一般に病気や障害が治るというのは、症状が消え去って元の生活に戻ることを指しますが、「発達障害が治る」とはどのような状態になることを指すのでしょうか。
今の医療では、現に生きている発達障害の人の持つ特性をすべて消し去って、健常者と同じ状態にすることはできません。
そもそもそれはすべて「治療」しなければならないのか? 風邪やねんざやがんを治療することには疑問を挟みませんが、発達障害はどうでしょう? 多数派と違うだけで「障害」なのか? 「個性」とみなすことはできないのか? できないことは周囲に手伝ってもらえばいいのでは?
この線引きの難しい問いに対する答えは程度問題で、暴力を振るうなど、その人の生きていく場所で「個性」で片付けられないような深刻な問題があり、周囲の理解やサポートが得られない、またサポートする側に過度な負担がかかってしまう、その結果として本人が生きていくことすら難しくなるのであれば、治療すべきでしょう。
逆に言えば、これは健常者でもそうですが、短所と思われることであっても(極端な話、「他人の悪口」といったものでも)、その人が生きていく場所で深刻な問題が起きない、むしろプラスに働いているのであれば、無理に治さなくていいこともあります。むしろ治そうとするエネルギーを長所を伸ばす方向に使うべきでしょう。
ではどのように治療すればいいのか? 何かの薬を飲めば治るのか?
確かに、病院で処方する薬による治療が行われることもあります。しかし本当は薬でも根本的な治療になりません。薬を飲んでも脳の構造が健常者のそれに変わることはなく、単に落ち着きがなかった人が一時的に落ち着くようになるといった効果のみ、といわれています。また薬の副作用の被害が発表されていることもあり、病院も安易に薬を出せないのです。
実際に薬を飲んでいる当事者はごく限られており、特に軽度の発達障害では薬による治療はあまり行われません。私も薬を飲んだことはないです。
もっとも、これがうつ病などの二次的なメンタルの問題を併発してくると違ってきますが。
実は発達障害は、好きなことをすることによって、状態が良くなることが多いです。脳が活性化されて、長所は強化され、苦手なことは自然治癒されるのです。
また属する環境によっても、状態が良くなったり悪くなったりするものです。その環境にいる人々が当事者を肯定的に見て応援しようという人が多いかどうか、その環境を取りまとめるリーダーが当事者に対して協力的かどうかが響いてきます。
当事者の能力や向き不向きもそうですが、それとは別に、人間の多様性に理解度が高いかどうかも考えて環境を選んだ方が幸せになれると思うのです。
以前に私のいた職場は、発達障害への理解以前に、人間の多様性に対する理解が遅れていたと言わざるをえません。健常者の同期のように仕事を教えてもらえることがなく、一人で簡単な仕事をして過ごすことが多かったです。連載第31回にも書きましたが、障害のある人が働いていくうえでそのようなケースは少なくないのです。
私はそんななかから文筆や語学や旅行などの興味関心を伸ばし、保証がないというリスクを取ってフリーランスという道を選びました。まだまだ道半ばですが…。
環境に加えて、栄養バランスの良い食生活と、適度な身体への働きかけ(フィットネス)によっても、大きく改善されます。
繰り返しますが、「発達障害が治る」とは健常者と同じになることではなく、特性が部分的に段階的に和らいでいくイメージです。目指すところは、連載第64回にも書いたような、「自分の一番の部分」を磨き、マイナスの特性が治療され、メンタルに支障をきたすほどの問題がなく社会生活を送れるようになることです。
こちらも合わせて読むとより理解が深まります。
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