メディアにおける多様性のために 新幹線殺傷事件の報道をめぐって | 艶(あで)やかに派手やかに

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先日の東海道新幹線内殺傷事件についての投稿
 
犯人が自閉症で就労移行支援施設に通っていたという「事実」が含まれた報道を批判し謝罪させるだけでは、厳しい現実は変わらない。
自閉症者に限らず、生きづらさを抱えた人は疎外体験から他人や社会に復讐願望を持ち、衝動的な暴力事件を起こしてしまうことがある。そして残念ながら自閉症者にもそういうケースはある。それを防ぐための幅広い対策が必要です。
 
これに対し、いいコメントが来ました。
 
発達障害者を含む障害者に対する,幅広い支援は必要です。
しかしながら,その必要性と今回の事件を絡めるのは筋が非常に悪いと思います。

長らく精神・発達障害者は「社会不適合で危険な存在である」との偏見に晒されてきました(だから日本では私宅監置が長年放置され,その後も閉鎖病棟での身体拘束など非人道的な措置が平然と行われているのです)。

今回の事件があったから,支援を拡充すべきだと主張してしまうと,「精神・発達障害者は支援がなかったら凶悪犯罪に走るのか?」という話になってしまい,当事者にとって良いことはないと思うのです。

よって支援の必要性は,この事件とは切り離して考えるべきですし,事件を起こした動機を発達障害であることに求める論調には異を唱えるべきではないかと考えます。
 
この問題、事の流れは以下のとおり。
まず毎日新聞の記事が出てから、ネット上で数人がそれについて疑問の声を上げ、「私も」「あるある」と同感して投稿する人々が増えました。そして日本自閉症協会一般社団法人日本発達支援ネットワークが連名で抗議文を毎日新聞に送付、新聞社が謝罪。ウエンツ瑛士さんなど芸能人にも「発達障害だから事件起こしたというのは違う」と発言する人が現れました。
 
報道は事実を伝えますが、集めた事実のなかで、何を取捨選択するか、どこにクローズアップするかが重要です。
毎日新聞の見出し「容疑者は自閉症?」は、確かにほめられたものではありません。
そしてこうした見出しに当事者が怒っていることについて、多数派が「傷ついたと受け取る方が被害妄想」と言う筋合いはありません。それこそ「パワハラセクハラをうまくかわせるのが立派な大人」と似た匂いを感じます。「そうした見出しに怒りを感じる方がおかしい人間である」かのような空気に合わせる必要はないと思います。それがダイバーシティ社会です。
「すべての人がそういう見出しを見たところで、自閉症の人は犯罪を起こすかもと思うわけではない」というのは、あまりに楽観的すぎる見方ではないでしょうか? そう主張する人が想像している以上に、理解力のない人は多いのです。
 
この見出しの根本的な問題は新聞社側にあり、健常者、それも発達障害児者と関わることのない人々だけで取材編集されたことでは、と考えます。当事者のほか、家族や同僚や友人知人に同じ障害の人がいたり、支援ボランティアに関わった人が1人でもいれば、こういう失態はなかったと思うのは私だけでしょうか?
あらためてメディアにおける多様性の必要性を感じました。そして障害をもち障害者の問題に当事者意識をもって取り組めるジャーナリストやライターが増えることの必要性を感じ、私もその一人でありたいと思いました。
 
さて、精神障害者や発達障害者は「偏見にさらされている」「差別されている」ということに敏感で、健常者や社会に恐怖感をもつ人が多いです。
それが悪いと言っているわけではなく、偏見や差別にさらされてきた人、ひどい虐待を受けてきた人が他人や社会を怖がるのはある意味当然です。「誰かが自分のことを悪く言っているかもしれない」「また悪く言われるかもしれない」と常に緊張しているのです。しかし、それが歪んだ形になり、社会と対峙する方に向かわないようにと思います。人に受け入れられる体験を通じて強すぎる恐怖感が緩和されるといいですね。そういう人がやがて社会を良くするパワーを持てるようになるといいなと思います。
 
批判するな、ということではなく、ある論調に異論を言うのはありだと思います。
問題はその伝え方と、伝えた後のこと。
「加害者であることを認識して反省しろ」的な糾弾闘争を展開し、批判し謝罪させればいい、というのではなく、当事者と新聞社の溝を埋め、相互理解するところにもっていきたいもの。
メディア側も、彼らが何に困っているのか、何を偏見や差別と感じるのか、どんな表現なら納得するか分からなくて困っているのです。当事者側もそれを理解したいですね。
ここで伝え方を誤ると、当事者の声が健常者側に曲解され、「被害妄想の強い障害者がささいなことでギャーギャー騒いでいる」だけで片づけられ、さらなる誤解や偏見にさらされることがあります。(ささいなことではないですが…)声を上げたことを後悔するなど二次被害に苦しんだ当事者もいます。
あなたが一当事者で、うまく伝えられないなら、言わない方がましです。
つまり、当事者の立場も様々であり、うまく伝えられない人にまで、抗議する「べき」と言うのは逆効果だということです。抗議が絶対正しいという空気になり、よかれと思って、声を上げたくない人にまで「なんで抗議しないのよ」と言う人が現れなければいいですが…。(ちなみにセクシャルマイノリティのカミングアウトにも似た問題があります)
 
そして、一当事者で言うのではなく、実務寄りの人や有名人も一緒になって言うと、より効果があると思います。
障害者報道は障害者だけが考えればいいのではなく、健常者も一緒に考えることです。正直、障害者だけで考えると感情的な糾弾闘争になりやすく、結局「反省しろ」的な人しか参加できない空気が漂う場になりやすいです。そういうパターンを断ち切り、様々な視点を持つ人が混じる方が、良い結果になると思います。
大丈夫です、理解しやすい人は言ってくれます。理解しやすい人から理解します。
 
 
2020年オリパラまでに、このような報道がなくなることを。