『パンダコパンダ』『同・雨ふりサーカスの巻』/シネコン・ウォーズ・18 | アディクトリポート

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『パンダコパンダ』『パンダコパンダ 雨ふりサーカスの巻』

2022/9/25 MOVIX三郷 シアター②  D-11

 

『ルパン三世 カリオストロの城』クラリスの結婚式を記念した特別上映

ーーに続き、

過去の宮崎駿/東京ムービー(現:トムス・エンタテインメント)作品の復古(リバイバル)上映。

 

【9月開催決定】『パンダコパンダ』公開50周年を記念した全国特別上映!

 

Filmarks(フィルマークス)主催の上映プロジェクト・プレチケにて『パンダコパンダ』の特別上映企画を9月23日(金)より全国で開催決定!

 

今回の企画は、高畑勲・宮崎駿のコンビによる名作アニメ『パンダコパンダ』の公開50周年を記念して、トムス・エンタテインメントとFilmarks(フィルマークス)主催の上映プロジェクト・プレチケとの共催で本作を9月23日(金)より全国にて2週間限定上映します。

演出:高畑勲、原案・脚本・画面設定:宮崎駿により制作された本作は、後の高畑・宮崎コンビの源流とも言われ今も愛され続ける作品です。

今回は、『パンダコパンダ』(35分)、『パンダコパンダ 雨ふりサーカスの巻』(39分)を豪華二本立てでの上映となります。さらに、来場特典も配布予定となっていますので、不朽の名作をぜひスクリーンでお楽しみください。

 

上映期間:2022年9月23日(金)〜10月6日(木)
チケット販売:各劇場のチケットシステムにて順次販売予定

 


2022/08/26

 

近場の劇場では、イオンシネマ越谷レイクタウンが上映中だが、

純然たる子供向け作品のため、上映時間が早くて見過ごす。

 

MOVIX三郷では、午後7時の回があったので、

「これしかない!」と勇んで観賞。

 

ところが…。

2時間ほど前の予約画面でもそうだったが、

開映しても観客は私たった一人!

 

貸切状態で映画を観たのは、

まだシネマイクスピアリがAMCシアターズ時代に、

あいあむ

日本での展開

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1995年5月にAMCエンターテインメント・インターナショナル(以下、AMCEI)が日本支店を設立。日本市場に参入した他社が日本国内の資本と提携を模索する中、同社は直営での展開を進めた。1996年4月20日に日本初となるロードショー地域のシネマコンプレックスであるAMCキャナルシティ13を福岡市博多区のキャナルシティ博多内にオープンした。メガプレックスの展開で成功していた同社は、日本1号店である同サイトにも13スクリーンを設置した。日本の興行関係者からは常識はずれのスクリーン数に批判もあり、その手法から黒船と恐れられた。邦画系を中心に作品が配給されない懸念があったが実際には配給され、開業2年目の1997年には150万人動員を果たしている。

1996年の発表では、5年間で300スクリーン、10年間で1000スクリーンという目標を立てており、発表された候補地から都市型のシネマコンプレックスを中心に展開するものと考えられていた。しかし、後にショッピングセンター併設型で地方都市にも展開する計画が立てられている。

キャナルシティ13の後に実際に5年間で出店されたのは下記の4サイトのみで当初の目標を大幅に下回った。この間、1999年7月には日本法人の株式会社日本AMCシアターズ(以下、日本AMC)を設立し、AMCEI日本支店から劇場運営を移管している。

  • AMCなかま16 (福岡県中間市、ショッパーズモールなかまモール館 4階) <16スクリーン、2,654席、1998年11月21日開館>
  • AMCホリディ・スクエア18 (愛知県豊橋市、ホリデイ・スクエアアミューズメントビル) <18スクリーン、3,310席、1999年7月17日開館>
  • AMCリバーサイドモール16 (岐阜県本巣市、リバーサイドモール内) <16スクリーン、3,108席、2000年3月24日開館>
  • AMCイクスピアリ16 (千葉県浦安市、イクスピアリ内) <16スクリーン、3,504席、2000年7月8日開館>

アメリカでの競争が激化したため、2000年頃からアメリカ国外への投資を抑制し国内への投資に集中することになった。日本国内の資本とも提携していなかったため、北九州や大分、長岡の出店計画は撤回され、イクスピアリ16以降の新規出店は行われなくなった。2005年には日本市場は投資効率が悪いと判断され、撤退を開始する。

まず、2005年6月18日にイクスピアリ16を日本AMCからAMCEIに移管。同サイトは高額な家賃を巡って日本AMCとオリエンタルランドが係争中であったため、整理は後回しにされた。同年7月1日には日本AMCと同社運営の4サイト(キャナルシティ13、なかま16、ホリディ・スクエア18、リバーサイドモール16)をユナイテッド・シネマに50億円で売却。4サイトの劇場全従業員と本社スタッフ数名もユナイテッド・シネマに引き継がれた。

残ったイクスピアリ16は同年9月1日に10億円でAMCEIからオリエンタルランドに営業譲渡された。前述の係争についても同時に解決されている。運営はオリエンタルランドから同社の完全子会社であるイクスピアリに委託され、劇場全従業員と旧日本AMC本社スタッフ3名もAMCEIからイクスピアリに転籍した。なお、譲渡時の条件として8ヶ月以内にAMCから改称することを求められていたため、同サイトは2006年3月1日にシネマイクスピアリと改称されている。2005年10月末にAMCEI日本支店は閉鎖し、撤退が完了した。

しょうさん

観賞した、ブルース・ウィリスとミシェル・ファイファーの『ストーリー・オブ・ラブ』(1999・日本公開2000)と、

ワーナーマイカル ユーカリが丘(現・シネマサンシャイン)で観た、

↓ワーナーマイカルユーカリが丘(1999年)

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1999年3月6日に開館

2018年5月31日をもって営業終了。

シネマサンシャインと

2018年6月15日開業。2019年9月撮影

3つ名前が変わったユーカリが丘シネコン。
 

ジョン・トラボルタとエマ・トンプソンの『パーフェクト・カップル』(1998・日本公開1999)

ニコラス・ケイジの『スネーク・アイズ』(1998・日本公開1999)

ーー以来ではないか。

 

さて、たった一人の貸切状態で初観賞した、

両作の感想は?

こぱんだ

『パンダコパンダ』は、東京ムービーの劇場用中編アニメーション作品である。1972年12月17日公開、東宝配給、カラー34分。のちの『となりのトトロ』の原型とも評される。監督は高畑勲で、宮崎駿が原画の他、原案、脚本、画面設定を担当している。

概要

1972年(昭和47年)に日中友好の一環として中国からジャイアントパンダ上野動物園に贈られたことをきっかけに、日本にパンダブームが起こり、それに合わせて公開されたアニメーションである。「パンダブームが企画のきっかけ」という見方があるが、監督の高畑勲はそのずっと以前からパンダに注目して企画を立てていたと述べている。東宝チャンピオンまつりの一本であり、同時上映は『ゴジラ電撃大作戦』『怪獣大奮戦 ダイゴロウ対ゴリアス』の2作品。

↑画像はこちらより。
 

長くつ下のピッピ』アニメ化のために東映動画からAプロダクション(後のシンエイ動画、以下Aプロ)に移籍した高畑・宮崎および小田部羊一の3人が、原作者の許可が降りなかったため頓挫した後に作られたオリジナル作品。主人公ミミ子が一人暮らしをすること、ミミ子のデザイン(三つ編みで顔にそばかすがある)や、ミミ子の暮らす家の設定(オーブンつき台所)などの要素は、『ピッピ』から引き継がれたものである。

そのようなこともあってか、当時のAプロは東京ムービーの専属下請け会社であったにもかかわらず、このシリーズは同社が率先して企画・制作したものである。

本作品の好評を受け、翌年3月17日には続編『パンダコパンダ 雨ふりサーカスの巻』も公開された。

 

『パンダコパンダ 雨ふりサーカスの巻』は、東京ムービーの劇場用中編アニメーション。1973年3月17日公開、カラー38分。劇場用中編アニメーション『パンダコパンダ』の続編として制作された。

本作品は東宝チャンピオンまつりの1本として公開されたが、メイン作品であった『ゴジラ対メガロ』よりも人気を博したとされる。

なお全く同じ日には「東映まんがまつり」でも、長編アニメ『パンダの大冒険』(制作:東映動画。演出:芹川有吾)が公開し、期せずしてパンダ映画同士がぶつかる形となった。

 
私は『コパンダ』『雨ふり』両作ともに初見。
中学時代の友達、マヤマ君が、1作目か2作目のどちらかを中学校の休日に観賞したらしく、休み時間に♪パンダコパンダコパンダ♪と歌い続けていたから、よほど印象に残ったのだろうとは思っていたが。
 
実際の作品は、純然たる子供向けで他愛ない“まんが映画”だが、
前述のとおりパンダ父子はトトロの原型だろうし、
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↓徳間アニメ絵本の『となりのトトロ』(左)と『パンダコパンダ』
高畑勲と宮崎駿の、東映動画からAプロに移籍し、
あんせい
「ルパン三世」1st後半での東京ムービーとのコラボという体制を引き継いでの2本が、
 

Aプロダクション時代

Aプロダクション(以下Aプロ)の名前は、「最初の文字であるA、エースという意味などで何となくつけた」という(創立者・楠部大吉郎の弁)。

テレビアニメの黎明期に人形劇団出身者によって創立された東京ムービーがテレビアニメ『ビッグX』で経営危機に陥り、その失敗を踏まえて制作体勢を整えようとした。そこで当時の東京ムービーの社長であった藤岡豊が東映動画(現:東映アニメーション)から独立したアニメーター、楠部大吉郎に声をかけたことが創立のきっかけだった。そして楠部は、東映動画の新人アニメーターだった芝山努小林治に声をかけ、少し遅れて椛島義夫森下圭介の2人が楠部らに合流して計5人が創立メンバーとなり、Aプロは渋谷区代々木にその拠点を構えた。

東京ムービーは営業を担当し、Aプロは制作担当として業務提携(資本関係なし)という形を取った。そして楠部の弟でもある楠部三吉郎が東京ムービーに入社し、制作管理スタッフとして兄の大吉郎を支えた。やがて東映動画も劇場長編アニメから新人を中心としたテレビアニメ制作へと方向転換を始めると、東映動画の長編スタッフ、中堅のスタッフが続々とAプロへ移籍して来る。これら移籍組の小山礼司、吉田茂承、大塚康生宮崎駿高畑勲小田部羊一らと定期採用で育成された当時の新人、中村英一といったアニメーターや演出家が東京ムービーの代表作である『オバケのQ太郎』『巨人の星』『ルパン三世 (TV第1シリーズ)』『ど根性ガエル』『荒野の少年イサム』『天才バカボン』など、数多くの作品を手掛けた。

作画・演出スタッフの他に美術部門・仕上げ部門も擁して、最盛時にはテレビアニメ5作品の同時制作を誇っていた。しかし、1974年(昭和49年)に創立者の楠部大吉郎が病気で1年間療養したこと、更に東京ムービーの藤岡が日本市場への関心を失い、アメリカ市場開拓のために奔走しているうちに東京ムービー製作作品の本数が減少した。こうした背景と経営の危機を迎えたことで実制作のみの体制に限界を感じた楠部は自社で企画・制作をする会社にするため、1976年(昭和51年)の『元祖天才バカボン』を最後に東京ムービーとの提携を円満解消して独立した。こうしてAプロは1976年(昭和51年)9月9日に社名を「シンエイ動画株式会社」に変更し、改組した。

 
「コパンダ」「雨ふりサーカス」なわけだが、それだけに「ルパン」を引き継いでる部分も多々あるし、なにしろ小田部羊一が作画監督、演出:高畑勲、画面構成:宮崎駿、主役の女の子の声が杉山佳寿子といえば、「雨ふりサーカス」翌年の1974年1月6日から12月29日まで、フジテレビ系列で毎週日曜19:30 - 20:00に全52話が放送された、ズイヨー映像制作の「カルピスまんが劇場」第6作目に当たる『アルプスの少女ハイジ』に通じる作品でもある。
 
1975年半ばに創業した日本アニメーションは、ズイヨー映像から設備とスタッフを引き継いでいるため、実質的な制作現場は共通である、とのことで、『ハイジ』(1974)からは
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『母をたずねて三千里』(1976)
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『赤毛のアン』(1979)
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『未来少年コナン』(1978)にもつながっていく。
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ーーと、長々と前段に費やし、

なかなか『コパンダ』本編の感想に至らないのは、

あまり書くことがないからで、

(※以下、内容に触れます:赤字部分)

 

「お婆ちゃんは法事で北秋津から九州に出かけたはずが、一向に戻ってこないのは保護者の義務違反だろ!」

とか、

「パンダ父子のようにしゃべれる動物と、1作目の飼い犬、2作目のサーカスの母トラ等の、しゃべれない動物の区別や線引きはどこにあるのか?」

という理屈や説明をこのまんが映画に求めてはいけない。

 

映画を観てる間は、「なんだ、この映画!」と笑いながら何度もつぶやき、

2作目の後半はさすがに集中力も削がれてアクビが連発はした。

 

とにかく、この時期に高畑勲と宮崎駿は、こういう作品を作りたかったんだなという気持ちだけはしっかり伝わったので、未鑑賞のままで人生を終わらないで良かったとは思うが、ゆめゆめ『カリ城』のような意欲や熱気、クォリティは期待しないこと。

 

さすがに一律料金1600円はドン引きなため、

MOVIXでは半券提示で、

通常900円のポップコーンセット(塩味・キャラメル味)が、お持ち帰り限定で500円と半額近い値引き!

 

映画の始まりと終わりに2回告知もあったため、

私もまんまとお持ち帰りしてしまいました。

 

『パンダコパンダ』二本立てを観るか観ないかは、

お子様だったら必見。

 

成人した方は個々のご判断にお任せしますが、

MOVIX鑑賞でポップコーンセットを500円でお持ち帰りしたい人にはオススメです!