ふだんはプロ野球などまったく見ませんが、
今日(11/3)の最終決戦だけは、さすがに見ましたよ。
昨晩深夜の番組予想では、ノムさんも槙原も、最終戦は巨人が勝つと予想。
最後にしめた田中将大もすごいけど、
前夜の負けから、この舞台を整え、
見事にドラマを締めくくった星野仙一監督も、つくづくすごい人だよ。
涙が止まりませんでした。
現在の日本にも、まだまだ真に偉大な人がいるものです。
*********************
では今日の本題。
だいぶ前に、「偶然の奇跡」というシリーズがありましたが、
(最新記事は2011年11月30日)ほぼ2年ぶりに復活です。
またまた住所の話。
プロフィールにもあるように、
私は大阪府羽曳野(はびきの)市生まれです。
2006年8月に解体された、藤井寺球場を見下ろす団地ずまいだったと聞いています。
というわけで、羽曳野市と藤井寺(ふじいでら)市の境界あたりが生地でしたが、
その西隣に松原市があります。
その後、転勤族だった父の都合で何カ所か転居して、
幼稚園入園前には、埼玉県草加市の松原団地に落ち着き、
小学4年まではD地区の住人でした。
小学5~6年(1972~74)は、福岡県南区長住(ながずみ)で過ごしました。
長住の南西には、桧原(ひばら)という地名があります。
松原と桧原は、字面(じづら)が良く似ています。
中一で草加の松原団地に戻って来ますが、
1975年、中2の秋頃には、駅の反対側、松江町のマンションに越しました。
これに伴い、住まいの
西側が松原になりました。
まだあります。
1992年から2002年まで、千葉県に住み、最寄り駅は津田沼(習志野市)でしたが、
住所区分は、船橋市前原東(以前の正式呼称は「まいはら」で、もはや誰もそう呼ばないこともあって、駅名とのかねあいからも、2003年より「まえばら」)。
実際は、いけだ病院のあたりで、つまりは(※さすがに若干こじつけめくが)習志野市から、南西に前原を臨む場所に住んでいた。
まつばらとまえばら。
そして今、不本意ながら、私は草加の松江に逆戻り。
徒歩で10分もかからない位置にある、
松原団地の最期(建て替え)を見届けようとしている。
というわけで、住む場所も、自分の意志ではない何ものかによって運命づけられているのではないかという気がしており、次にどこに住むべきかも(※次があればの話だが・笑)、それなりに目処はついているのであった。
あなたにも、ゆかりの土地がありますか?