・足の長さの左右差は全く感じない


・傷口の周りの鈍さは若干ある
*鈍さの範囲は狭くなっている
*左側の側面?が結構感覚が鈍い事に気付いた


・1時間以上歩く事に支障はない
*坂道、山道なども足元に気をつけていたら全く問題なく登れるし歩けます。


・小走り出来る(相当緊急でない限りはしない)


・術足を下にして横向きに寝れる、この際クッションを足に挟むと楽。*クッションが無くても楽になってきた←前回までこう書いてましたが、あった方がやはり楽。


・あぐら、正座、開脚、背伸び問題なし
*高いところの物を少し背伸びして取ることも問題ないです


・しゃがむこと問題なし



・激しくぶつかったりとても付加が掛かるスポーツ以外は出来ます


傷口は前後前回と変わらないので載せません。

*傷口は8,5cm



























先月は産まれたときから一緒に暮らしていた
祖母が、祖父の所へ行ってしまった。

大往生だったし
老衰だったので

家族としては
最後は苦しむことなく良かった。

という思いもあるけど
やっぱり寂しいし
悲しい。。

でもお誕生日までは頑張ろう
と話してて、祖母も声にならない声で
うん。と言って
ちゃんとお誕生日を迎えてから
旅立って行った。

私の四人の祖父母は皆
旅立ってしまったけど

全員の最後には介護や
お世話、一緒にお出掛けなど
沢山の時間を一緒に過ごすことが
出来た。
孫の中で唯一私だけかな?

孫たちは皆県外にいるから
地元に帰ってきて良かったと
心から思う瞬間でもあった。

でもどんだけ後悔ないように
一緒の時間をすごしても

もっとこうすれば
もっと伝えたいことが、、

なんてのが溢れてくる。


でも大好きな四人の祖父母と
最後まで一緒にいれたことには 
こんな最高な時間を
神様ありがとうございます!!
って気持ちしかない。

だって他の孫や叔父叔母達だって
一緒に過ごしたかったはずだもんね。

家柄か分からないけど
祖父の葬儀のときも
祖父の思出話で笑いが耐えない
納棺、葬儀となり 
納棺師さん、葬儀屋さんに
こんなに心が暖かくなる
お見送りは初めてですほっこり

と言って頂けたんだけど

この度もやっぱり親族が集まると
思出話を語って笑いが耐えないキラキラ

しんみりより
賑やかに送り出すことができた爆笑

子供、孫、曾孫達も帰ってきて
家中が賑やかで祖母も嬉しかった
だろうなピンクハート


後は、祖母に約束したことを
きっちりやり遂げて
これからも
祖父母、ご先祖様方に感謝しながら
過ごしていこうとおもいます。











・足の長さの左右差は全く感じない


・傷口の周りの鈍さは若干ある
*鈍さの範囲は狭くなっている
*左側の側面?が結構感覚が鈍い事に気付いた


・1時間以上歩く事に支障はない


・小走り出来る(相当緊急でない限りはしない)


・術足を下にして横向きに寝れる、この際クッションを足に挟むと楽。*クッションが無くても楽になってきた←前回までこう書いてましたが、あった方がやはり楽。


・あぐら、正座、開脚、背伸び問題なし
*高いところの物を少し背伸びして取ることも問題ないです


・しゃがむこと問題なし



・激しくぶつかったりとても付加が掛かるスポーツ以外は出来ます


傷口は前回と変わらないので載せません。


*傷口は8,5cm


今年もあと2ヶ月で終わるのか~
あっという間だったなぁくまアイス

今年は自分にとって
目まぐるしく色々な
変化があった年だったな。
↑今年を振り替えるのが早い(笑)

なんだかんだですぐ
クリスマスが来て年末なんだろうな

今月は夫と今年の
旅納めに行くので
凄く楽しみ~照れキラキラ

ずっといってみたかった県に
行ってきます!!

寒暖差が激しい
季節の変わり目ですが 
しっかり体調管理していきましょー爆笑星














国の難病に指定されている
私の9歳からのお付き合いになる

再生不良性貧血

毎年医師の診断書と共に
更新をして特定医療費の
対象と認められ
認定証を貰っていました。

この度移植して9年になる年に
初めて認定が受けれませんでした。

数年前の法律改正により
難病指定枠がとても厳しくなり
多くの病気が難病指定から
外されました。

そして基準も以前の物とは
比べ物にならない位厳しくなりました。

現在私は軽症という医師からの
診断があります

軽症の人は
12ヶ月のうちに
3,3000円を越える月が3回無いと
更新出来ません。

前回と前々回も
もしかしたら受けられないかも、、
というお話はされていましたが
骨髄移植に付随してとみられる
病気の発症、受診、手術があったので
認定がおりたみたいです。

今は2、3ヶ月に一回の受診で
血液検査とたまに尿検査がある位で
薬も飲んでいないし治療もしてません。

なので3,3000円を越える月は
まず無いです。
これで難病指定から外れる程
元気になったんだ~おねがいキラキラ

と思う一方、軽症とはいえ
普通の生活を送れていない方も
沢山いるのも事実。。
仲の良い看護師さんからも話は
ききますが、やはり皆持病を
抱えての仕事探し
通院と持病を抱えながらの仕事は
すべての会社が理解があるわけでないから
なかなか大変だと。

体に合わせて時短で働くと生活が
厳しくなったり。
かといってフルタイムで働くと
体がついてこなかったり。

数値は軽症レベルでも
GVHDに悩まされていたり、、

何だか。。
軽症だからと言って
はいあなたは来月から受給者ではないです。
といわれても、皆が皆 
対応出来るわけではないし
この受給者証で生活に少しでも
負担が減るって人もいるし。
軽症の人の受診で
何かしら治療や薬があっても
3,3000円×3ヶ月分の月って
なかなか無いよねって話で
↑これは友人の看護士もいってました。

大なり小なりはあるとおもうけど

なんか、、
もっともっと改善する所って
沢山あるとおもうんだけどな~。

一生涯機械が手放せない病気
なども難病指定から外れたし・・・


まぁ決定する人は出された
書類上の事でしか判断が出来ない
から仕方がないっちゃ仕方がないのかも
しれないけど。 


自分への決定通知は納得いったけど

色々考えさせられる
通知でした。


















・足の長さの左右差は全く感じない


・傷口の周りの鈍さは若干ある
*鈍さの範囲は狭くなっている
*左側の側面?が結構感覚が鈍い事に気付いた


・1時間以上歩く事に支障はない


・小走り出来る(相当緊急でない限りはしない)


・術足を下にして横向きに寝れる、この際クッションを足に挟むと楽。*クッションが無くても楽になってきた←前回までこう書いてましたが、あった方がやはり楽。


・あぐら、正座、開脚、背伸び問題なし
*高いところの物を少し背伸びして取ることも問題ないです


・しゃがむこと問題なし



・激しくぶつかったりとても付加が掛かるスポーツ以外は出来ます


傷口です↓↓






























*傷口は8,5cm

撮る場所や明るさで写真写りが
違うけど、実物はこれより
もっと肌色で大分他の肌と
馴染んできてます。

そして結構凹んでいる真顔

まぁここまで傷口が戻って
来れたからこれ
以上は望まないかなウインク
あとは自然にお任せしよう照れパー





8月31日
今日で骨髄移植をして9年が経ちました。

毎年この日は特別な気持ちで
過ごす日。
どんな事があってもこの日を迎えれる
度に頑張ろうと思えるし
感謝の気持ちで胸がいっぱいになる。


骨髄移植でドナーさんを
待つ人が本当に多い中

私は幸いすぐにドナーさんが見つかり
骨髄移植を受けることが出来た

ドナーさん側は時間、身体的負担
経済的負担様々な事を犠牲にして
ドナーさんになって下さる。

ドナーさんの個人情報は
教えて貰えないけど
私とほぼ同じ体格の女性という事は
教えて貰えた。
155センチ程で決して大柄ではない
体でドナーを選択すること
身体的負担も相当な物だったと思う

本当は会って沢山の気持ちを伝えたい

未だに後悔しているのは
ドナーさんに手紙が書けなかった事

書けなかったというか
自分が全て一人で出来るようになったら
ドナーさんに今こんなに元気で
頑張っています!! と伝えたかった。
父には口酸っぱく手紙を書きなさいと
言われていたのに
頑なにその目標を目指してて
まだ頑張ってますなんて言える
レベルじゃない
まだまだもっと頑張ってからだ

なんてしてたらあっという間に
期限が過ぎてて・・・
主治医にもバンクに問い合わせ
して貰って今からでも渡して貰えないかと
聞いて貰ったが駄目だった。。

本当に本当に本当に
情けなかった。。。

だから伝える事の出来ないこの気持ちを
日々忘れずに毎朝ドナーさんに 
感謝の気持ちとドナーさんの健康と幸せを
お祈りしてる。
どうか届きますようにと願いながら。

ドナーさんがこのブログ見ても
分からないかもしれないけど
いつか、一目でもいいから
ドナーさんがこのブログを読んで
くれたら嬉しいなと思いながら
毎年この日は特別な気持ちを込めて
ブログを書く。

骨髄移植は私の人生において
すべての考え方が変わる出来事だったし
相当辛かったけど経験して良かった

経験してなかったら人生をもっと 
無駄に過ごして日々の幸せを
見過ごしてたと思う。

毎日「当たり前に朝目がさめる」

この「当たり前」が
どれほど素晴らしくて奇跡的な事なのか

小児科で同じ病室だった子は
大人になれなかった子も沢山いる

産まれてから1度も外に出たことが
無い子もいる
1度も学校に通った事が無い子もいる
そんな子達が歩めなかった未来を
明日からうにちゃんは歩んでいく
沢山頑張りなさい。
沢山幸せになりなさい。 

これは18歳の時最後の小児科での
治療をして退院するときに
看護師さんに涙をためながら言われた言葉。
今でも忘れない。

その子達が歩みたかった未来を
私たちは日々生かして頂いている

沢山の人の助けがあって今日も
生きている。

1日1日を大切に
感謝の気持ちと共に今日から
また一生懸命生きていきます。