平昌パラリンピック | 艶(あで)やかに派手やかに

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「女性」✕「発達障害」✕「アラサー」×「グローバル」の立場からダイバーシティ(多様性)について発信しています。

ココライフ女子部では、「パラビューティー」という、障害者スポーツをやっている女性を取り上げる企画があります。(発行号によって、あったりなかったりします)

昨日から平昌パラリンピックが始まりました。
このパラリンピックの歴史は、オリンピックとは別な経緯で発展しました。第二次世界大戦後、参戦国各国に、戦争で身体障害や精神障害をもった傷痍軍人が多数現れました。そんななか、1948年にイギリスの病院で傷痍軍人のスポーツ大会が開かれました。これがパラリンピックの源流と言われています。 開催に尽力したルートヴィヒ・グットマン医師の「失ったものを数えるな、残ったものを生かせ」(It is not what you have lost but what you have left that counts.)という言葉は有名です。
ちなみに海外のパラリンピック選手には、傷痍軍人も少なくありません。あと、テロで障害を持った選手もいます。世界にはまだまだ戦争やテロがあるのです。
発展の経緯は異なっても、平和の祭典という点では、オリンピックと共通しますね。

そして、いまのパラリンピックは、当事者の治療の一環でやってきたレベルから、魅せる競技になるレベルになりつつある過渡期にあるようです。

パラリンピックは、障害者の社会参加の一つの場ではありますが、障害者しか参加できないイベントでもあります。この点が、パラリンピックが浸透するうえでの限界ではないかと。

パラスポーツに、健常者も参加できるようになると、ちょっと状況は変わるんじゃないかなと思います。
今日NHKでチェアスキー、下肢障害者向けの座ってやるスキーを見ていて、「これは立ってやるスキーとは違う興奮があるんじゃないか?」と思いました。
治療のレベルから魅せる競技に発展してくると、健常者の中にも、あれやってみたいな、と思う人が出てくるんじゃないでしょうか。また、パラリンピック=身体障害というイメージで、精神障害や発達障害は蚊帳の外という印象もあります。それを崩していくことはできないでしょうか?
現実には、チェアスキーの器具が高額、障害別の条件の付け方をどうするか、など課題もありますが。
しかし、身体障害者だけのいわば「分離された」スポーツが、健常者や身体以外の障害者も参入する段階になれば、真のダイバーシティ&インクルージョンが始まるのではないでしょうか。

健常者の領域への障害者の進出が注目されますが、逆があってもいいのではないでしょうか。
男性職場への女性の進出が注目されますが、逆 もありではないかというのと同じです。