『猿の惑星:聖戦記(グレート・ウォー)』IMAX 3D
TOHOシネマズ新宿 2017/10/14
スクリーン10 G列ー15番
『猿の惑星: 創世記(ジェネシス)』(Rise of the Planet of the Apes 2011)
から6年。
『猿の惑星: 新世紀(ライジング)』(Dawn of the Planet of the Apes 2014)
から3年。
1作目の『猿の惑星』(1968)からは、
実に49年!
リブート三部作完結編の『グレート・ウォー』(War for the Planet of the Apes)が、
ようやく公開。
いやー、待ちに待ちました。
毎回エンディングで、
「これで終わり? 次があったらどうなるの(どうするの?)」
と途方に暮れて、
↑『猿の惑星』(1968)
↓『続・猿の惑星』(1970)
↓『新・猿の惑星』(1971)
↓『猿の惑星/征服』(1972)
※『征服』のエンディングには2種類あった。
劇場版は、ゴリラ軍がライフルを振り下ろし、
フジテレビ放送版では、リザの制止で下ろさなくなる。
↓『最後の猿の惑星』(1973)
↑『最後の〜』の始まりと終わり。
↓『PLANET OF THE APES/猿の惑星』(2001)
実は小説原作版のエンディングに一番近い。
↓『ジェネシス』(2011)
クレジット部分で、猿インフルの伝染が示された。
『ライジング』(2014)
原題の
「ライズ(勃興/蜂起)」が「ジェネシス」で、
「ドーン(曙=あけぼの)」が「ライジング」
というややこしさ。
しかし次回作を見終えると、
「なるほど、そうまとめるとはね」
と納得できる本筋の確かさは、
今回の『聖戦記』にも健在。
どのみち問題解決につながる新しい別要素が加わるしかないんで、
1作目で火星着陸後に消息を絶った、
テイラー船長以下のイカロス号クルーが地球に帰還し…
と言う展開かと思ったが、
さすがに唐突すぎる、それはなかった。
かわりに加わった新要素は、
口がきけず、病にかかっているらしい少女(アミア・ミラー ※ノヴァの命名は曰く付き)と、
絶妙に良い味出してる「バッド・エイプ」(スティーヴ・ザーン)。
一番スゴイのは、
チンパンジーのシーザー(アンディ・サーキス)が、
「どこにでもいるような一般のヒト」を越えたさらにその先で、
並みのヒトにはとうていこなせない難題に直面しながらも見事に克服し、
究極の理想の人間像さえも、
さしずめ圧政の元凶(左)に対するモーセ(中)がごとく、
掛け値なしに超えてしまうところ。
(以下ネタバレ=パープル斜体文字)
特に『聖戦記』では、
指導者や権力者が必ず直面する命題、
「思い通りにできるなら、あなたは、どういう社会を創りますか?」
に対して、誰もが真っ先に思い浮かぶ答、
「まずは自分、
次に家族や身内、
に始まり、
さらに並行して、
「過去の因習や私怨、私憤を晴らし、
利己的な(=自分にとって最も都合の良い)社会づくりを目指す」か、
あるいは全く逆に、
「積年の私怨をチャラにしてひたすら自己犠牲につとめ、
一人(ヒトかサルかを問わず)でも多くのために開かれた社会を選び取る」
かと言う「究極の選択」が描かれている。
現実には哀しいかな、
まさにシーザーが陥るトラップにハマリ、
私利私欲を追い求める者ばかりなのに…。
絶大な権力を誇り、神を超えたと驕(おご)り高ぶるオジマンディアス=ラメセス2世。
『十戒』(1956)
映画『猿の惑星』シリーズのキモは、
人間と猿の立場の逆転で、
4作目『征服』のラストでついにそれが具体化した時、
観客=人間は、自分の足下をすくわれる落胆と戦うところ。
つまりは、
「あ〜あ、ついに猿の惑星になっちゃったよ」
というガッカリ感との戦いである。
ところが『聖戦記』のラストは、
いよいよ「猿の惑星になる」んだけど、
なぜか観客の誰もが人間のくせに、
むしろ安堵の気持ちでその事実を受け入れ、
失望も落胆もしていない心理状態がオドロキ。
「私利私欲を捨て去った、
この人(サル)になら任せてもいいよ」
という信頼をシーザーは観客から勝ち取ったんだから、
そのこと一つをとっても、本作は大成功である。
とはいえ同時に、
あまりに監督(マット・リーヴス)が入れ込みすぎて、
やたらとテンポはゆったりだし、
ドラマ展開もしばらくは堂々巡りで、
同じセリフが何度もあり、
意図通りの真の感動までには、
イマイチ至らなかったのはたしか。
海岸の尾行がバレバレだったり、
IMAXの大画面だからか、尾行が近すぎるのが気になった。
話の組み立てにご都合主義な箇所も散見するが、
先述した「評価すべき点」をまるまる見過ごして、
「だから駄作」という低評価は、
いくらなんでも不当すぎやしないか。
そこつながりで、
これまた『ライジング』を連想したが
シーザーが人間にも克服しがたい葛藤を乗り越えたのに、
その葛藤をまったく理解していない点で、
完全に知性と感性がサルより劣ることに気づけない愚かさ、
さらにその愚かさを無自覚に触れ回り、
重ねて恥をさらしている点でも再び、
つくづくサルより劣る存在である。
簡単な入門書には、
「サルでもわかる」という題がつくのが当たり前だが、
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