2024年訂正の旅①『ゴジラ-1.0』超総括 | アディクトリポート

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2024年訂正の旅①

この新設テーマ『2014年訂正の旅』は、
修正コメントや付帯意見、ご質問に返答します。

 

今回はこの記事(モノクロ版『ゴジラ-1.0/C』(ゴジラマイナスワン/マイナスカラー)4DX)にいただいたコメント。

340 

脱出装置について説明を受けるのは、機体へ爆弾の仕込みが完了した説明を受けての流れなので、知ったのは当日では無いと思いますよ。

340さんは、

この記事(【その3】『シン・ウルトラマン』+ゼットン最終回)でも顕著なように、

時折、こちらがまったく気づかないことを鋭く見抜いてご指摘くださいます。

 

こう言うありがたい読者は大歓迎で、

いただいたご意見にはひたすら感謝感激、

なんの異論も反論もございませんので、

その辺はどうか誤解なきよう。

 

もっとも、340さんの話題はもっぱら怪獣・ウルトラに絞られるため、

たとえばこの記事(坂道ヤマシタ)の、

「坂道グループ(乃木坂・櫻坂・日向坂)内でダブり苗字が多数」な件で、

向井姓の2人(葉月と純葉)のリストアップが抜けていたことに、

340さんはともかく、他の誰からも指摘がないのはどーして?

【向井】

向井葉月(乃木坂3期生)

向井純葉(いとは・櫻坂3期生)

名前の全4文字中、「向・井・葉」の3文字が同じで、

「む・か・い・は」の読みまで同じって、どこまで共通してんねん!

 

別にいつもの常連コメント以外の方でも構わないんで、

ご指摘はバシバシ歓迎

と思ったりはするわけですが、

とにかくなにしろ、

このように深掘りのジャンルが特異的だと、

読者の守備範囲を軽く超えてはいる反面、

340さんのように究極特化型の読者には、

いとも簡単に至らぬ点を見破られてしまう…。

 

でもって、340さんのご指摘はごもっともなうえで、

どうして私が映画を見誤ったのかをこれから苦し紛れに言い訳しますよ。

 

『ゴジラ-1.0』超総括

『ゴジラ-1.0』の5回目の鑑賞にあたり、

慣れからどうしても途中で集中力が削がれ、

ところどころ寝落ちしてしまって連続した流れで作品を見られずに、

断片的にしか鑑賞できない状況下だと、

せめて未確認事項を確かめようと、もがくしかないわけでして。

 

でもって未確認事項を例示すると、

  1. GHQ撤収事情の再確認
  2. 主人公・敷島浩一(神木隆之介)の決死特攻、別名「死ぬ死ぬ詐欺」は、本人はいつから死なないとわかっていたのか?

 

この流れから、整備兵の橘宗作(青木崇高)が、

神木キュンに、いつ脱出装置を教えたのかを確認することに。

 

でもってそれは、出撃当日ではなく、

  1. 燃料庫に爆弾搭載
  2. ゴジラ突撃直前に爆弾を起動させるための解除レバーを引く
  3. 脱出装置の仕組
を教えたのが、それよりだいぶ前の日だったんだとすれば、
敷島は出撃当日、どうして
  • 隣家の太田澄子(安藤サクラ)に、義娘の明子(永谷咲笑)の後見費を託したのか
  • コクピットに大石典子(浜辺美波)の遺影(仮)と、明子が描いた3人家族の絵を飾った意図は

との辻褄がどうしても合わない。

 

いや別に、これらはあくまでも敷島の決死の覚悟を演出し、

観客に緊張感と決死感を伝えるための作劇法に過ぎないから、

敷島/神木が自分が死なずに済むことを知っていようがいまいが、

『海猿』シリーズの「仙崎(伊藤英明)死ぬ死ぬ詐欺」に倣(なら)って、

ああいう描き方になってるだけのこと。

 

したがって、橘/青木が、いつ脱出を示唆しようがそれにあの映画の描き方(演出法)は左右されはしないわけだが、

それでもなお、なぜ神木キュンは、

①義理の娘・明子への将来の養育資金を安藤サクラに託したのか

⓶特攻機震電のコクピットに、家族の絆を示すゆかりの品を飾ったのか

についての、「その方がドラマが盛り上がるから」以外の、辻褄の合う言い訳が欲しい。

 

するとYahoo!の低評価レビュー(※いまだにこのゴミ溜め評価を閲覧する自分もどうかとは思いつつ)に、

こんなものが。

  • 現代のパイロットは年間に航空機を規定時間操縦しないと免許を更新できない。
  • 資格を持った経験のある整備士が、同じ機体を連日マニュアル通りに整備している現代ですら事故は起こり得る。
  • 3年ぶりに操縦する敷島/神木パイロットが、にわか雇いの橘/青木整備士が初めて接した震電を駆り、試運転もせずに曲芸飛行をこなした末に、見事に機体をゴジラに命中させると共に、脱出までを完遂させる。
と言うのは、あまりにご都合主義ではないか、と言う一見ご説ごもっともなレビューではあり、迎合するバカ連が26人も「役に立った」と評しているが、おいおいちょっと待てよと言いたい。
 
このレビューを読んで、2006年のジェームズ・フランコ主演映画で、日本では2007年に公開された『フライボーイズ』を試写で見た時のことを思い出した。
第一次世界大戦にて、人類は飛行機を兵器として導入。戦闘機が誕生した。この大戦で、アメリカ合衆国が未だ参戦を決めかねていた時期に、様々な事情から外人部隊としてフランス空軍に志願入隊し、ドイツ軍と戦ったアメリカ人の若者たちがいた。彼らの所属した実在の中隊「ラファイエット戦闘機隊」の実話に基づき、彼らの苦悩と友情、そして「最後の騎士道」「大空の決闘」であった時代の空中戦を、総製作費70億円の巨費を掛けた実写アクションと、CGを駆使したVFXで描く。
 
といった内容で、CGなしでは映像化が無理な複葉機の戦闘シーンを存分に堪能。
ところが試写室を出るところで、一人の年配の訳知り顔が、「実際の第一次大戦の空戦事情は、あんな映画の描かれようとは全く違う」と息巻いていて、試写会開催関係者を困らせていた。
 
試写会関係者に文句を言ったって、映画が改変されるはずなどないのに、自分がヒコーキ狂だからって、この人は一体何をとち狂っているんだろう。
これだからマニアは困るよ。
 
あの時の「ダメだこりゃ」な思いが、今回のレビュー記事に接してまざまざと蘇った。
 
まあ、とにかくそれで『ゴジラ-1.0』劇中で、試験飛行を延々と繰り返す描写なんか入れたら緊迫感ぶち壊しだけど、
敷島が無事に作戦を完遂できる確証がないからこそ、万が一のために安藤サクラに「娘を頼みます」とことづけし、死んだ(と思い込んでいた)典子/浜辺美波の遺影に願掛けして、血のつながりのない擬似家族、父・浩一/母・典子/娘・明子の絆を奪わないで欲しいと、明子の描いた父母娘の3人顔のたどたどしい絵もコクピットに飾ったんだろうなと、ようやく納得したのです。


おしまい。