タカラの暗躍(後編)/ガンダムの舞台裏2 | アディクトリポート

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この記事(タカラの暗躍(前編)/ガンダムの舞台裏1 )の後編。

「機動戦士ガンダム」
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1979年4月7日〜1980年1月26日
ごげん
は、当初から打倒「宇宙戦艦ヤマト」を目指した企画だった。

サンライズの山浦栄二は当時、『ヤマト』の制作会社であるオフィス・アカデミーからデータを入手。
『ヤマト』の関連事業は一部の熱狂的なファンを相手にした商売であることがわかり、「ハイターゲットに絞って、30万から40万の熱狂的なファンをつかめば、それで十分に商売になる」という結論を得た。
そこで本作は『ヤマト』と同じく中学生以上を取り込むことになった。

作品構成も『ヤマト』が意識されたが、そのままでは活劇的な展開になりにくいこととキャラクターの年齢が高いことが問題になり、『十五少年漂流記』から着想を得て、宇宙船に乗り込んだ少年少女が宇宙戦争の中で協力しながら生き延び成長するというストーリーが構想された。

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「十五少年漂流記」的な作品は、
東北新社のボツ企画「テラホークス」にさかのぼる。

たら

「テラホークス」の原点は、1977年に東北新社が「スペース1999」のあと行き詰まりを見せていたジェリー・アンダーソンに、本格SFアニメーションの共同製作を持ちかけたところに始まる。

「サンダーホークス」(THUNDERHAWKS)と仮題されたこの企画は、英国側のデザインなどに東北新社側が難色を示したことなどから、英国のプロットを残しつつ日本のスタッフによる製作で再出発することになった☆

数年後ジェリー・アンダーソンは、この日本のアニメ企画とは無関係に、テラホークスの題名をそのまま使い、新しいパートナーで出版会社出身のクリストファー・バーとともにプロダクションを起こして、クリストファーの発案で"THUNDERHAWKS"を人形劇として製作した。
それが「地球防衛軍テラホークス」(1983〜84)である。


☆「地球奪還指令テラホークス」と改題して監督に『勇者ライディーン』、『長浜ロマンロボシリーズ』の長浜忠夫、
デザインに『勇者ライディーン』、
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『超電磁ロボ コン・バトラーV』、
こんぶい
『無敵超人ザンボット3』
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の安彦良和、
ブレーンにSF作家の豊田有恒、石津嵐、脚本家の鈴木良武、田口成光などが加わって進行した。

しかし当時の日本は「スター・ウォーズ」を嚆矢とするSFブームの到来前であり、時代を先取りしたがゆえにセールスがうまくいかずに結果として流れてしまう。

なお安彦良和がデザインしたテラホークスのコスチュームのデザインは『機動戦士ガンダム』の地球連邦軍の制服に転用されている。


このように、「ガンダム」は当初から高年齢層を狙った企画だったにもかかわらず、
なぜスポンサーが、購買層の対象年齢が合わないクローバーのままだったのか。

サンライズの意向とは異なり、
創通エージェンシーは前作「ダイターン3」、
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前々作「ザンボット3」
3352
までのスポンサーであるクローバーに離れられては困るので、
同社には低年齢向けと説明していた。

1978年11月。当初の企画「フリーダムファイター」では、

『スター・ウォーズ 帝国の逆襲』の冒頭のクロール文字で、「フリーダムファイター(ズ)」=自由の戦士が登場するより、2年以上も早かった、

主人公たちは宇宙空母ペガサスに乗り、
↓宇宙空母ペガサスから、「白い木馬」ホワイトベースへのデザイン変遷。
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↑準決定稿となったホワイト・ベース(安彦良和1978年)


宇宙戦闘機で異星人と戦うという設定で、
ロボットを登場させる予定はなかったが、
クローバー社長の小松志千郎からロボットを出すように要請を受けた。

この時点での仮題は『ガンボーイ』(別題: 機動鋼人ガンボーイ、宇宙戦闘団ガンボーイ、フリーダムファイター ガンボーイ)だった。
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ガンボイ
gennchann
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これが「ガンダム」になった経緯は、
この記事(ガンダムの語源)と、本記事の前編で語ったとおり。

思えば、クローバーの、
創通側の「ザンボット、ダイターン3と同路線です」
という説明と食い違う新番組ではないかという疑念はこの頃から始まっており、
「ガンダム」放送開始から、
厳しいスポンサーの監視と、
過剰なまでの頻繁な口出しが続く事になる。

そしてこの時点でのスポンサーとは、
「ロボットを出せ」と漠然とした指示を出した
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クローバー(社長の小松氏)ではなく、
より具体的かつ詳細なことからも、
玩具の設計、製造の一切を請け負い、
ガンダムの命名者でもあった、
タカラであったろうことは、
想像に難くない。

大河原邦男が描く、「口がある」時代のガンダムのデザイン画は、
らふ2
アニメの設定資料としてではなく、
らふ1

玩具の原案として描かれたのではないか。
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この玩具用三面図の時点では、
いませ
ガンボーイ→カウボーイの連想からか、かかとに拍車がある。

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初回放送時の視聴率は名古屋地区で平均9.1%、関東地区で5.3%と振るわなかった。

Wikiには、
「視聴率低迷は関連商品の不振につながり」とあるが、
それはどうか?

番組の主たるターゲットの、中学生以上のファンが初回放送からついていても、
そのファンがとうてい買わないような、純然たる子供向け商品ばかりで、
売れ行き不振は当たり前。

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↑「こんな商品、誰が買うねん!」な、
機動戦士ガンダム コンビネーションジュニア


別項には、
スポンサー各社は、前2作『無敵超人ザンボット3』、『無敵鋼人ダイターン3』と同じく小学生以下向けの商品を展開したためミスマッチが起き、せっかくの中高生ファンを取り込むことができず関連商品は不振に陥った。
とあり、これが正しい事態把握に思われる。

つまり番組の内容や視聴率をやり玉に挙げるのは的外れだったが、
とにかくスポンサーは、「シャアという陰気なキャラクターがいけない」と指摘した。
もんか

そこでシャアを左遷すると、
sasemm
今度は「なんでシャアが出ないのだ」という抗議の手紙が殺到した。

こうした手紙は中高生のファンからであり、サンライズ側の当初の狙い通り、本作には中学生以上のファンがついていた。

名古屋テレビの関岡渉によると、シャアは左遷どころか殺す予定だったのを、スタッフを説得して取りやめになった
——とさえある。

かくしてシャアは、
大佐に昇格して復活。
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次のスポンサーからの指摘は、
「正義の側が、ガンダム、ガンキャノン、ガンタンク。
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悪の側がザクのバリエーションと、
登場メカが固定化されて、
視聴者の興味が沸かないのでは?
というもの。

そこで量産型の他に、
いわゆる「やられメカ」を毎回出すことになり、
試作機が投入されたという設定で グフやドムなどの新モビルスーツや、
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モビルアーマーが登場した。

かくして番組のフォーマットは、
毎週とはいわずとも、
常駐ヒーロー対新顔の敵という、
ウルトラマン的な図式に収まり、
関連児童書も、怪獣図鑑のノリだった。
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講談社 ポケット百科シリーズ⑮ ロボット大全集1
1981年刊。


しかしスポンサーとしては、敵メカの商品化を考えていたわけではない。

●ブルマァクのウルトラ怪獣ソフビは、
「エース」(1972)以降は怪獣を出さなくなり、主役ヒーローのみが製品化。
●ポピーの超合金やポピニカも、正義側のメカだけを商品化。
●創映社時代の「勇者ライディーン」(1975)の妖魔獣は未製品化。
●「コン・バトラーV」(1976)の、どれい獣も未製品化。
●「ボルテスV」(1977)の獣士も未製品化。
●「闘将ダイモス」(1978)の戦闘ロボも未製品化。
●サンライズ作品第1弾の「ザンボット3」(1977)のメカ・ブーストも未製品化。
●第2弾「ダイターン3」(1978)のメガノイドも未製品化。


商品点数を稼ぎやすい、
コスモスのガン消し、
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最終決定版 インチキ・ガチャガチャの真相 -コスモス、その愛-
ワッキー貝山 池田 浩明 奈良 和広
双葉社
売り上げランキング: 55,642

ツクダのメタル製品はあったが、
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ツクダホビー ガンダムメタルコレクション

両社とも番組のスポンサーではなく、
いわば便乗組だった。

1979年9月には、クローバー(タカラ)の要請でGアーマーが登場。
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同月にはGアーマーとガンダムをセットにした「ガンダムDX合体セット」が発売された。
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番組は小学校高学年でも難しい内容だった事に加えて、
前2作(『ザンボット』と『ダイターン』)は関東地方で午後6時台だった放送時間が5時台に変更された事などもあり、
全52話の予定が全43話に短縮され、
予定より2ヶ月早く放送を終了することに。

名古屋テレビの関岡の証言では、
局の立場としては番組を打ち切り対象にするほどではなかったが、
玩具業界のサイクルでは年末年始の次は3月の春休みに需要が見込めるため、
2月に新番組を投入すればちょうどその時期に玩具が売れて経営危機を乗り切れるのではないかと判断され、
乗り換え需要を喚起するために1月一杯で打ち切りが決定したと言う見方が有力である。

サンライズの飯塚正夫は
「オモチャが売れるクリスマスとお正月のお年玉のある1月まではなんとか放送してもらえることになった」
と述べている。

その年末商戦で「DX合体セット」が好調な売行きを示したため、
クローバーは慌てて延長をサンライズに打診したものの実現しなかった。
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実際に、『ガンダム』の放送期間である1979年度の間に、
クローバーの売上および利益はほぼ倍増していた。

番組は打ち切りが決まった直後から人気が上昇。
最終回でアムロは死ぬ予定だったが、
関岡が人気の盛り上がりから再放送や続編制作が期待できるため反対して取りやめになった。

さて、以上がスポンサーの口出しとして、
記録に残っている、ほぼ全て。
「タカラの暗躍」がお題の記事も、ここで一区切りだが、
実は「隠れ口出し」が、もう一つだけあったらしい。

それはザクレロである。
ざくれろ

デザイン原案は富野善幸(当時表記)とされている。

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ぶぶぶ
うしおr

登場回(32話「強行突破作戦」)の脚本を手がけた松崎健一は、
無理矢理この機体の活躍シーンを富野に書き加えられた怒りから、
のちに「どうしようもないオモチャ」と酷評している。


プラモの箱絵

2011年9月10日のこの記事について、
2年後の
2013年9月21日に、Cさんから、
以下のコメントをいただいた。

ザクレロのデザイン元(噂)

前提として、これは30年ほど前にアニメーターの方から聞いた伝聞で明確なソースはありません

「当時のテレビ局だかスポンサーだかお偉方のご子息が描かれた怪獣メカをガンダムに出してくれという無理難題があったという話」

まぁ、当時はこんな噂もあったよ って感じの書き込みです
ただ個人的には後に富野ラフからもザクレロの絵が出てこないのが妙に気になるところです

アニメーターさんですが、当時新人、最近はAGEのOPやメカをやってました。


なるほどー、
そういう裏事情があったとすれば、
当然それを知っている安彦良和氏が、
後年の『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』(2001〜2011)で、
やたらとザクレロ(のデザイン)を、
baku
vgftれ

頻繁に登場させた理由も読めてくる。

てをひろげ

ザクレロの元絵を描いた子どもも、今では40代のはず。

正直に名乗り出て欲しいものである。