作品に強いメッセージ性と芸術性
高畑勲さん死去:作品に強いメッセージ性と芸術性
宮崎駿とごっちゃにされるが、
昔はとにかく高畑氏が演出の師匠で、
企画や準備は共同作業にせよ、
宮崎氏はレイアウト等のアニメ作業の実働スタッフだった。
東映動画の出身で、
「狼少年ケン」(1964)
「もーれつア太郎」(1969〜70)
等のNET系列テレビアニメの演出。
1968/7/21
東映まんがパレード
- 太陽の王子 ホルスの大冒険(演出:高畑勲)
- ウルトラセブン(TV版#18「空間X脱出」ブローアップ版)
- 魔法使いサリー(TV版#77「小さな魔法使い」ブローアップ版)
- ゲゲゲの鬼太郎(TV版第1シリーズ#5・6「大海獣 前・後編」ブローアップ版)
旧ルパン(1971/10/24-1972/3/26)の、
大隅(おおすみ)正秋監督が降板(6話)後に、
7話(1971/12/5)からAプロダクションに交代したが、
と同時上映だった
『ドキュメント「ルパン三世」とその時代』の中で、
高畑勲が、
「はじめはどう取り組んだらいいものかと途方に暮れたが、
何話か手がけていくうちに、なるほど、こうやれば良いのかという、
コツみたいなものがつかめるようになっていった」
という主旨の発言をしている。
ズイヨー映像(のちに日本アニメーションに改組)に移籍し、
「アルプスの少女ハイジ」(1974/1/6〜12/29)
「母をたずねて三千里」(1976/1/4〜12/26)も同じ布陣で、
やがて宮崎氏が「未来少年コナン」(1978/4/4~10/31)で独立。
高畑氏単独の仕事では、
映画『じゃりン子チエ』1981/4(観ました)
『スター・ウォーズ』(日本公開1978)以後、
巨大メカの底部分をなめるように撮る場面がアニメ作品にも頻出。
高畑勲は、「赤毛のアン」のオープニングで、
馬車の馬の腹を延々と映すのはどうかと冗談めかしていた。
それをすっかり忘れた頃、
映画『じゃりン子チエ』のオープニングで、
巨大なゲタが、空をゴゴゴと、
スター・デストロイヤーのように悠然と進むのを見て、
「誰がわかるんだよ!」とビックラこいた。
テレビ「じゃりン子チエ」1981/10/3〜1983/3/25(ほぼ未見)
高畑自身、この作品を非常に気に入っており、別名を使ってコンテを切ったり演出をしている。
その時に使っていた別名は、本作で西川のりおが演じた竹本テツをもじった「武元哲」である。
——等が主な代表作で、
とにかく宮崎作品に比して地味きわまりなく、
そんなさりげなさや何気なさから、
じわじわと味がしみこむ、
いかにも和風の味付けだった。
そんな高畑作品の頂点は、
テレビ「赤毛のアン」(1979/1/7~12/30)に尽きると思う。
里親のマシュー(槐柳二 さいかち・りゅうじ)が、
臨終間際にアンに語った言葉を思い出すだけで涙が出る。
このエピソード放送直後は、
当時高3の自分には相当にショックで、
立ち直るには数週かかるかと感じたが、
今ここに書いたように、
なんとほぼ40年後の今でも癒えきっていないんだから、恐ろしい。
そんなテレビアニメ「赤毛のアン」には非のうちどころもないようながら、
実を言うと、高畑勲氏が純和風なため、
原作の良さが生かし切れていないところがあった。
次回の高畑作品が「赤毛のアン」と知って、
すでにアニメオタクだった高校生の自分が遅ればせながら読んだ原作で、
新潮社
売り上げランキング: 4,039
一番心に残っているのは、
壁に掛けられたキリストの絵から、
アンが様々に感情をふくらませるところだった。
当初は起伏に富むエピソードが少ないこともあり、
この回を楽しみにしていたが…
実際にみてみたら、
あっさりとセリフで片付けられていて、
そのやっつけ仕事ぶりにちょっとビックリ。
台なしやんけ!
キリスト教的宗教観や倫理観が身にしみていないか、
あるいは心理的反発があるんだろう。
とにかく、高畑勲はじっくり地味に、日常の何気ない一コマを積み重ねている。
一方で宮崎駿は派手な見せ場と明解な盛り上がりで、アニメ映画を確実に変えた。
このため、宮崎作品はヒットし、
高畑作品はあたらない。
高畑作品の知られざる名作として、
思い出される映画は、
『セロ弾きのゴーシュ』(1982)だろう。
高畑勲が監督しオープロダクションが5年の歳月をかけて完成させた自主制作作品。劇場公開は1982年1月23日であったが、同月発表された1981年度の大藤信郎賞にノミネートして受賞している。原画を才田俊次、美術を椋尾篁がほぼ一人で担当している。原作に登場する架空の楽曲「インドの虎狩り」「愉快な馬車屋」は間宮芳生が新たに作曲した。高畑勲は「私達にとって主観的には青春映画でもあります」と述べ、「自立に向かって苦闘している中高生や青年達にもぜひ観てもらいたい」とパンフレットに記している。
大井町の大井武蔵野館か、
(画像はこちらより拝借)
(画像はこちらより拝借)
もしくは三軒茶屋の三軒茶屋映画劇場?
(画像はこちらより拝借)
——あたりまでわざわざ行ってみたんだが、
冬なのに館の暖房が壊れてて、
冷房になっていてキツかった。
それもあってか、
『セロ弾きのゴーシュ』の中身は、
究極の地味路線徹底で、
ほとんど覚えていない。
別に駄作じゃないですよ。
これに加えて、
『ホーホケキョ となりの山田くん』(1999/7/17)とか、
なんでわざわざ作ったのか謎の作品もあるし、
くしくも2018/4/13に再び放送される、
『火垂るの墓』(1988)日テレ版も、
ラストの反映きわまる現在の神戸の夜景が、
あまりの衝撃に、もう完全なトラウマで、
二度と見るまいと心に誓った。
さすがに来週は観てみようかと思うが、
とにかく高畑作品は思い切り地味か、
『アン』や『火垂る』や『ゴーシュ』のように、全く予測不能な爆弾がしかけられていたりするので、
どうにも足が遠のき、
『パンダコパンダ』(1972)も
『パンダコパンダ 雨ふりサーカスの巻』(1973)も、
「おもひでぽろぽろ」(1991)も、
「平成狸合戦ぽんぽこ」(1994)も実は見たことがない。
2013年の『かぐや姫の物語』だけはさすがに見て、
これにはしかし、
いたって満足。
今回、あらためてその時のブログを読み返すと、
この後に書きそえようと思ってた、『龍の子太郎』(1979 監督は浦山 桐郎=うらやま きりお)
のことまで、
しっかり書いているではないか。
今回、
どの映画館だかアヤフヤなのも、
5年前には、
三軒茶屋東映(三軒茶屋シネマ 2014/7/20閉館)と
言い切ってるし。
やっぱアレだね、
同じ人物、同じ作品への評価や感想は、
そうそう変わらないし、
反対にコロコロ変わるようじゃ人にも信用されず、
なにより自分も信用できなくなってしまう。
高畑勲氏と言えば、
善悪を見抜き、
現政権を厳しく批判、糾弾してきた方だけに、
さすれば今回は、その点についても触れておくべきなのでしょうね。
氏のご遺志は、生きている誰もが受けつがなければならないものです。
あなたも、私も。