↓<ではとうとう自己紹介の小出し>
0歳の時、隣で這いつくばってる物体(兄貴)が
ギャーギャーワーワーいつも始終うるさくて
哺乳瓶のミルクが空になっても、おむつが気持ち悪くても、
気づいてもらえるまで泣くのを我慢してた。
いつも。いつも。いつも。ずーっとね。(夜逃げ前
知らない場所に毎日のようにいきなり捨て置かれても、
じっとその知らない場所で一人でうずくまってた。(夜逃げ後
泣いてもどうにもならない。
怖くて泣きたくなって泣いたら周囲の知らない人たちが困った顔で
制服きた「おまわりさん」を呼び「交番」に引き渡されるだけだった。
1歳半くらいから5歳までどこに住んでたのか
毎日目まぐるしく環境が変わってたので未だに定かでない。
さっきちらっと書いたけど、母が夜逃げして逃げ回っていたから。
兄貴を取られないようにヨチヨチ歩きの私は捨て置いて
いろんなところに逃げ回っていたから。
たとえ一緒の時でも、
父と父方親族が深夜に何度も「○○(兄)を寄こせ!!」
と怒鳴る声。窓やドアをがんがん叩く音は今でも脳に刻まれている。
…私の名前が呼ばれたことは一度もなかった。
離婚調停後は母はキャバレーのホステスとなり、
男と金を求めて母は「母」ではなくずっと「女」のままだった。
やっと弘前の幼稚園で初めて1年くらい定住した。
もう大丈夫だ。友達もたくさんいる。近所の方たちとも仲良しだ。
もう安心だ。
…と思ったが違った。
何度泣いて頼んでもランドセルやその他一式何も買ってくれなくて、
周りを羨ましく見つめながら…諦めた。
小学校入学式の数日前に当時の母の愛人さんが
「おいランドセルどうした?」と気づいてくれて
「ないからいい」って言ったら、母を怒鳴りつけてくれて
何日も探し回ってくれたみたい。
でもすでに在庫がなかったらしく
仙台のほうまで行って残っていた最後の一個を買ってきてくれた。
それは赤い普通のじゃなく、
とても高級そうなエンジ色のランドセルだった。
嬉しくなかった。
私はみんなと同じ色の赤のランドセルが欲しかったから。
(エンジのランドセルはカッターでいつも切り刻んでたなぁ
見ると思い出して腹立つし。やっぱ
そして、母と愛人のデートの時は、
その愛人宅にいつも人質として預けられていた。
○○(私)を愛人宅にわざと置けば不倫がバレないからってさ。
「○○、俺たちのことは絶対言うなよ」と口止めされてた。
私は偉い子だからきちんと言いつけを守ってたんだけど、
でもとうとうある時バレたっぽくて
(そりゃ私を預けるので上手くいったからって調子こき杉
いきなり私の監禁が始まった。
鍵かけられて閉じ込められた。
愛人の奥さんとその子どもに罵声をガンガン浴びせられて
「こいつ、殺してやる」とか言って
鬼の形相で両腕をばんばん揺さぶられたり
「殺される」っていう恐怖を思い知った。
捨てられて死んだほうがマシだと思う。
マジで本気で恐ろしくてもうダメだと思ったよ。
このレベルのトラウマは一生取れないね
自分の存在ってなんなんだろう…
私生まれてきてなんか意味あるの?って。
私何かした?どうしてこんな目に??
最近思い出したのだが、
よく「折檻」なるものも受けていたらしい。
毎日のように兄貴か私がなにか粗相をすると
連帯責任でイスに立たされるのだが
そのまま母は忘れて男と出かけて
帰らなかったことが度々あった。
兄貴はずるく外に逃げたり休むけど私は真面目ないい子だった。
そういうのが続いてたから意識を失い倒れて
病院に運ばれたらしく意識を取り戻した時、
私の両足はどす紫色になっていて壊死する危険があったとか。
(退院時にお医者さんが危なかったと言われ、横で母は折檻はダメだ!とかなんとか怒鳴られていた)
あ、えげつない話もう一つ。
せっかく入学できて楽しいピッカピッカの1年生も
男の関係で2か月目で青森のほうに転校~。
兄貴はそこから結婚する27歳くらいまで自閉症になって
誰とも話さなくなってしまった。
私が話しかけても無言で無表情の空気人間になった。
そこの学校ではもう友達のグループはできてしまってて
勇気出して声をかけても
(・∀・)ニヤニヤと笑いながら
どのグループもわざと入れてもらえなかった。
グループ同士で密約でわざとやっていた感じ。
子どもは残酷だからね。
体操服から教科書から何から何まで違ってたから
もちろんいじめられた。
特に私が弘前から来たのが気に食わなかったみたいで。
青森と弘前は地味に仲悪いからね。
体操服は皆に踏まれてドロドロになって破かれた捨てられた。
ああ、保育園も4か所くらい行って同じ目に遭ったっけ。
迎えが深夜だからうざがられて
当時でいう保母さん達に
「あんたのせいで家に帰れないじゃないか」と言われ
叩かれたりつねられたり髪を引っ張られたりしてた。
いつものことだから慣れっこになってしまってた。
前の学校の教科書は全部破られバカとか顔にまで落書き書かれた。
歩いていると「ててなしご~」って言われながら
石を何個も投げられ大きいのが背中や頭に当たって
血だらけになった。真っ赤で大量の血が手の平にぬめって…
あの真っ赤な手の平いっぱいの血が鮮やかすぎて衝撃だった。
針で塗ったのか知らないけど
もう死んだと思って意識失ってたので覚えてない。
村中も学校中も大騒ぎになったのは確かだ。
小学3年の時は1学期も2学期も3学期も全部違う学校だ。
男に振られたり男が変われば転校だから。
高学年はお風呂もない汚い長屋で銭湯は週に1回。
服もいつも一緒。もち体操着。
芸のないいじめだけど、バイ菌と呼ばれまたいじめられた。
クラス全員から休み時間に一人一発ずつってルールで
殴られ蹴られ…ただうずくまって耐えた。毎日泣いてたけどね。
ほんで~中学です。
公立と同じでお金がかからずに
良い教育をしてもらえると聞いて、
自分で国立の附属中を受けました。
まさかの受かったはいいが、
これがねえ。とんでもないものを思春期に体験しちゃいましたよ。
((((;゚Д゚))))ガクガクブルブルものをね。
8科目もの試験を受けて面接もして
何倍もの競争率でやっと入ったというのに、
いざ入ってみたらさかなクンもギョギョギョギョギョっ
裏口らしき子たちの存在。
もう一発ですぐわかっちゃったね。
(明らかにどの科目も標準以下で公立小の普通かそれ以下レベル)
ありえねーーーーーーっす。
うちの小学校で一緒に受験した奴、
私より超優秀なレベルだったのに落ちたんだぞ?
そいつその後は〇衛大首席で卒業してたけど、
附属落ちた時1週間目真っ赤に泣きはらしてたっつーのに。
もう何も信じられなくなったね。
裏口って私立ならまだわかるけど、まさかの国立で??
文科省いや当時は文部省だ。
いつから不正やり始めてたんだ?
少なくとも30年前では既にコレは事実です。
それに何といっても
2か月ごとの寄付金ビラ(うちは1円も払わなかった)が配られた。
周りに聞いたら皆払ってたみたいね。。。
毎日のように教官室には保護者たちがわんさか出入りし
Dr.X大門ばりにメロンやまんじゅうらしきものを教官たちに渡していた。
国だけは誇りに思っていたのに
入学してたった数日でその信頼は脆くも音を立てて崩れますた。
あ、ほんでもう一つ。思い出したくもない話~。
今もたまに夢でうなされることあるくらい。
中2から2年間同じクラスの1人の女に
ずっと女が女にストーカーかよってくらいに
頭にウジわいたような執拗な嫌がらせを受け続けました。
私に嫉妬するものでもあったのかねえ?
カネもコネも人脈も権力もない私に今でも理由は不明。
ようわからん。
「のり貸して」とか言って私のナケナシのお金で買ったのりを
自分のカラになった自分ののりのボトルに入れ替えたり。
何度も何度も。
リボンとか服やモノも猫なで声で、
「どこでそれ買ったのぉ?かわいいね?いくら?」
とか聞いてきては、
必ずその次の日同じのを持ってきては、
私を「いつも真似してきてひどい」とか言って大泣きしてた。
会話すらしてもいないのに私がその子をいつもいじめてるだとか
100%のホラしかつかない変な女だった。
こんな人間も世の中にいることにびっくりしたよ。マジで。
いるんだねぇ~こんな異常な女。
2年間受け続けた嫌がらせを書いたら、
まあキリがないのでこの辺で。
┐(´д`)┌ヤレヤレ┐(´д`)┌ヤレヤレ┐(´д`)┌ヤレヤレ┐(´д`)┌ヤレヤレ
呼び出して注意を何度もしても謝らず、
私が全て悪いことにされ、
結局中3の最後には女子皆の前で私が謝らされた。
一美さん、同じクラスの外科医になった男と結婚した
あなたのことですよ。言っちゃったー♪すっきりぃ~
附属のトンデモ異常話はたくさんありすぎるしもうエエわっ
…というわけで、
私は何かどこかすっかり世の中に冷めてしまっていた。
その汚い世界から抜け出ることばかり考え、
卒業した時は3年も忍耐した自分が誇らしかった。
やっと金まみれの世界から抜け出せて嬉しかった。
ホント晴れ晴れとした卒業式でした。
あんまこんな風に思い返したことなかったけど、
私もかなりいじめ受けてたんだなって
書いてて本人がビックリ。
私けっこうよく生き抜いてきたわー!
我ながらたくましい。スゴイスゴイ
昔も今も人間って人をいじめるのが大好物なのね。
こんだけ結構いじめられてきた側にいてて
多分だけど(ってか確信だけど
今の18歳未満の自殺で、いじめ原因のものは
自分をやった奴はもちろんだけど、
見て見ぬふりした人ってのを
亡くなった子はちゃんと確実に覚えてるね。
恐ろしいことに
日本人のいじめはこの「見て見ぬふりする奴」がめっちゃ多いのが
もうホント末期。
親も見て見ぬふりしてきたかいじめてた側だったとかじゃないかな?
良いことも悪いことも子々孫々ってやつだしね。
虐待もイジメも国の悪さも負の連鎖反応だな、きっと。
「自分がされたら嫌なコトは人にもするな!!」
って幼稚園でも小学校でも親にでも
教えてもらってないのかねえ?
ま、そこは定番。
フラストレーション攻撃仮説でもいいし、
人の不幸は蜜の味でもいいし、
ま、人間攻撃行動はアドレナリン出て興奮ドクドクで楽しいのでしょう。
私しゃ人いじめたことないからわかりませぬがのう~。
(そりゃ、こんだけやられてりゃ人に同じ真似できませんわな)
誰が何が日本をこれだけ悪くしちゃったんだろうね。
GHQだとか人口削減とか日本人骨抜き論的陰謀論いっちゃう?
日本人の「清く正しく美しく」って精神は
もう消えちゃったのかなあ?
あ、そういえば文科省さん、
10年間道徳教えなかったんだっけか。
とんでもない大罪だわっ。
だって、このどうしようもない家庭環境の私が
どこで善悪を覚えたかって
「道徳」の教科書と授業だったからね。
あれなかったら、
今、確実私親を殺してたから。
前科殺人じゃなくて逆の教育者のほうになったわけで。
「文科省をぶっ壊せ」
をスローガンに私もN党から出馬でもしようかしらん?
2000年度に
文科省が国家1種教育職採用ゼロにしてなかったら
私にも文科省を受ける権利あったんだからこれアリじゃない?
ま、すっかり身バレしちゃいそうだわっ
殺されたらどうしましょっ
私が誰かってわかるのは国だから
もし私が殺されたら、殺したのは国の闇組織と思ってくださいね~
さて、またすぐ脱線しちゃう。。。
家庭の話に戻そうかの。
えと、高校受験は
2番手の公立をトップで入って大学の推薦をもらうか、
制服が上品な私立高校に特待生で受かるか(入学金も学費も無料)で
いこうと中2の時から思ってた。
どっちも校則でアルバイト禁止だから母に働かされなくて済むし
部活も正々堂々やれると思って確定してた。自分ではね。
でもまた母ひどいことしたのさ。
私立の方は無事に特待生で合格~~!
国立大進学コースだから筑波大の道が開けるって思ってた。
でも合格したことは周囲に自分の手柄かのように
電話しまくったくせに
実は「入学権利金」の3万円を払ってもらえず
受かった権利は消滅した。
何のために私受験したんだろね。
何のためにたくさん勉強したんだろね(´;ω;`)ウッ…
お金をかけずに大学に行ける道を完全に親に絶たれてしまった。
こんなことする親もいるんだよ。世の中には。
1円でもオカネを子どものために使いたくない親がね。
また公立の方も
担任と母と祖父にめっさ無理やり
超オカネかかる(附属同級&教育環境裕福層が行く高校)
市でトップの進学校に変えられてしまっただよ…
校則なくて私服だから
貧乏もんはバイト三昧をしなくてはならなくなる
=勉強とか部活できない
最悪パターン。
それまで私の成績票も一度も見たことなかったくせに
要はトップ高校に合格した名誉だけ欲しかっただけなんだよね
実際高校に入って教科書さえ買ってくれなかったしさっ。
3月、滑り止めがなくなり追い詰められた状態で受験した。
だってコレ落ちたら中卒浪人じゃん?
なんとか上位のほうで合格はしたけど
合格発表を冷めた目で見た後、今後は一切勉強などしないと決めた。
私は普通に高校生らしく勉強と部活やって国立の大学に
おカネをかけずに行きたかった。
だから一生懸命勉強した。それなのに…。ひどいよ。
夢破れて~
ってか自分を生んだ母親に人生潰されてって…オイ
すっかり生きる気力を失くしたさね。
ほんでバイト三昧で家を出るオカネ貯めてたね。
自給440円とか460円で必死に土日も働いた。
ほんでグレてやりますた。わざとね。仕・返・しに!
極道の妻たちの道の頂点に行ってやるっとね。
片親の水商売のどうしようもない親の子がいく
非行という本来の王道にいきましたよ。フンだ。
ま、2年間は鉛筆持つことなかったんだけど、
結局はやっぱり親なんかのせいで
自分が非行だの犯罪だの殺人だのと
悪者になってしまうのもなんか悔しくなってきて。
札幌にある私立のヤンキー底辺女子高に留年して入って
2年間4畳半のボロ下宿に入って、
「なんで自分がこんな目に」って思いながら
泣きながら通って卒業したわ。
もうすでに長すぎる話になってしまったから、
詳しくは次回に書く気になったら書きます。
奨学金で大学入って毎日休みなくバイトも勉強もしてたけど
毎月末にはオカネたかられてました。母に。
どこまでもエグい。書く方もツライ。
奨学金も400万近くあったかな。高校分もだし。
34歳できっちり完済しましたよ。くそっ
もうこの教育格差なんて言葉聞きたくない。この日本から。
たっぷり死ぬほど味わってきたからね。
そんなこんなで私の大学卒業後の将来の夢は
「私のような人を一人でも多く救わないとダメだ」になった。
3年勉強して、
ほんでまさかの国家1種合格だよ。教育職で。
大学の学部も全然畑違いだったから
独学で。教員免許も中高ちゃんと取った。
なんかN国党の立花さん動画で児相の話聞いたら
立花さんも苦労した人の1人だったんだって知ったら
なんか私も溜めてたもの全部全部ぶちまけたくなった。
こんなダメダメ日本国で
いいのかよ!
わたしゃイヤだよ!
自分のような人を一人でもなくしたい。
救いたい思いで立ち直らせるのにマジで命張って仕事してたよ。
公安だし。殉職なんて覚悟の上だ。毎日ね。
もし一人でも目の前の人が立ち直って命や人生が救われれば
自分のこのイラナイ扱いされてきた命も少しは世の中のためになる。
私も少しは救われる。実際救われてた。
これでサクセスストーリーでジ・エンドだったら
どんなに良かったことか。
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わかるかな?わかるよね?なんとなく。
またまたまたやられた。親にね。
母の愛人(何人目か知らん)の奥さんが、
「母が原因」で殺人事件を起こした。
私はやっと得た仕事も地位も心の救いも目標も塵となって消えたよ。
殺人を引き起こした人の子どもがもう人を教育なんてできない。
カードローンとかの借金とか家賃の滞納とかも私に請求きたよ。
マジ笑えない話ばっか。
今、もう私には何もない。
お金も仕事も社会的地位も生きる意味も母に全部潰されてしまった。
失ったものは元には戻らない。
毎日が魂の抜け殻だ。
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