同じ障害より、同じ志でつながる | 艶(あで)やかに派手やかに

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「女性」✕「発達障害」✕「アラサー」×「グローバル」の立場からダイバーシティ(多様性)について発信しています。

私は2010年頃から、発達障害当事者が集まる色々なコミュニティに参加するようになりました。コミュニケーションの訓練をしたり、互いの体験を語り合ったり、当事者ならではの工夫やサバイバル方を議論したりしました。
同じ悩みを抱えている者同士でつながり、誰にも理解されなかったことを初めて話せ、共感しあうという深い体験をしました。

他方、当事者と健常者が混じって社会活動をする団体にも参加しはじめました。TEAM挑戦で富士山に登ったり、Co-Co Life☆女子部でライターをするようになりました。

いまでは、TEAM挑戦やココライフ女子部の方が思い入れははるかに強い。

同じ発達障害当事者の場で得たものもあります。でも同じ障害があるからといって、すべてわかり合えるわけではない。同じ方向を向いているとは限らない。
TEAM挑戦やココライフ女子部のようなコミュニティでやってきたことは、前者よりもはるかにスケールが大きく、得たものもそれだけ大きい。より苦楽を共にした感がします。より社会とつながっている感がします。

後者は、同じ障害ではなく、同じ志でつながっているんだと思います。
いずれの団体も、障害のある人をサポートする性格。ただそこに集まってくる人は、発達障害とは限りません。車椅子だったり、知的障害だったり、双極性障害だったり。発達障害より重い障害を持つ人もいます。それぞれ背景は違っても、違いからくる生きづらさに苦しんだ人々です。
しかし、生きづらさを価値に変え、違いを楽しむ社会、という志は、みなが共有しています。
車椅子の人が「山に登りたい」と言ってきたら? 目の見えない人が「おしゃれしたい」と言ってきたら? あるいは、コミュニケーションや協調性に難のある発達障害の人が「困ってる人を助けるボランティア活動をしたい」と言ってきたら?
こうしたことを実現していこうとする場所や、そこに集まる人々には、魅力やダイナミズムがあります。
特性からくるトラブルに直面したり、健常者との力の差を感じたりして、配慮される弱者であることを意識せざるを得ない場面がなかったかといえば嘘になりますが、それよりも自分が助ける側に回ったり、マネジメントする側に回ることもあったことを、よりよく覚えています。

同じ障害より、同じ志でつながる方が、居心地がよく活力ある場づくりになりそうです。