この記事(「マンダロリアン」からのSW雑感)の続き。
↓この動画を見ての、
読者の感想を問いかけて終わったわけだが、
触発されて、
↓こういう動画を発表した猛者(もさ)もいるが、
2019/12/20公開
私にしてみれば、この充実提案でさえ「的外れ」である。
というのも、ルーカスフィルムとポルシェの仲立ちとして陣頭指揮を執る
↓この東洋人、
ダグ・チャンに適性が備わっているのかどうか。
この男に関しては、本ブログではことあるごとに取りあげて来たが、
近年、680人あたりだったフォロワーが、
おそらくは『記憶屋』のレビューを書いて、
↓ファン?の監視体制に入ったためか、
最近、1000人以上にふくれ上がった。
そういう方々は当然、私の語った「ダグ・チャン盛衰史」なんか知るわけがないし、
リンクを貼っても読むわけないんで、
うんとかいつまんで、
(もっとも、それだって読まれないのは承知の上で)
ここにふり返っておこう。
ダグ・チャンは今でこそルーカスフィルムの副社長に居座っちゃいるが、
『エピソード1』(1999)のデザインがジョージ・ルーカスの不興を買い、
「デザイナーの人材はまだ手つかずの大学生を探せ」と指示されながら、
(「アート・オブ・エピソード1」に記述あり)
「壮大な期待作を、未経験の素人なんぞに任せられるか」と発掘作業をサボった、
美術センスの皆無なプロデューサー、
↓リック・マッカラムが
社内告知に応募してきた、当時ILM勤務のチャンを抜擢。
(「社内壁の告知で、締め切りまで2週間と知り、あわてて応募作品を描いた」と、ファンクラブマガジンでチャンが証言)
「もっとましなのが世間には絶対いるはず」と、
チャンの仕事ぶりに満足できないルーカスから
代役捜しを請われ続けたマッカラムは、
次第にノイローゼに陥(おちい)って、
自分の抜擢に応えなかったチャンを拒むようになり、
『エピソード2』(2002)の頃にはチャンを意図的に避けるようになり、
口もきかなくなった。
(2002年の秋にルーカスフィルム社員のスティーブ・サンスイート邸
=ペタルマのランチョ・オビ=ワンに長居し、社内事情を事細かに聞く)
マッカラムはようやく、
↓ライアン・チャーチと
↑エリック・ティーメンズという
「使える」人材の二人組(シスかっ!)を獲得。
2人の引き継ぎ体制が整うと、チャンを『エピソード2』を最後にSWのデザインから追い出す。
(「チャーチとティーメンズは『エピソード1』から目当てをつけていたが、あいにく2人の手がふさがっていた」というマッカラムの見え透いたウソ証言を、『エピソード3』・2005の帝国ホテルインタビューで直接聞く)
——と、他の誰でもない私自身の独自調査で把握しており、
それだけに「フォースの覚醒」の頃に、
チャンがちゃっかり復職していることに驚いた。
「これは期待が持てないぞ」と疑問視していたところ、
予想どおり、
『7・フォースの覚醒』(2015)と
↓(上)『エピソード5』/(下)『7』のスター・デストロイヤー
↑(左)『6』/(右)『7』のシャトル。
↓ファーストオーダーの兵員輸送艇
↑レジスタンスの兵員輸送艇。どちらも…
『ローグ・ワン』(2016)と、
左から『ローグ・ワン』(2016)のAT-ACT、『最後のジェダイ』(2017)のAT-M6、『ジェダイの帰還』(1983)のAT-ST、『帝国の逆襲』(1980)のAT-AT。
『8・最後のジェダイ』(2017)の
デザインの冴え無さは、目を覆わんばかり。
SWオモチャが売れない悪循環は、
ディズニー体制(2015〜)からでなく、
プリクエル時代から引き継いでおり、
フィギュアの前にビークルが売れなくなったのは、
「SWメカはカッコ悪い」が民衆に知れ渡ったため。
チャンはデザイン科の学生時代は、
実車のカーデザイナーを目指していたが、
断念して映画の世界へ。
というわけで、実力で現在の地位にいるわけでもない、
カーデザイナー失格者が、
プロの世界で通用している、
ポルシェのデザイナーたちの前で、
デザイン論の講釈をたれるなんて、
まさに「釈迦に説法」、
「どの口が言う?」ではないか。
だけどこの場のダグ・チャンはずいぶんと誇らしげで、
ついに「下剋上を果たしたぜ」とでも言わんばかり。
見ればかつて自分を追放した、
ライアン・チャーチまで、
手下に従えているではないか。
この日のチャンは、
「ついにこの時が来たぜ」と溜飲を下げたに違いない。
↑直接ポルシェのデザイナーと折衝するのはチャーチの方。そりゃそうだ。
長くなったので、この話はまた続く。