陽転思考の達人 過去と現在の賢人たちに学ぶ実践的アクティブ・ブレインの生き方 -8ページ目

陽転思考の達人 過去と現在の賢人たちに学ぶ実践的アクティブ・ブレインの生き方

記憶術×陽転思考の<a href="http://www.oda-abs.com">アクティブ・ブレイン・セミナー</a>を受講した方限定のメルマガ「ウィークリーコンパス」の中から「陽転思考の達人」のみを抜粋し公開しています。

●偉大な成功者は偉大な失敗者でもあった

自らを最高の天才と誇った佐久間象山ですが、それでもいくつかの失敗や挫折を経験しています。吉田松陰の黒船密航に加担して投獄されたこともその一つでしょう。
自らが設計、製造した大砲をお披露目する試射の場で、狙いを外れた弾が幕府直轄の寺に飛び込んで行ったり、砲身が爆発してしまったりしたこともあります。

「象山は、松前藩から頼まれた大砲ができあがると、この試射を上総国(千葉県)姉ヶ崎で行なった。最初のうちはよかったが、最後に爆発が起こって砲身が破裂した。まわりにいた者が多数怪我をした」(『幕末の明星 佐久間象山』 童門冬二 著)

ところが象山は、失敗して落ち込むことなど全くありません。むしろ「もっと応援してほしい」と臆面もなくいってのけるのです。

「松前藩では、「大金を投じたのに、こんな始末では甚だ迷惑だ」と文句をいった。ところが象山は、ちっともへこまない。逆に、「古語に、三度肱(ひじ)を屈して名医になるという言葉があります。失敗は成功の基です。あなた方大名家も、日本国のためにもっと拙者に金をかけて下さい。天下広しといえども、今の西洋砲術については拙者の外には人がおりません。拙者も、失敗を重ねているうちにだんだん名人になると思います」といい返した。松前藩は呆れて何もいわなかった」(同)

プレゼン大失敗の直後、窮地に立たされた状況にあって、クライアントの前でこうした発言を堂々とできる人は、なかなかいないのではないでしょうか。
しかしながら本メルマガで取り上げた「陽転思考の達人」を見ると、吉田松陰、高杉晋作、本田宗一郎、Sジョブズ、孫正義など、それをやってのけてしまいそうな何人かの名が思い浮かびます。

こうした彼らの生涯を辿ると、偉大な成功者は、ある意味、偉大な失敗者でもあったということが分かります。
大切なことは、失敗をしないことではなく、失敗をどう受け止め、どのように前進するかだということを彼らは教えてくれています。
象山も次のようにいっています。

「たとえ失敗や挫折をしても、次の目標に向かってしっかりと歩んで行け。足は道を歩くのだから、自分の置かれた状況や足元がどうであるかはしっかりと見据えろ。そのとき、多少歩行を妨げるような小石が邪魔をしたとしても、そんなものは蹴飛ばして行け」(同)

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□『幕末の明星 佐久間象山』童門冬二著
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●仁なき勇は暴でしかない

幕末の天才・佐久間象山。藩主の側右筆を勤める父・国善(くによし)は、象山の能力を認めつつ、その足らないところを見抜いていました。
小説形式で象山の生涯を描いた「我ニ救国ノ策アリ 佐久間象山向天記(仁木英之 著)」には、次のような父子の会話が記されています。象山14歳、まだ啓之助と名乗っていた頃のことです。

「お前は己が正しければ、押し通すだけで世が変わるとでも思うているのか。狭い一分を通すことは、結局不忠にも不孝にも繋がる。聖賢の教えは忠孝をもって一としているが、もっと大切なことがあるはずだ」
「忠孝を凌ぐほどのことがあるのですか」
「仁だ。お前にはそれがない」
一学の言葉に啓之助ははっと平伏した。
「仁なき忠は己の思いを押しつけているだけに過ぎないし、仁なき孝は他を傷つける。何より仁なき勇は暴でしかない」(『我ニ救国ノ策アリ 佐久間象山向天記』(仁木英之 著)

波風が立つことを恐れずに徹底的に理を押し通すという象山の性格は、子供の頃からのものだったようです。
これまでも述べてきたように、信念を貫くことは夢を実現するためには重要なことではありますが、それが行き過ぎて独善的になると、大切な協力者をも失い孤立してしまう危険性もあります。

ひたすら理想を追い求めるか、現実を見て着実に行くか――各人の個性によってさまざまでしょう。しかし少なくとも理想に向かって進もうとしなければ、それに近づくことはできないということだけは、確かな事実です。

当事の人から見れば象山は、広大な視野をもつ偉大な知識人でありながら、逆に周囲とのバランスを考慮せずに自分の考えに固執するだけの視野の狭い偏屈者にも見えたかもしれません。
象山が黒船密航事件で獄に囚われていた時に書いた「省諐録(せいけんろく)」には、見えている世界の広さについて、次のような記述があります。

「二十歳になったときに、自分が一国(この場合の国は藩)に属していることを知った。三十歳になったときに天下(日本国)に属していることを知った。そして四十歳になったときに五世界(国際社会)に属していることを知った」(『幕末の明星 佐久間象山』 童門冬二 著)

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□『幕末の明星 佐久間象山』童門冬二著
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●自信と傲慢をどう折り合いをつけるか

儒学や詩歌から兵学、政治学、科学技術、兵器開発製造まで、多彩かつ非凡な才能の持ち主だった佐久間象山。
新しい時代の到来をいち早く察知し、それをやがて幕末の思想的支柱となる弟子たち(吉田松陰や勝海舟ら)に教え導いたことから、象山こそ明治維新の源流であったと考える人もいます。

しかし、その才能や業績の大きさに比べて、後世その名はあまり知られていないように感じられます。薩長や土佐を中心とした新政府によって語られる傾向にあった歴史の中では、54歳で暗殺されるまで幕府側であった象山は、あまり評価されることがなかったということもあるでしょう。
それに加えてもう一つ大きな要因として考えられるのは、大天才であったがゆえの傲慢な態度にあったかもしれません。

その能力の高さや広さがあまりにずば抜けていたがゆえに、自らを最高の天才として位置付けるなど、象山には傲岸不遜なところがありました。
常識や先入観に囚われずに天の理を最優先し、必要とあらば国法でさえも無視して、それを理路整然と正当化してしまうような大胆さ、強引さがありました。
それによって周囲との和を壊してしまうというリスクには全く無頓着でした。
人の言うことをよく聞いて謙虚に対話しようとした松蔭とは対照的です。

そうした独善的とも思える象山の方法や行動基準は、戦国の英雄・織田信長や、本メルマガでも取り上げたスティーブ・ジョブズにも通じるものがあります。
彼らのような生き方は、成功すれば偉大な業績につながりますが、その反面、多くの摩擦を生じさせ、さまざまな問題を引き起こす可能性も高くなります。
あるいはもし万が一自分が間違っていた場合、その路線を変更することができずに突っ走って被害を甚大にしてしまう危険性もあります。
じっさい象山の態度に反発して、袂を分かって行った弟子たちもいます。
戊辰戦争の時、長岡藩において武装中立を画策した河井継之助は、「佐久間先生はえらいことはえらいが、どうも腹に面白くないところがある」と言っています。勝海舟もまた、象山の能力を高く評価しつつも、次第に距離を置くようになっていきます。

しかし逆に、偉業を成し遂げた人、大きな夢を実現した人、そして「陽転思考の達人」と考えられる人はみな、自分の可能性、自分の能力を強く信じた人たちであることも確かなことです。
とはいえ大天才でない限りは、自分に自信を持ちつつも、謙虚さを保ち周囲との調和にも気を配ることが成功の秘訣であることはいうまでもありません。

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●リスクを恐れずに理を貫いた象山

先々回取り上げたように、象山と松蔭(寅次郎)の師弟は共に黒船密航の罪で捕えられています。松蔭の取調べに当たった役人は、次のように報告しています。

「密航を企て失敗した吉田寅次郎・金子重輔の両人は、非常に誠実で率直に罪を認めた。たとえ、国禁に触れたとはいえ、その国を思う心情は大いに評価すべきだ」(『幕末の明星 佐久間象山』 童門冬二 著)

松蔭の国を思う心、志を知る役人は、できるだけその罪を軽くしようと「たまたま波に流されて行ってしまったのではないか」というような話を持ちかけます。しかし松蔭は「国禁を破って密航」しようとしたことは間違いない。どんな罰も受ける」と答えたとされています。
それに対して象山の態度はまさに正反対でした。彼の主張は主に次のようなものでした。

「幕府の鎖国令はもはや死法である。そもそもアメリカの黒船はその国法を犯して江戸湾に侵入してきているのに罪に問えないでいる。さらには鎖国を解き下田を開港してしまっているではないか。その現実を棚上げにして、逆に憂国の志に燃える若き国士を罪に問うのは間違っている」――ようするに象山は、明らかに国禁を犯しながらも、その罪を問う役人に対して「日本の将来を考えれば自分たちの考えや行動は絶対に正しい。むしろ法のほうが間違っている」と反論したのです。

現実的に考えれば、判決を有利にするためにはもう少し役人の心証を良くしていたほうがよかったでしょう。しかし象山にとっては、その主張が通るかどうかよりも、理にかなっているかどうかが重要でした。
たしかに彼の指摘はもっともであり、論理的にも整合性があります。しかし世の中は理だけで動くとは限りません。じっさい、この一件で象山の評判は悪化することになります。

「門人の吉田寅次郎は素直で立派だった。あれこそ本当の国士だ。にも拘らず、吉田をそそのかした象山は師としての資格に欠ける。最後まで自己弁明を貫く卑怯者である」(同)

松蔭と象山、どちらも最後まで信念を貫こうとしたことに変わりはありません。
しかし松蔭には、最終的には従順に天命に従うという謙虚さがありました。ここで死ぬのならそれも天命、志はきっと誰かが引き継いでくれるという、長い目で見た人生感がありました。
一方、象山は、徹底的に理詰めで議論を挑み、相手を論破するまで闘おうとします。
志を共有し、お互いに尊敬し合った師弟ですが、こうした考え方は大きく違っていました。

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●自分の能力を信じ自信をもつ

黒船密航という国禁を犯した吉田寅次郎(松陰)と、師としてそれに加担した佐久間象山。
最悪、死罪まで覚悟せざるを得ない厳しい状況であったにもかかわらず、裁判の結果は師弟とも自宅蟄居という、驚くほど軽いものでした。

二人の志の高さ、象山の説く理と、松蔭の潔さ、さらには人材を惜しむ世論が多少なりとも影響したのでしょうか。罪を軽くしてほしいという嘆願が幕府側の要人からも寄せられています。

あるいは時代がまだ彼らを必要としたのかもしれません。
それ以降、松蔭は自宅蟄居という状況を逆利用して松下村塾を開講、多くの志士たちを啓蒙することになります。

象山もまた蟄居中の身でありながら、砲台の整備や海外視察の必要性を訴えるなど、藩や幕府に対してさまざまな政策や改革案を提出しています。
同時に、地震計や電池の開発など、科学技術の研究も行っているのが、多彩な天才・象山らしいところです。海軍で列強にかなわないのであれば、空軍の創設を視野に入れて、なんと空を飛ぶ実験もしていたといわれています。

陽転思考的観点から見た象山の最大の特長は、とにかく「自分の能力を信じる」「自分に自信をもつ」ということ、そして「限界を決めない」ということでしょう。
事実、象山の能力や先見性にはずば抜けたものがありました。
その自信に満ち堂々とした態度(じっさい背も高かった)は、あのペリーさえも圧倒したほどです。それは外交交渉のためペリー一行が二度目の来航で横浜に上陸した時のこと。象山は警護として直接ペリーに会っています。

「アメリカのペリー提督が、思わず立ち止まって、象山にお辞儀をしたのも、象山の威容に圧倒されたからにほかならない。そして象山はその時も、「メリケン(アメリカ)に負けてたまるか。おれは日本のナポレオンだ」という強い意識を持っていたのである」(『幕末の明星 佐久間象山』 童門冬二 著)

象山は、ペリーがお辞儀した唯一の日本人としてそのエピソードが語り伝えられています。
当事、象山はフランス革命後の混乱を収拾したナポレオンに強い関心をもっていました。フランス語を学ぶ弟子から「先生はナポレオンのようだ」と言われて以来、象山は自分を英雄ナポレオンに重ねて、「ナポレオンならどうするだろうか」と考えていた様子が伺えます。

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