funta(ふぁんた)のブログ -318ページ目

語らない強さ…

先日ある人がぶち切れて、私に
「そんなん、言ってくれなきゃ解らないっすよ!子どもじゃないんだから!」って言ってきた。

当然私も反撃して、「子どもじゃないんだから、言われなくても解るだろーがよ!」って切り返したけどw

今の子たちって、本当に言われないと理解できない人が多いんですね。それを改めて思い知った。

その理由を自分なりに考えてみました。


昨日書いた「セリフの少ないドラマ」って、説明が難しいけど…

例えば、子どもを殺された母親が捜査官と対峙するシーン。日本ではたいてい人目を気にせず涙をぼろぼろ出して、捜査官に「私の息子を返して!犯人絶対捕まえて!捕まえてください~ぃぃぃぃ!」みたいに当たり散らし、泣き崩れる。捜査官も「解ってます、絶対捕まえます!大丈夫!我々警察を信じて!」と言いながら空を見つめ、「くそ、待ってろ!絶対に捕まえてやる!」と言い残し下唇を噛む。ここでカット!

海外ドラマだと違います。
 子どもを殺された母親がどれほど辛い思いをしているかは視聴者の誰もが想像つくからこそ、あえて涙を見せず、無言のまま捜査官をキッと睨む。これが「絶対捕まえて…」の言葉無きメッセージ。
 睨まれた捜査官も無言のまま母親を見つめ、更にゆっくり大きな瞬(まばた)きひとつ。これで犯人を捕まえていない自分や警察の後ろめたさを表します。
 その後、母親の方が耐えきれず目をそらして、旦那を残して部屋に籠もる…これで充分。これで母親の強さも愛情の深さも悔しさも悲しさも全部伝わります。

 別のシーンで、容疑者が数人浮かぶ。だれもが怪しいけど、そんな中、ある目撃者のちょっとした発言で「あれ?」って思う。捜査官はもちろん、視聴者である我々ですら「あ、そうか」って思う。そこで捜査官の頭の中にも、我々視聴者の頭の中にも犯人の顔がふっと浮かぶ。
次の瞬間、その浮かんだ顔がそこにいる。場所は取調室…これですっきり…

 日本だと必ず、「あ、もしかして」とみんなの頭にその顔が浮かんだ瞬間、必ずと言っていいほど捜査官の部下とかがしゃしゃり出てきて「そうだ、やっぱり犯人は○○だったんですね。○○を逮捕しましょう!先輩!」みたいなセリフがついて、その先輩が「うん、よし、○○を逮捕だ、みんないくぞ!(じゃかじゃーん!)」みたいな…そんな解説はいらないって…w

 話変わるけど、数年前のらいらかおる のソロライブで、普段歌わないような曲をリクエストでもないのに自ら選曲して歌った事がありました。私にはその意味がわかりました。他の客も数人立ち上がって意味ありげに拍手していました。私は泣きそうになりました。
結局らいらはお客様に、最後までその選曲の意図を語りませんでした。でもそれでいいんです。
 その曲にアーティストが込めた本当の意味をちゃんと知っている人だけが、数日前のある事件と重ねて「あ、そうか」って思って、らいらの選曲の意図を理解して惜しみない拍手を送り、感動したり泣いたりするんです。

 音楽や映画を楽しむには、観る側にもある程度の教養が必要です。
このシーンで、なぜこの役者はこの仕草をしたのか。そうか、古いあの映画のあのシーンを真似てみせたんだ。
あのシーンで、なぜプロデューサーはこの曲を起用したのか。そうか、歌詞のあの部分が答えを暗示してるんだ。
このライブで、なぜこの歌手はこの歌を歌ったのか、
この曲で、なぜこの歌手はこういう歌い方をしたのか、
この日、なぜこの歌手はこういう衣装を着てきたのか…

すべてに意味がある事。それを言葉にしなくても、歴史を理解している人、曲の背景を知っている人、人間の感情が解る人は「うん、うん!」てうなずく。
でも解らない人には全く伝わらない。「解りませーん。」って言われても、それでいいんだと思えるようになった。そんなあなたは家に帰ってコンビニの缶コーヒーとかスパークリングワインでも飲んでればいいんです。コンビニの商品が悪い訳じゃないし。

 先日の百人ゴスペルを観に来てくれたとある女の子、ライブが終わって私のところに飛んできてくれました。彼女は数年前、当時高校生でらいらのソロライブを初めて観て、ものすごく感動したと言います。今回のAmaging GraceもSummerTimeもringoも本当によかったと言ってくれましたが、何がどう良かったのかなんて私も聞きません。彼女も語りません。それでいいんです。こういう高校生がもっとたくさん増えるといいのにね。

 私が今一番危惧していること…日本のテレビやドラマが全部バラエティ化していて本当に恐ろしい。
 痛いときは飛び上がって「痛ったーーーい!」、悲しいときは「うぉーーーーん!」ってでっかい涙をCGで出して泣く。料理番組では一口食べるたびに「うんまい!」「おいすぃーーーー!」って飛び上がって喜ぶ。
 なんか、視聴者をバカにしているというか、相手に与える感情を煽動(コントロール)しているというか。
はい、ここ笑うとこ!はい、今度は気味悪がって!最後は泣けるでしょ!みたいな…
 飛び上がる程おいしい料理がどれほどあるんだよ!って思う。本当においしいモノ食べたら言葉出ないでしょ?

 同じ映像を観てどう感じるか、どう受け止めたかは人次第だと思うんだけど、テレビが「はい、これ面白い!」って言えば「そうか、面白いんだ」って思うし、メデイアが「これ許せないよね!」って書けば「そうだそうだ!許せない!」って感じる視聴者が多すぎる。それが本当に怖い。子ども番組ならまだしも、大人の観る番組でもこれだもんね。
 最近のバラエティ映画で言うと、アリス3D版がそうかなぁ。チャリ・チョコ観たから想像つくけど、彼ら(ティム&デップ)の映画はツボはすっごく分かりやすいけど、かなりうざい。

 前にもブログに書いたけど、目や耳から入る情報が多すぎると、頭が働かなくなります。「一(いち)を聞いて十(じゅう)を知る」という言葉もある通り、的確な1の情報を得て、それを頭の中で整理・解析し、相手からのメッセージを懸命に組み立てて、その意図や背景も理解し10にして大事に受けとめる。で、その結果じわ~と幸せに浸る。こんな一連の動作が無くなった気がします。すべてが短時間で全部「はいこれ楽しい!幸せでしょ?!」って答えを先に出しちゃえば、受け取る側は「そうか、これが幸せなんだ」って思って、何も考える余地がないもんね。

「中学生日記」や「金八先生」など、その回の主役の家族構成や背景がまず描写されて、それを元に動いた感情や行動が周りに迷惑をかけ、トラブルとなり、それを先生に諭され、反発しながらも徐々にみんなで解決していく。
悪い人っていないよね、環境が人を作り、その行動がトラブルとなり、結果が悪ければみんなで考えようみたいな。
中学生日記を観たあとは必ず友達同士で「あのときこうしていれば」「いや、それは仕方なかった」「あいつは悪くない」なんて議論をしたもんです。

 でも最近のヒーロー物って、必ず正義と悪があって、悪が人を苦しめる理由があまり無い気がする。
「俺は悪者だ!人が苦しむのが好きなんだ!ざまーみろ!ガッハッハ!」みたいな。で、ヒーローに倒されて一件落着みたいな。

 昔は(また昔話で悪いけど)、デスラー総統にもベルクカッツェにもそれぞれ人生があったり、敵対する理由があったり。キャプテンハーロックは実はあの人のお兄さんだったり(笑)。ゴジラだってヘドラだってそれぞれに出生の秘密があるし…。
 最近で言ったらLOSTがそうかな。ほとんど全部の役柄に背景があって、その行動すべてに意味があって面白い。

 そういう意味では、毛色は全く違うけど個人的に「ウゴウゴ・ルーガ」は大好きだったなぁ。
ショート1本観るたびに「ん?何?…何だったんだ?今の?」って毎回頭を悩ませて、考えても考えても答えが出ない。でもそれが楽しかったなぁ~w

 うごるがDVD-BOXもいいけど、また新作だしてくれないかなぁ…

結論…最近のテレビやメデイアが、相手に考える余地を与えないくらい短期間に大量の結論づけた情報を子どもの頃から一方的に与え続けるから、受け取った方もそれを選別したり解析したり、何を伝えたかったのか、それに対して今自分は何が必要かなど、本当の意味を理解するという基本的な能力が欠落しているのではないか?そう思います。

 一言で言うと、かわいそう。

今だったら「TVタックル」や、「朝まで生テレビ」なんかの”がちバトル”をもっと観ればいいのに。