内山まもるに影響を与えたアーティスト(2)/内山まもるのウルトラマン(66) | アディクトリポート

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今年最後は、昨日の続き。

内山まもると学年誌『小学2年生』とのつきあいの始まりは、
1970年の5月号から11月号の7回連載、
「こん虫ものがたり みなしごハッチ」の絵物語。
$オレたちがやる! 作家集団Addictoeデビュープロジェクト-hacchi
もちろん、当時所属していた竜の子プロダクションから回って来た仕事で、
同社の仕事では初の記名原稿だった。

その前は紅三四郎とハクション大魔王の「首から下(身体)」とかだった。

ではあるが、内山氏の作家デビューは、1968年に潮出版『希望の友』の「チェ・ゲバラ」。

内山まもるのファンなら、題名だけは昔からよく知りながら、
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-つくえ
『チェ 28歳の革命』(2008)
それがあの革命家だなどとはつゆ知らず、
いまだに誰も実物にお目にかかったことのない、幻の作品である。


(以下サイトインタビューより引用・青字部分)

編集部から「描かないか」と言われたんです。
ただタツノコに在籍していましたし、バイト禁止で迷っていたところ、親交のあった女性の「やるべきよ!」という一言に後押しされて、内緒でタツノコのメンバーに手伝ってもらいながら、32ページぐらいを5日間で描きあげました。
この仕事は半年ぐらい続いたと思います。


話を1970年に戻すと、「ハッチ」連載中に、

小学館(当時から猛者で知られた「小二」の井川浩編集長)から「怪獣が描けるか?」と言われたので、描いてみたら、学年誌で「ジャンボーグA(エース)」の連載が始まったんです。
$オレたちがやる! 作家集団Addictoeデビュープロジェクト-jannbo
僕としてはここからが漫画家としての始まりのような感じがしています。


その学年誌とは、「ハッチ」と同じ「小学2年生」
このため10月号と11月号は、内山氏は「ハッチ」と「ジャンボーグA」を併載。
かけ持ちは厳しいと言うことで、12月号からは「ハッチ」は別のマンガ家に交代。

「ハッチ」交代は、バイト禁止の竜の子の制裁措置ではなく、内山氏自身から申し出たようだ。

なぜなら「ジャンボーグA」の前身で、
$オレたちがやる! 作家集団Addictoeデビュープロジェクト-まもる
同じ円谷プロの企画だった「ジャンボーX
オレたちがやる! 作家集団Addictoeデビュープロジェクト-49
を担当した中城けんたろうも、創成期の竜の子に在籍していたりと、出版社側のオーダーは、線引きが曖昧できわめてアバウト。

竜の子だって、単発で終わりかねずに後続が未定の時点で、マンガ家を路頭に迷わせかねない処分はできなかったのだろう。



実際、「そのうちテレビになるから」と言われながら、「ジャンボーグA」は、すぐには番組にならず、
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-いりえ

同様の前科?は、「ミラーマン」でも起きていた
オレたちがやる! 作家集団Addictoeデビュープロジェクト-けんた

内山氏が竜の子を退社するのは、テレビ番組「帰ってきたウルトラマン」の「小二」でのコミカライズが決まってから。

特撮とアニメという棲み分けがあっても、子供向けテレビ番組製作のライバル会社の代表タイトルを手がけるとあっては、さすがに古巣に居座ってもいられないという判断だった。

絵で食っていくと決めて、後には引けない状況でもあり、気合いが入っていたという。

さて、ここでようやく、内山氏に影響を与えたアーティストの話だが、
※といいながら、また前置きが必要だが、
「小二」での帰ってきたウルトラマンの連載は、
(71年4月からの新番組で、翌年の3月末で終了し、後番組が「エース」だったのに)
5月号(4月1日発売)から始まって、
4月号(72年3月1日発売)で終了している。
オレたちがやる! 作家集団Addictoeデビュープロジェクト-tyt
↑「小二」72年3月号の告知。
$オレたちがやる! 作家集団Addictoeデビュープロジェクト-e-su
↑「小二」72年4月号の告知。ただし「6月号」は間違いで、正しくは「5月号」。


だからそれまで「小二」の読者は、4月号から「小三」に移ってしまい、
内山ウルトラマンの最後の一篇は、見逃していたことになる

とにかく内山氏の「帰ってきたウルトラマン」漫画初仕事は、4月号に間に合わず5月号だったが、
実質的なウルトラ関連初仕事は、4月号の見開き図解、
マットチームの海ていき地(マットチームの海底基地)だった。
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-かいてい

が、おそらくご本人も忘れておられた、4月号でのウルトラ関連仕事が一つある。
それがバッジで、
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-この4しゅ
MATマークをのぞいた、この4種。
小二おたのしみデパート 昭和46年4月号
[2]のくみ 帰ってきたウルトラマンバッジ


絵柄がまったく「内山まもる」してない事情はこちらで

で、今でこそ学年誌のウルトラ漫画といえば内山まもる、後年には各誌で争奪戦も繰り広げられたが、当初は単に前年の「ジャンボーグA」つながりで起用されただけで、将来を嘱望されていたわけではない。

小学館のマンガ版「帰ってきたウルトラマン」執筆者一覧
よいこ 1971年6月号 - 1972年3月号 馬場秀夫、1972年4月号 久松文雄
幼稚園 1971年5月号 - 1972年3月号 中城けんたろう、1972年4月号 久松文雄
小学一年生 1971年4月号 - 1972年3月号 中城けんたろう、1972年4月号 森義一
小学二年生 1971年5月号 - 1972年4月号 内山まもる
小学三年生 馬場秀夫、高須礼二、1972年4月号 林ひさお
小学四年生 平沢茂太郎、1972年4月号 斉藤ゆずる
小学五年生 1971年4月号 - 6月号 坂口尚、1971年7月号 - 1972年4月号 森藤よしひろ
小学六年生 1971年7月号 - 1972年4月号 森藤よしひろ
別冊少年サンデー 1971年5月号 - 1971年12月号 水穂輝
小学館BOOK 1971年4月号 - 1971年12月号 西田幸司、1972年1月号 - 1972年3月号 林ひさお


内山まもる本人が連載第1回で参考にしたのは、
ウルトラマンなら、
$オレたちがやる! 作家集団Addictoeデビュープロジェクト-sinnmann
アメコミで、絵のうまい作家の絵柄を選んで買ったと言うから、
「スーパーマン」ならニール・アダムス、
作家集団Addictoe オフィシャルブログ-あだむす
「スパイダーマン」なら、ジョン・ロミータあたりだろう。
作家集団Addictoe オフィシャルブログ-ろみ0た

そのため、1話のウルトラマンは、
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-7tousinn
約7頭身。

主人公の郷秀樹は、
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-ひでき
それなりに演者の団次郎(当時表記)に似せた、内山オリジナルキャラ。

これが2話から早速、ウルトラマンも、
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-6tousinn
↑どちらも約6頭身。
郷秀樹も、
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-koma
池上遼一の「スパイダーマン」の影響が、明らかに見て取れるようになる。

だがしかし、原稿執筆の時点でわざわざ元ネタを横に置いて、いわゆる模写をしたわけではなく、当時の「小二」の担当編集者が、「池上遼一キャラの、あの丸い目が魅力的だよねえ」ともらした助言めいた言葉に触発されて、

スパイダーマン (1) (MF文庫)/池上 遼一

¥650
Amazon.co.jp


内山氏も以前から池上氏の「スパイダーマン」や『怪奇大作戦』のコミカライズを読んでいた経験から、「丸い目は描きにくいなあ」と感じながらも、丸々のコピーにならないように気をつけながら、その作風を取り入れたのだと述懐している。

他のマンガ家の作風に影響を受けやすく、読んだすぐ後で描く絵は、ソックリに似てしまうので気を遣ったという述懐に、内山まもるの絵の実力の片鱗がかいまみえる。

内山氏はまた、作風に影響を与えたとは思わないが、マンガ家では
永島慎二氏の「フーテン」(1967-70)や、
フーテン (ちくま文庫)/永島 慎二

¥1,260
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ちばてつや氏の「ユキの太陽」「1・2・3と4・5・ロク」が好きだったので、
自分の漫画にも、
永島慎二風や、
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-huu
↑「帰ってきたウルトラマン」第7話
ちばてつや風の絵柄を、
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-kuro
↑「ウルトラマンT」第4話
時折まぎれこませたとのこと。

復刊ドットコムでの刊行は、これにて終了。
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-mamochann

残りの内山ウルトラ漫画のまとめと復刻は、小学館に委ねることになろうが、
最新・最終巻「レオ」を読んでの感想は、
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-580
「ホントに終わっちゃったよ!」
(=もう内山まもるの新作ウルトラ漫画は読めない)
ということだった。

この寂寥感は、ハンパでない。

というわけで、2011年、最後の記事におつきあいいただき、ありがとうございました。

来年は良い年といたしましょう。