マイノリティの中のマイノリティ 格付けと生きづらさ競争を超えて | 艶(あで)やかに派手やかに

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「女性」✕「発達障害」✕「アラサー」×「グローバル」の立場からダイバーシティ(多様性)について発信しています。

これまでの日本では、女性運動の中心は健常者、障害者運動の中心は男性でした。
女性障害者は、どちらの社会運動でも声を届けにくい存在でした。

女性、障害者といったマイノリティ同士の世界にも力関係や格差があります。

私は発達障害の特性ゆえに、以前の職場で、先輩の健常者女性から「あなたのようなふざけた女性がいるから、だから女は、って言われるのよ」と言われたことがありました。


そして、マイノリティの中のマイノリティである「女性障害者」同士が食事に行くと、障害の軽い女性が自分より重い障害のある女性に「やってあげるよ」なんて言って手を出したがる、
あるいは社会適応して働いている女性がそうでない女性に説教したがる、という話も聞きます。

そのように、マイノリティ要素は二重にも三重にもなっていく、ということです。

一方で、二重のマイノリティ要素を逆手に取り、マイノリティ界の中でもさらに弱者であると、ことさら主張する人々もいます。
「私の方が弱いマイノリティだからかわいそうだ」「私のマイノリティ要素を理解できないのに、多様性理解だなんて言わないで」などという言動を、私は「生きづらさ競争」あるいは「マイノリティマウンティング」と呼びます。
・性別、人種などの社会的属性
・優れた知的能力や才能の有無
・マイノリティ要素そのものの知名度
・マイノリティ要素が見えるものか見えないものか
・当事者に有名人がいるかどうか
マイノリティ同士のこうした格差から起きる、あの流行語にもなった「マウンティング」( これも変な和製英語ですが…)です。

マイノリティ同士が集まることは、共感や仲間意識による居心地のいい場づくりにもなりますが、格付けや生きづらさ競争も起きる場合があります。女性のコミュニティしかり、障害者のコミュニティしかり。
マイノリティが疎外されてきた過去に思いやりを働かせ、ハンデが是正しやすくなるよう配慮すべきなのはもちろんです。それもハンデが重ければ重いほどです。しかし、マイノリティ界で格付けや生きづらさ競争をする人々からは、話を聞いてみたいという魅力を感じることはできません。

「女性」の「見えないメンタル障害」である私は、「二重のハンデは二重の価値に変わる!」と言いたいですね。

マイノリティや社会的弱者などというのは、切り口を変えれば誰もがあてはまる可能性があります。
男性や健常者のコミュニティでも格付けや生きづらさ競争はあります。
日本社会では強者と思われている健常者の日本人男性も欧米社会に行くと「白人男性社会」の弱者になることがあります。そこにあえて挑戦する方は尊敬できます。

ダイバーシティ&インクルージョンの時代は、属性や肩書に関わらず、相手が誰であっても尊重するのが大切であるはずです。
それには、違う属性の人同士で混ざり合ってみるといいですね。そうすると、性別・年齢・国籍・障害・経験など色々な軸が出てきて、誰が弱者で誰が強者なのかわからなくなるときがあります。

ちなみにタイトルの言葉は、2018年3月1日、東京・市ヶ谷にある大日本印刷グループ DNPコミュニケーションデザインで行われた「多様性(たようせい)理解勉強会」 で、司会の方が冒頭に言われていた、とても印象的な言葉です。下に開催レポートがアップされています。
ココライフ女子部は、女性障害者による女性障害者のためのメディアであるということで、希少な存在感があるといえます。
私たちCo-Co Life女子は、まさにダイバーシティ&インクルージョン時代の旗手となれるのではないでしょうか?