再鑑賞『シン・ゴジラ』(2016) | アディクトリポート

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再鑑賞『シン・ゴジラ』(2016)

 

2022/11/25〜12/1 Amazonプライム

 

『シン・ウルトラマン』配信に惹かれて加入したAmazonプライム。

 

せっかくだから他にも観とくかと、

入院中に『スーパーマン』を鑑賞。

 

自宅隔離療養中にも、もう一本ぐらい見とくべということで、

色々物色した挙句、

『大怪獣のあとしまつ』は12月からの配信+有料なため、

ここは一つ、

『シン』つながりで、2016年に一度見たきりの、

『シン・ゴジラ』でも観てみるかと。

 

とにかく『シン・ゴジラ』初見の印象は散々で、

どうして世間は軒並み高評価なのかさっぱり解せなく、

その思い出がトラウマとなって6年も再見を拒んでいたが、

庵野式作劇にも『シン・ウルトラマン』の複数鑑賞でさすがに慣れてきて、

一般的な劇映画としての体裁はてんで整っちゃいなくても、

どうしてそういう構造になっているかは理解できるようにはなってもいる。

 

庵野氏は、とにかく作劇や脚本の執筆に際し、

観客にきちんと伝わるかどうかを全く考えておらず、

どうして作品がそういう筋立てになっているかだけを、

順を追って説明しているに過ぎない。

 

映画ではなく、説明/解説動画だと言われる所以(ゆえん)である。

 

『スーパーマン』を例に取ってもわかるが、

クラシックな名作洋画は、時代を経ても再見に値する普遍の魅力が失われない。

 

庵野作品をもてはやす人たちを私が信用できないのは、

明らかに質の劣るアニメばっかり見ていて、

歴代の名作実写映画を見ちゃいないんではという疑念が拭えないからでもある。

 

いやほんと、『エヴァ』とか見ても、

「良くもこんな歪(いびつ)な出来損ないを、両手(もろて)をあげて全肯定できるよな」という「呆(あき)れと諦(あきら)め」の思いばかりが先立ってしかたなかった。

 

庵野枠だけではまかり通り、他では通用しない庵野信者とか、庵野ジャンキー、庵野漬けってやつじゃないの〜?

 

ここらへんを話し出すとキリがないので、

6年ぶりの『シン・ゴジラ』再鑑賞の感想を述べておくと、

初回鑑賞で拒否反応を示した部分を再体験するのが恐怖でしかなかったが、

意外やそこはあまり気にならず、

配信でセリフが聞き取りやすい条件にも助けられ、

そこそこ面白く鑑賞。

 

庵野氏は自分の中で話の辻褄が合えばそれで満足な脚本執筆姿勢なため、

およそ推敲や読み直し、練り直しはしていないため、

時々要所がすっぽり抜け落ちる。

 

たとえば『シン・ウルトラマン』なら、

放射性物質の塊のガボラ退治で、

高空に飛び去って、ウルトラマンとガボラをまとめて追跡不能(ロスト)となっていたが、

外星人メフィラスとのブランコ会話か浅草の酒場の会話か、

あるいは長澤まさみの体臭嗅ぎ取りのくだりで

プランクブレーン(膜構造の巨体空間倉庫)にガボラの巨体も放り込んだのだと反芻すればよかったのにとは思う。

 

同じことを『シン・ゴジラ』で指摘すれば、列車爆弾作戦はなるほど面白いけれど、

ゴジラを線路上に留め置く手筈なしにはその作戦は成立しないはずなのに、

そこらへんが完全スルーなのがなんともどうにも解せない。

 

それでも最後まで飽きずに鑑賞し、

初回の悪夢はほとんど蘇らなかったので、

私もまんまと庵野マジックにハマり始めているのかも知れない。

 

2020/02/06