罪しても許してもらえないって

これ以上どうすれば良かったのだろう。

言い訳じゃないと思うんだけども。

 

脳梗塞とかで緊急入院して

結婚式が潰れて連絡できなかったとかでも

退院できてやっと話せるようになって

「連絡できなかった事情」を話して謝罪しても

それは許されないってことなのでしょうか?

(同じような類の話に思います)

 

友達の縁を切られてしまうものなのでしょうか?

私は最近、いろいろな人の感覚がわからなくなっています。

 

私だったら、連絡したくてもできない致し方のない事情だったら許すと思います。

不可抗力だから。

その人のせいじゃないわけで。

 

なんだか最近感覚が合わない人が多くて、

世の中というものがおかしくなってきてるように感じます。

 

その人は昔から頭も良くリーダーシップもあり、

尊敬し大好きな友人の一人だっただけに

心が引きちぎられる思いで今書いています。

 

上辺だけのSNS友人関係繋がりにも辟易してます。

キレイゴトのオンパレード。

いいね!とかがなんか白々しい。

今は明らかな自慢話なんかにはイイネ!しなくなりました。

 

また人間関係で、

精神科にかかったとか鬱だとか入院したとかなると

一気に友人が離れていくっていうのは聞いてはいたけど、

自分がそういう目に遭うとは思いもしなかったです。

 

FBでは私がアップしたものも見事に示し合わせてもいるかのように

0~1人しかイイネ!は押されない。

なのに他の方々の(くだらない)自慢話とかには何十人ものイイネ!が押される。

 

なんか集団イジメくらってるみたいにずっと感じてて傷ついていました。

(中学生以来だ)

 

もうFBなんてやめて切りたいくらいだけど、

関係のない個人的な友人もいるので簡単にやめられない。

他のやり取りにも使っているし。

 

集団いじめされてる感じの中学の同窓会グループはさっき退会しました。

私を2年間もいびり倒した女性の夫がいつの間にか管理者になってて、

そいつとは仲が良かったほうだから、

その男が飲み会に来ると聞いたので行こうとしたら、

「私が来る」ってわかって当日ドタキャンされました。

今日縁を切らざるを得なかった友人にも突っ込まれました。

「お前が来たからアイツ来なくなったべや」って。

 

大人になってまでこんないやらしいイジメがあるなんてビックリです。

あからさまに皆がこぞって距離を取ってくるし

こんなことされた日には自分が存在否定された気分になる。

 

精神医学のやっていること

(暴れてもいないのに身体拘束する人権侵害も薬物漬け殺人行為も患者増やしも)

許せないことばかりです。

 

結局結婚式も挙げられず、

お金も無駄にし、

花嫁衣装も着れず新婚旅行にも行けませんでした。

 

悔しいです。精神病院や精神医学、心理学のずさんさを

仕事で良く知っているが故に余計に腹が立ちます。

 

同期にも先輩にも「人間」を自分の研究材料としか思ってない奴が何人もいました。

 

人を平気で傷つけ心を殺してくる奴は皆天罰受けろ!!

そのくらい怒り狂っています。

以前から時間が許すときや寝る前などにたまに見ている動画です。

スピリチュアルとか占いとか宗教とかオカルト系は
意識的にずっと避けてきたのですが、
(なぜ避けてきたのか、なぜ今向き合わなくてはいけなくなったのかは
そのうち記事にしたいと思います)
今は積極的に調べたり、本を読んだりしています。

この「しゅうさん」から感じるお人柄や誠実さ、
「おかしいことはおかしい」と
はっきり言う正直さが好きです。
本物だという直感もあります。

今は自分自身のエネルギーも良くない状態だし、
まだチャクラを開くとかまで
状況的にやれないのですが
(今やると悪い波動や氣まで呼び寄せてしまう気がして危険なので)
安全で安心な環境に移住できたら瞑想やヨガもやっていくつもりです。
準備はかなりできてるんだけどもw

もし、しゅうさんを知らないという方がいましたら
一度ご覧になってみてもいいかなと思います。
合う合わないはありますので、
合わないと思った方はスルーしてくださいね(*´ω`*)


今日は1週間前に見つけた

質の良いチタンでできた気に入った眼鏡を

購入する予定でしたが…

 

ここ2~3日で初めてネット公開したブログを

ほとんど徹夜で試行錯誤で書いたので

目が疲れていたのと、

今までの心に溜め込んできた思いを

わんわん泣きながら書き殴っていたので

目が充血して熱もでてきてしまい

予約をキャンセルして来週にしました。

 

来週まで取り置いてくださるとのことで来週は買いに行きます!

 

ブログの書き方とかよく操作方法もわからなかったので

かなりの時間がかかりました。

 

こんな何も芸を施してもいない

ちんけなこのブログの存在を

どうやって知ったのか全くわかりませんが、

 

まさか訪れてくださる方がいるとも思ってなくって

びっくりとともに嬉しくも感じました。

訪れてくださった方ありがとうございましたm(__)m

エグい過去話はもちろん全部を書ける筈もなく、

かと言って、全部を書く気もないです。

本当は口にも文字にもしたくなくて

思い出すのも嫌なことばかりですのでね。

 

前に進めなくなるから。

(今もまだちゃんとは進めてはいないけど)

 

でも未来のために動いてはいます。

住環境を変えるために物件探しをしています。

 

自然環境に恵まれた土地と

30~50坪くらいの畑付きの二世帯住宅(事務所付き)を

設計事務所とも協議しながら

じっくりゆっくり家も建てる予定なので

もちろん時間がかかっているし、これからもかかるし

実際に住めるようになるのは数年後かもしれません。

 

でも、主人と私の両家親族が避暑地や観光、親族会議、

地域活動や事業にも使えて

「次世代に残していく」土地と家なので

慎重にやっていくつもりです。

 

けっこう良い土地なのは知られている場所なので

なかなか地主の方も手放してこないので

今はとりあえずは賃貸物件を探している途中です。

中古でも土地でも近くだとすぐ現地に行けるし

情報も手に入りやすいですからね。

 

あっ書き殴ったブログの編集まだやってなかった…

やりたいのはやまやまだだけど

また泣きまくってしまいそうで見るの怖い部分もあったり。

 

ブログの使い方が良くわかってないですが、

やりながらちょっとずつでも

より読みやすいものにできたらいいなと思っています。

 

ブログタイトルにあるように、

「地球ガイアための草の根活動ブログ」なので

時々、オカルトちっくだったり、スピリチュアル的な話だったり、

都市伝説的な話も書くことになるかもしれません。

今、世直しブームが起っているので

政治的な話も入ってくると思います。

 

ジャンルが自然とか日本とか社会とか地球とか宇宙とか、

合いそうなものがなくて「主婦」なのが残念なところです。

 

ブログだけやってるわけにいかず、

やりたいことが他にも出てきているので

時々の更新かもしれません。

 

とにもかくにも書き殴りの突然暴走ブログにお越しくださった方々

ありがとうございましたm(__)m

 

よろしかったらまたいらしてくださると嬉しい限りです。

編集とかは苦手なので助手がいたらいいのになぁ(笑)

(夫は文字アレルギーなので役に立たず…(´・ω・`))

では。

話は遡るが、大学時は

「あれは何だったんだろうか」

「なんであの人はこういうことをしたんだろうか」

 

様々な疑問を多くの学問を勉強しながら

自己分析と過去の出来事の分析ばかり思いっきりやって

調べ尽くして考察して…

 

実際に仕事で専門職として働いて…

多くの事案も担当して、

ケース研究もしてきて

 

資質鑑別とか処遇計画とか身分調査書とかも作ってきて、

処遇もして指導もして面接もして教育してきて

 

とうとう…真実が見えちゃったよ。家族の真実がね。

自分なりに確信した。

 

一応15年間以上この業界に携わってきた元専門職だから…

 

父は26歳の時会いに行って、

中度の知的障害者なのは

会ってすぐ一発ですぐわかった。

話が全く通じないし、周囲の親戚の方たちもわかってたしね。

 

母は多分ボーダーライン(IQおそらく75↓)

&発達障害(ADHDと自閉症スペクトラム)

 

兄貴はずっと古典的な自閉症。

 

そして…最近ようやく判明したのが

夫もボーダーライン(IQおそらく80↓)

&自閉症スペクトラムだということだ。

 

そして今になって私は…あらゆることに疲れ果て「カサンドラ症候群」に近い状態だ。

 

なんでこんな、ある意味標準的な能力を持っていない人達が

一般社会で特別な教育支援もされずに

 

「普通の人間」として身内が隠して

社会で何も対処してないのに歩いているんだろう。

 

なんで「普通の人間のふり」して結婚して

(子育てする能力すらないのに)

子どもを産んで育てず平気でつらっとしているのだろう。

 

産まされてきたこっちは大迷惑だ。

 

産まないでくれ。産まないで欲しかった。

 

誰もそれをまだガツンと

社会問題として取り扱っていない。

予防も対策もできていない。

 

 

では私はいったい何者なの?

正常なハズがない。

発達心理学的に見ても正常に育つわけがない。

 

とある機会に恵まれて(?)

国の機関であらゆる心理検査や性格検査等を受けた。

 

「全くの異常なし」と宣告された。

精神科医や臨床心理士、保健士、官の方々の前ではっきり告げられた。

何人も涙を浮かべながら…

 

「これからは自分が本当にやりたいと思うことだけやりなさい。

自分が楽しいと思うことしかやってはいけない」と。

 

IQの数値は135と出た。

そして昔から五感が鋭く敏感で、やや六感もあったりする。

どういうことなのだろう?

 

人格障害についても詰め寄ったが

「要件に当てはまらない」

何人もの名医といわれている精神科医の診断が出た。

 

数十人の医者達にも口を揃えて

「うつ病」でも「うつ病気質でもない」とのことだった。

君はここに来ないで帰りなさい。

二本の足でちゃんと歩けるんだからと追い返されもした。

 

それなのに、

それなのに、

それなのに…

 

その後に、私をまた邪魔モノ扱いし出した母が、

無理やり血圧測るためだと言って、

いきなりとある病院に連れていかれた。

 

H市のヤブ病院で有名な某W病院。

 

あることないこと勝手に話しをつくられ

暴れてもいないのに

「拘束され」

「一日80錠近くの精神薬」を多剤投与された。

 

命令調でこちらをほとんど見ずに、

いきなり「双極性障害」(いわゆる躁うつ病)と言われた。

オイオイオイオイ

異常なアホ医者過ぎるだろ。

 

鬱病すらもなっていないのに。。。否定されたばかりなのに。

もっとでかいでかい都市で

名医と呼ばれてる精神科医たちに。

 

こんな話一つとっても

少し小出しにするだけで、友人知人たちは

それだけでドン引きされて

口つぐんで距離も取られる。

 

そう。悪かったですね。すみませんね。

私のせいではないのですけど、

家庭環境がとんでもなく異常で生きててすみませんね。

 

性格も変わってて。皆と違ってて。

ごめんなさいね。

生まれてきてしまって。

 

無難なこと言って合わせたり嘘ついたりしないと

普通の人として接してくれないし、

友達にもなってくれない。

 

人間社会の一員としてもそれさえも認めてもらえない。

 

「生まれてくる時も死ぬときもみんな孤独なんだから当たり前だ」

何回言われてきただろう。

 

でもね、周りを見渡すとグループってどこにでもあるんだよね。

私はそのグループに属さず一匹狼に自然になってしまう。

 

同類がいるっていいね。

共感し合えるっていいね。

 

私は寂しくてたまらない。

これから何をやれば楽しいのかもわからない。

ただ死ぬまで生きるだけ。

 

私は団塊ジュニア。

そう金持ち日本、

経済大国2位だった時の、

「一億総中流時代」の片隅に

実際にいた一家族の一真実だ。

 

 

ああ無情~~~~

ただの悲劇な話の一つ。ただそれだけ。

 

日本国憲法の自由や平等…理想と現実は違うよね。

 

私の同級生や友人達、官僚同期は裕福な友達多いけど、

皆私とは違う世界で生まれた恵まれた人が多いから。

 

日本や世界、地球が皆が本当に幸せに生きれるように

なるといいよね。いつか必ず。

既得権益とかもうやめてくれ。聞きたくない。

 

このブログを私のFBとかにもしリンクさせたら

またドン引きされて友達一人もいなくなりそうだ…(´・ω・`)

 

(終わり)

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長文をお読みくださった方々

大変ありがとうございましたm(__)m

 

より読みやすいように色などの細かい編集は

また次回にちょくちょくやります。

↓<ではとうとう自己紹介の小出し>

 

0歳の時、隣で這いつくばってる物体(兄貴)が

ギャーギャーワーワーいつも始終うるさくて

哺乳瓶のミルクが空になっても、おむつが気持ち悪くても、

気づいてもらえるまで泣くのを我慢してた。

いつも。いつも。いつも。ずーっとね。(夜逃げ前

 

知らない場所に毎日のようにいきなり捨て置かれても、

じっとその知らない場所で一人でうずくまってた。(夜逃げ後

泣いてもどうにもならない。

 

怖くて泣きたくなって泣いたら周囲の知らない人たちが困った顔で

制服きた「おまわりさん」を呼び「交番」に引き渡されるだけだった。

1歳半くらいから5歳までどこに住んでたのか

毎日目まぐるしく環境が変わってたので未だに定かでない。

 

さっきちらっと書いたけど、母が夜逃げして逃げ回っていたから。

兄貴を取られないようにヨチヨチ歩きの私は捨て置いて

いろんなところに逃げ回っていたから。

 

たとえ一緒の時でも、

父と父方親族が深夜に何度も「○○(兄)を寄こせ!!」

と怒鳴る声。窓やドアをがんがん叩く音は今でも脳に刻まれている。

 

…私の名前が呼ばれたことは一度もなかった。

離婚調停後は母はキャバレーのホステスとなり、

男と金を求めて母は「母」ではなくずっと「女」のままだった。

 

やっと弘前の幼稚園で初めて1年くらい定住した。

もう大丈夫だ。友達もたくさんいる。近所の方たちとも仲良しだ。

もう安心だ。

…と思ったが違った。

何度泣いて頼んでもランドセルやその他一式何も買ってくれなくて、

周りを羨ましく見つめながら…諦めた。

 

小学校入学式の数日前に当時の母の愛人さんが

「おいランドセルどうした?」と気づいてくれて

「ないからいい」って言ったら、母を怒鳴りつけてくれて

何日も探し回ってくれたみたい。

でもすでに在庫がなかったらしく

仙台のほうまで行って残っていた最後の一個を買ってきてくれた。

それは赤い普通のじゃなく、

とても高級そうなエンジ色のランドセルだった。

嬉しくなかった。

私はみんなと同じ色の赤のランドセルが欲しかったから。

(エンジのランドセルはカッターでいつも切り刻んでたなぁ

見ると思い出して腹立つし。やっぱ

 

そして、母と愛人のデートの時は、

その愛人宅にいつも人質として預けられていた。

○○(私)を愛人宅にわざと置けば不倫がバレないからってさ。

「○○、俺たちのことは絶対言うなよ」と口止めされてた。

 

私は偉い子だからきちんと言いつけを守ってたんだけど、

でもとうとうある時バレたっぽくて

(そりゃ私を預けるので上手くいったからって調子こき杉

いきなり私の監禁が始まった。

鍵かけられて閉じ込められた。

 

愛人の奥さんとその子どもに罵声をガンガン浴びせられて

「こいつ、殺してやる」とか言って

鬼の形相で両腕をばんばん揺さぶられたり

「殺される」っていう恐怖を思い知った。

 

捨てられて死んだほうがマシだと思う。

マジで本気で恐ろしくてもうダメだと思ったよ。

このレベルのトラウマは一生取れないね

 

自分の存在ってなんなんだろう…

私生まれてきてなんか意味あるの?って。

私何かした?どうしてこんな目に??

 

最近思い出したのだが、

よく「折檻」なるものも受けていたらしい。

 

毎日のように兄貴か私がなにか粗相をすると

連帯責任でイスに立たされるのだが

そのまま母は忘れて男と出かけて

帰らなかったことが度々あった。

兄貴はずるく外に逃げたり休むけど私は真面目ないい子だった。

 

そういうのが続いてたから意識を失い倒れて

病院に運ばれたらしく意識を取り戻した時、

私の両足はどす紫色になっていて壊死する危険があったとか。

(退院時にお医者さんが危なかったと言われ、横で母は折檻はダメだ!とかなんとか怒鳴られていた)

 

あ、えげつない話もう一つ。

せっかく入学できて楽しいピッカピッカの1年生も

男の関係で2か月目で青森のほうに転校~。

 

兄貴はそこから結婚する27歳くらいまで自閉症になって

誰とも話さなくなってしまった。

私が話しかけても無言で無表情の空気人間になった。

 

そこの学校ではもう友達のグループはできてしまってて

勇気出して声をかけても

(・∀・)ニヤニヤと笑いながら

どのグループもわざと入れてもらえなかった。

グループ同士で密約でわざとやっていた感じ。

子どもは残酷だからね。

 

体操服から教科書から何から何まで違ってたから

もちろんいじめられた。

特に私が弘前から来たのが気に食わなかったみたいで。

青森と弘前は地味に仲悪いからね。

体操服は皆に踏まれてドロドロになって破かれた捨てられた。

 

ああ、保育園も4か所くらい行って同じ目に遭ったっけ。

迎えが深夜だからうざがられて

当時でいう保母さん達に

「あんたのせいで家に帰れないじゃないか」と言われ

叩かれたりつねられたり髪を引っ張られたりしてた。

いつものことだから慣れっこになってしまってた。

 

前の学校の教科書は全部破られバカとか顔にまで落書き書かれた。

 

歩いていると「ててなしご~」って言われながら

石を何個も投げられ大きいのが背中や頭に当たって

血だらけになった。真っ赤で大量の血が手の平にぬめって…

あの真っ赤な手の平いっぱいの血が鮮やかすぎて衝撃だった。

 

針で塗ったのか知らないけど

もう死んだと思って意識失ってたので覚えてない。

村中も学校中も大騒ぎになったのは確かだ。

 

小学3年の時は1学期も2学期も3学期も全部違う学校だ。

男に振られたり男が変われば転校だから。

 

高学年はお風呂もない汚い長屋で銭湯は週に1回。

服もいつも一緒。もち体操着。

芸のないいじめだけど、バイ菌と呼ばれまたいじめられた。

クラス全員から休み時間に一人一発ずつってルールで

殴られ蹴られ…ただうずくまって耐えた。毎日泣いてたけどね。

 

ほんで~中学です。

公立と同じでお金がかからずに

良い教育をしてもらえると聞いて、

自分で国立の附属中を受けました。

 

まさかの受かったはいいが、

これがねえ。とんでもないものを思春期に体験しちゃいましたよ。

((((;゚Д゚))))ガクガクブルブルものをね。

 

8科目もの試験を受けて面接もして

何倍もの競争率でやっと入ったというのに、

いざ入ってみたらさかなクンもギョギョギョギョギョっ

 

裏口らしき子たちの存在。

もう一発ですぐわかっちゃったね。

(明らかにどの科目も標準以下で公立小の普通かそれ以下レベル)

ありえねーーーーーーっす。

 

うちの小学校で一緒に受験した奴、

私より超優秀なレベルだったのに落ちたんだぞ?

そいつその後は〇衛大首席で卒業してたけど、

附属落ちた時1週間目真っ赤に泣きはらしてたっつーのに。

もう何も信じられなくなったね。

裏口って私立ならまだわかるけど、まさかの国立で??

 

文科省いや当時は文部省だ。

いつから不正やり始めてたんだ?

少なくとも30年前では既にコレは事実です。

 

それに何といっても

2か月ごとの寄付金ビラ(うちは1円も払わなかった)が配られた。

周りに聞いたら皆払ってたみたいね。。。

 

毎日のように教官室には保護者たちがわんさか出入りし

Dr.X大門ばりにメロンやまんじゅうらしきものを教官たちに渡していた。

国だけは誇りに思っていたのに

入学してたった数日でその信頼は脆くも音を立てて崩れますた。

 

あ、ほんでもう一つ。思い出したくもない話~。

今もたまに夢でうなされることあるくらい。

 

中2から2年間同じクラスの1人の女に

ずっと女が女にストーカーかよってくらいに

頭にウジわいたような執拗な嫌がらせを受け続けました。

 

私に嫉妬するものでもあったのかねえ?

カネもコネも人脈も権力もない私に今でも理由は不明。

ようわからん。

 

 

「のり貸して」とか言って私のナケナシのお金で買ったのりを

自分のカラになった自分ののりのボトルに入れ替えたり。

何度も何度も。

リボンとか服やモノも猫なで声で、

「どこでそれ買ったのぉ?かわいいね?いくら?」

とか聞いてきては、

必ずその次の日同じのを持ってきては、

私を「いつも真似してきてひどい」とか言って大泣きしてた。

 

会話すらしてもいないのに私がその子をいつもいじめてるだとか

100%のホラしかつかない変な女だった。

こんな人間も世の中にいることにびっくりしたよ。マジで。

いるんだねぇ~こんな異常な女。

 

2年間受け続けた嫌がらせを書いたら、

まあキリがないのでこの辺で。

 

┐(´д`)┌ヤレヤレ┐(´д`)┌ヤレヤレ┐(´д`)┌ヤレヤレ┐(´д`)┌ヤレヤレ

 

呼び出して注意を何度もしても謝らず、

私が全て悪いことにされ、

結局中3の最後には女子皆の前で私が謝らされた。

 

一美さん、同じクラスの外科医になった男と結婚した

あなたのことですよ。言っちゃったー♪すっきりぃ~

 

附属のトンデモ異常話はたくさんありすぎるしもうエエわっ

 

…というわけで、

私は何かどこかすっかり世の中に冷めてしまっていた。

その汚い世界から抜け出ることばかり考え、

卒業した時は3年も忍耐した自分が誇らしかった。

やっと金まみれの世界から抜け出せて嬉しかった。

ホント晴れ晴れとした卒業式でした。

 

あんまこんな風に思い返したことなかったけど、

私もかなりいじめ受けてたんだなって

書いてて本人がビックリ。

 

私けっこうよく生き抜いてきたわー!

我ながらたくましい。スゴイスゴイ合格目ビックリマーク

 

昔も今も人間って人をいじめるのが大好物なのね。

 

こんだけ結構いじめられてきた側にいてて

多分だけど(ってか確信だけど

今の18歳未満の自殺で、いじめ原因のものは

自分をやった奴はもちろんだけど、

見て見ぬふりした人ってのを

亡くなった子はちゃんと確実に覚えてるね。

恐ろしいことに

日本人のいじめはこの「見て見ぬふりする奴」がめっちゃ多いのが

もうホント末期。

親も見て見ぬふりしてきたかいじめてた側だったとかじゃないかな?

 

良いことも悪いことも子々孫々ってやつだしね。

虐待もイジメも国の悪さも負の連鎖反応だな、きっと。


「自分がされたら嫌なコトは人にもするな!!」

って幼稚園でも小学校でも親にでも

教えてもらってないのかねえ?

 

ま、そこは定番。

フラストレーション攻撃仮説でもいいし、

人の不幸は蜜の味でもいいし、

ま、人間攻撃行動はアドレナリン出て興奮ドクドクで楽しいのでしょう。

 

私しゃ人いじめたことないからわかりませぬがのう~。

(そりゃ、こんだけやられてりゃ人に同じ真似できませんわな)

 

誰が何が日本をこれだけ悪くしちゃったんだろうね。

GHQだとか人口削減とか日本人骨抜き論的陰謀論いっちゃう?

 

日本人の「清く正しく美しく」って精神は

もう消えちゃったのかなあ?

 

あ、そういえば文科省さん、

10年間道徳教えなかったんだっけか。

とんでもない大罪だわっ。

 

だって、このどうしようもない家庭環境の私が

どこで善悪を覚えたかって

「道徳」の教科書と授業だったからね。

 

あれなかったら、

今、確実私親を殺してたから。

前科殺人じゃなくて逆の教育者のほうになったわけで。

 

「文科省をぶっ壊せ」

をスローガンに私もN党から出馬でもしようかしらん?

 

2000年度に

文科省が国家1種教育職採用ゼロにしてなかったら

私にも文科省を受ける権利あったんだからこれアリじゃない?

 

ま、すっかり身バレしちゃいそうだわっ

殺されたらどうしましょっ

私が誰かってわかるのは国だから

もし私が殺されたら、殺したのは国の闇組織と思ってくださいね~

ゲッソリゲッソリゲッソリゲッソリゲッソリゲッソリゲッソリゲッソリゲッソリゲッソリゲッソリゲッソリゲッソリゲッソリゲッソリゲッソリ

 

さて、またすぐ脱線しちゃう。。。

家庭の話に戻そうかの。

 

えと、高校受験は

2番手の公立をトップで入って大学の推薦をもらうか、

制服が上品な私立高校に特待生で受かるか(入学金も学費も無料)で

いこうと中2の時から思ってた。

どっちも校則でアルバイト禁止だから母に働かされなくて済むし

部活も正々堂々やれると思って確定してた。自分ではね。

 

でもまた母ひどいことしたのさ。

 

私立の方は無事に特待生で合格~~!

国立大進学コースだから筑波大の道が開けるって思ってた。

 

でも合格したことは周囲に自分の手柄かのように

電話しまくったくせに

実は「入学権利金」の3万円を払ってもらえず

受かった権利は消滅した。

 

何のために私受験したんだろね。

何のためにたくさん勉強したんだろね(´;ω;`)ウッ…

 

お金をかけずに大学に行ける道を完全に親に絶たれてしまった。

こんなことする親もいるんだよ。世の中には。

 

1円でもオカネを子どものために使いたくない親がね。

 

また公立の方も

担任と母と祖父にめっさ無理やり

超オカネかかる(附属同級&教育環境裕福層が行く高校)

市でトップの進学校に変えられてしまっただよ…

 

校則なくて私服だから

貧乏もんはバイト三昧をしなくてはならなくなる

=勉強とか部活できない

最悪パターン。

 

それまで私の成績票も一度も見たことなかったくせに

要はトップ高校に合格した名誉だけ欲しかっただけなんだよね

実際高校に入って教科書さえ買ってくれなかったしさっ。

 

3月、滑り止めがなくなり追い詰められた状態で受験した。

だってコレ落ちたら中卒浪人じゃん?

 

なんとか上位のほうで合格はしたけど

合格発表を冷めた目で見た後、今後は一切勉強などしないと決めた。

 

私は普通に高校生らしく勉強と部活やって国立の大学に

おカネをかけずに行きたかった。

だから一生懸命勉強した。それなのに…。ひどいよ。

 

夢破れて~

ってか自分を生んだ母親に人生潰されてって…オイ爆弾

 

すっかり生きる気力を失くしたさね。

ほんでバイト三昧で家を出るオカネ貯めてたね。

自給440円とか460円で必死に土日も働いた。

 

ほんでグレてやりますた。わざとね。仕・返・しに!

極道の妻たちの道の頂点に行ってやるっとね。

片親の水商売のどうしようもない親の子がいく

非行という本来の王道にいきましたよ。フンだ。

 

ま、2年間は鉛筆持つことなかったんだけど、

結局はやっぱり親なんかのせいで

自分が非行だの犯罪だの殺人だのと

悪者になってしまうのもなんか悔しくなってきて。

 

札幌にある私立のヤンキー底辺女子高に留年して入って

2年間4畳半のボロ下宿に入って、

「なんで自分がこんな目に」って思いながら

泣きながら通って卒業したわ。

 

もうすでに長すぎる話になってしまったから、

詳しくは次回に書く気になったら書きます。

 

奨学金で大学入って毎日休みなくバイトも勉強もしてたけど

毎月末にはオカネたかられてました。母に。

どこまでもエグい。書く方もツライ。

奨学金も400万近くあったかな。高校分もだし。

34歳できっちり完済しましたよ。くそっ

 

もうこの教育格差なんて言葉聞きたくない。この日本から。

たっぷり死ぬほど味わってきたからね。

 

そんなこんなで私の大学卒業後の将来の夢は

「私のような人を一人でも多く救わないとダメだ」になった。

 

3年勉強して、

ほんでまさかの国家1種合格だよ。教育職で。

大学の学部も全然畑違いだったから

独学で。教員免許も中高ちゃんと取った。

 

なんかN国党の立花さん動画で児相の話聞いたら

立花さんも苦労した人の1人だったんだって知ったら

なんか私も溜めてたもの全部全部ぶちまけたくなった。

こんなダメダメ日本国で

いいのかよ!

わたしゃイヤだよ!

 

自分のような人を一人でもなくしたい。

救いたい思いで立ち直らせるのにマジで命張って仕事してたよ。

公安だし。殉職なんて覚悟の上だ。毎日ね。

 

もし一人でも目の前の人が立ち直って命や人生が救われれば

自分のこのイラナイ扱いされてきた命も少しは世の中のためになる。

私も少しは救われる。実際救われてた。

 

 

これでサクセスストーリーでジ・エンドだったら

どんなに良かったことか。

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わかるかな?わかるよね?なんとなく。

またまたまたやられた。親にね。

 

母の愛人(何人目か知らん)の奥さんが、

「母が原因」で殺人事件を起こした。

 

私はやっと得た仕事も地位も心の救いも目標も塵となって消えたよ。

殺人を引き起こした人の子どもがもう人を教育なんてできない。

 

カードローンとかの借金とか家賃の滞納とかも私に請求きたよ。

マジ笑えない話ばっか。

 

今、もう私には何もない。

お金も仕事も社会的地位も生きる意味も母に全部潰されてしまった。

失ったものは元には戻らない。

 

毎日が魂の抜け殻だ。

 

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