社会は怖い・会社は我慢の装置という壮絶な誤学習 | 艶(あで)やかに派手やかに

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日本経済新聞1月29日朝刊5面「経営の視点」

以下リンク先より

 次の質問に「はい」「いいえ」で答えてほしい。

・私は仕事をする上で、自分の最も得意なことを行う機会が毎日ある。

・職場で自分の意見が考慮されていると感じる。

・最近1週間で自分の仕事が褒められたり、認められたりしたことがある。

・職場に親友がいる。

・過去1年の間に仕事を通じて学び、成長する機会を持った。

こうした働く人のエンゲージメント調査は米欧で盛んだ。結果をみると、実は日本人の仕事に対する熱意はほぼすべての調査で最下位クラス。ギャラップ調査では「仕事に主体的に取り組む人」は全体の6%にとどまり、世界139カ国のなかで132位だった。米IBMが昨年発表した同種の調査でも、43カ国中42位で、日本より劣るのはハンガリーだけだった。

一連の調査が示すように、日本人は受動的なまじめさはあっても、自ら積極的に仕事に向きあう姿勢に欠け、それが労働生産性の低さやイノベーション不足に帰結しているのではないか。

うわー、いまや日本人の勤勉神話は崩壊、ですか…。
でも核心ついてますね。

かつての私の周りには、こういう記事に書いてあるようなことを話すと、反射的に「そんなものはきれいごとじゃないか」とか言い出す人が多かったですね。
日本が馬鹿にされたと感じて「海外と比較してどうする」とか言い出す人もいましたね。私はこの記事が日本を馬鹿にしているとは思いません。むしろ日本に良くなってほしいからそう言っていると感じますが。

けれど現実には、言ってくる人との力関係から言い返せず、思うとおりにならない環境でも我慢を実行できるのが社会人であり、理想の職場を探すなんて青い鳥を追うことだ、と真面目に言い聞かせ、昭和的メンタリティが重視される社会に自分を合わせるように生きてきました。
発達障害の特性がありましたから、「我慢が足りない」というレッテルを貼られることも多くありました。
壮絶な誤学習といえます。

大人はしばしば若者の前で、社会や会社を脅しの道具として持ち出します。「それでは社会で通用しないぞ!」「そんなことは会社では許されないぞ!」とか。
これでは働くのが怖くなるのも当然です。

そのように脅かされて育った人が、楽しんで働いている人に出会うと、天地がひっくり返るほどの衝撃を受けます。
「仕事って、こんなんでいいのか?」とか思ったりもします。

楽しんで働く、って何もふざけることではないですよね。
経営の視点から見ても、イヤイヤする社員が大半だったら、その会社は回らないです。
我慢の装置として使われる会社も迷惑です。

社会人として魅力的な人は、だいだい、仕事を楽しもう、って言います。そういう人はふざけるどころか、協力的で、心に余裕があって、愛されキャラクターです。
逆の意見を言ってくる人は、今から思えば、社会人としてどちらかといえば魅力的でない人が多かった印象です。自称我慢のできる社会人は、よく見ていると、きまじめというよりはヒガミっぽくギスギスしてて怖い人が多いと感じるのは私だけでしょうか。
そして何より、彼らはそれが普通の社会人だと思っていますが、世界的にみればそれは負け組の部類に入るんですね。


ただ、コミュニケーションが難しい発達障害の人に、「社会は楽しいよ」と言って、ガチガチの田舎の学校の事務員を勧めて、そこで人間関係でつまづいて再起不能になられちゃったら、私は責任取れないなあと思います。目の見えない人に「山は楽しいよ」と言って富士登山に連れて行くのと同じです。
そうならないための準備とマッチングは絶対に必要。
でなければ本当に社会は怖いところになってしまいます。

いまの私自身は、発達のヌケや誤学習を修正し、社会のなかで「はまるクラスタ」(昭和的メンタリティが重視される会社ではなく、ある程度変人でも務まるような実力主義の会社)を見つけ、適応し、愛されるフェーズに入った、といえます。

発達障害の有無関係なく、この壮絶な誤学習の修正は、国の生産性向上にもつながりますね。