「アデハデ」に込めた想い・第76回 多様性を否定するという多様性は認められるか | 艶(あで)やかに派手やかに

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「女性」✕「発達障害」✕「アラサー」×「グローバル」の立場からダイバーシティ(多様性)について発信しています。

ある人が人間の多様性(ダイバーシティ)を本当に理解しているかどうかの判断は、「自分以外の価値観の人もいてもいいと思えるか」で見ています。

私はよくこんな話をします。「多様性を否定するという多様性は認められるか」。

 

私は、「これが普通でしょ」と言うのが口癖の人も社会にいていい、という立場です。

いや、私が認める認めないにかかわらず、現にいるものはしょうがないでしょう。

 

ただ、私がそのような人と一緒に何かをするのは難しいでしょう。

 

そこで、私はこう考えるようにしました。

自分以外の価値観の人とは無理に仲よくする必要はないが、せめて「邪魔者扱いしない」付き合い方をする。

それが多様性の尊重ではないかと思うようになりました。

 

時々見かけるのが、「多様性を認めよ」と叫びながら、自分の価値観を理解できない人、つまり「これが普通でしょ」と言うような人を「悪い人」とみなして攻撃してしまうということ。
でも彼らのしていることをよく考えると、それは一般的な価値観と異なる価値観を持つ人々に対して「社会に合わせなさい」と言うことと同じことだと思うのは私だけでしょうか。


ただ、ここで私が、そんな人がいることが許せない、とまで考えてしまうと、やはり異質な他者への攻撃になってしまいます。

不健全なもの、不完全なものをどこまで受け入れられるか。
もっと言うと、不健全、不完全の基準は何だ、という話にもなってきます。


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