「マンダロリアン」からのSW雑感
全8話のシーズン1のうち、
前半の4話(チャプター1〜4)まで視聴した、
ディズニーシアターで配信中の、
「マンダロリアン」
その素性の良さは、まさに「見ればたちまちわかる」ので、
ダラダラ解説するのもヤボだからそれはやらない。
具体的な内容に触れてネタバレをかますのも本旨ではないので、
今回は適材適所について。
SWという映画は、
小説等に原作を頼らず、
映画そのものが原作で、
他メディアでは知り得ない物語を映画館で初めて知る。
だから鑑賞後の共通する感想は、
「ふうん、今回はこういう話だったのか」であり、
ずいぶんとワヤクチャな『ジェダイの復讐』(当時邦題・1983)でも、
さらにもっとワヤクチャなプリクエル(エピソード1/2/3)でも、
「こういう話だったんだ」は健在だった。
ジョージ・ルーカスは語り部(ストーリーテラー)だったんだなと、
つくづく思う。
ところがシークエル(エピソード7/8/9)にはそれがない。
『7 フォースの覚醒』と『9 スカイウォーカーの夜明け』のJJエイブラムスと
『8 最後のジェダイ』のライアン・ジョンソンは、
どうすれば観客にウケてヒットするかだけに主眼を置くヤマ師/ギャンブラーに過ぎず、
語り部の資質がゼロなため。
なので、『スカイウォーカーの夜明け』のレビューや感想でも、
「話の辻褄が合ってない」云々の批判については、
「いや、『7』と『8』ではしっかりできてたんなら、なんで『9』だけできてない!」
という糾弾も頷けるが、
『7』でも『8』でもできなかったことが、
同じ人が手がけた『9』だけちゃんとできてたら、
かえって『7』と『8』は手を抜いたのかよ
ってことになりはしないか?
『スカイウォーカーの夜明け』の本国アメリカでの興行は散々。
人選の采配ミスで、最高責任者のキャスリーン・ケネディをつるし上げたい世論には同意するが、
SW界の救世主、
ジョン・ファヴローが、かろうじて間に合い、
「マンダロリアン」のチャプターごとに、「へえ、こういう話なんだ」がつるべ打ちだと、
ファヴローこそは正真正銘の語り部で、
伝えたい物語を持ちあわせていたんだなと感心しきりなのである。
だからファヴローには何の文句もないけれど、
ホントはその職責に値しないのに、
政治的に図々しく居座っている連中にはヘキエキする。
この動画を見て、皆さんはどのような感想を抱かれますかね?
私の見解は、また後日のブログで!