兵士はカッコイイのか? | アディクトリポート

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宇宙戦艦が各部に分離して、救命艇の役目を果たすというプロットは、結局三部作の中間になり、一部はそこに至るまでの話ということになった。

で、第一部はどういう話かというと、兵士について。

SWの流行の移り変わりで一番驚かされたのは、ヒーローのコスプレよりも、悪役のコスプレの方が隆盛をきわめたこと。

↓501部隊のC2(セレブレーション2)での勇姿。2002年
オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-C2
↓こちらはC3。2005年。どちらもインディアナポリスにて。
オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-C3

もちろん、仮面に素顔を隠して別人格になりきれるのが、SWの場合はヒーロー側ではなく悪役の側だったと言う事情もあるんだろうし、ダース・ベイダーという、強烈な悪の存在感と魅力に充ち満ちたキャラのおかげでもあるんだろうけど。
↓ダース・ベイダーのオーセンティックなコスプレ。C4にて
オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-ベイダーコス

それにしたって、使い捨ての兵士に過ぎないストームトルーパー、仮面ライダーで言ったらタイツと覆面の戦闘員に過ぎない兵隊役になりきりたいって人が、これほどいるってことに驚くと共に、結局映画SWを通して伝えたいルーカスのメッセージって、ちゃんと伝わってないんじゃないかという気もしてた。

これはたとえば、旧三部作では本筋にほとんど関わって来ないサブキャラの、ボバ・フェット人気にも同じことが言える。
↓C4では、ボバ・フェットは圧搾空気で実際に空を飛んだ!
オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-飛行ボバ
オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-飛行ボバ2

ボバのファンは、それこそ反乱軍が勝とうが帝国軍が勝とうが、ルークやレイアやハンがどのような運命をたどろうがどうでもよくって、ひたすらボバの登場場面だけに目をこらし、やがて画面では語られぬボバのあれこれについて思いを巡らす日々を何年も何年も続けてきた。
これもまた本来のSWの主旨とは逸れるというか、作者の意図や思惑とは別の方向に流れが変わったと言う意味では、作劇としては大失敗だったんではないか。

別にこれは帝国軍に限ったことではなく、反乱軍のパイロットにだって言えることで、どうしてウェッジ・アンティリーズなんていう、これまた戦闘シーンにしか顔を出さない端役のパイロットに人気が出るのかが、よくわからなかった。
↓〈ヤヴィンの戦い〉〈ホスの戦い〉〈エンドアの戦い〉を勝ち抜いたウェッジ・アンティリーズ。
オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-ウエッジ3態

ヨーダも「戦争でえらくなるやつなどおらん」と『帝国の逆襲』で言っている。
それだけに、『エピ2・3』で自ら大立ち回りを演じた時に、どれだけガッカリしたことか……。
↓あの、おごそかだった賢人ヨーダが……(『帝国の逆襲』)
オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-帝国ヨーダ
↓あ~あ(『エピソード2 クローンの攻撃』)
オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-ヨーダドゥークー
↓おいおい!(『エピソード3 シスの復讐』)
オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-殺傷

とにかく、兵士はあこがれられたり、なってみたいと観客に思わせたら、戦争のむなしさを描く作品としては失敗じゃないんだろうか。
「あんな目にだけは遭いたくないね」って思わせなけりゃ、ダメなんじゃないの?

たとえば世はフィギュアが当たり前になったけど、「こんなものまで?」というギャグマンガのキャラまでくまなくフィギュア化されてはいても、誰も『ジョニーは戦場へ行った』の、あのキャラをフィギュアにしようとは思わないでしょ。不謹慎だから。

私が言いたいのは、つまりはそういうこと。
戦争を勇ましく描いたりしちゃイカンし、戦争から英雄をつくりあげてもいかんってこと。

これが1作目のテーマになった。