日清食品を創業し、一代で世界企業へと発展させた安藤百福。もともと食品に関しては全くの門外漢でした。
最初に起こした事業は、日本からメリヤス製品を仕入れて台湾で販売する「東洋莫大小(メリヤス)」という会社。22歳の時のことです。
化学繊維の普及にあいまって事業は最初から大成功を収めます。
経営が軌道に乗ると、メリヤス以外にも事業を拡大。それにつれて学問の必要性も感じた安藤は、経営者として働きながら立命館大学(夜学)で経済を学んでいます。
1930年代後半、国家総動員法や生活必需物資統制令が施行されるようになると、順風満帆に進むかに見えた経営も次第に厳しくなっていきます。
しかしそんな時でも安藤は、燃料不足を補うための炭焼きの事業化から、軍需物資を製造する工場まで、多方面に起業家マインドを発揮します。
ところが、その軍需工場で資材を横流ししたという疑いをかけられ、憲兵隊に拘束されてしまいます。
身に覚えのない安藤はひたすら無実を訴えますが、まともに取り合ってもらうどころか、苛酷な拷問まで受けて自白を強要されます。挙句の果ては勝手に「私が犯人です」という自白調書まで作られ、判を押すように迫られます。
さらに大変だったのは、現在の留置場では考えられないほどひどい食事でした。
「出てくるものは、来る日も来る日もわずかな麦飯と漬物だけである。食器は汚れていて臭かった。とてもハシをつける気になれなかった。同房の人達は安藤の残した食事を奪い合った。あさましい姿だった」(『転んでもただでは起きるな!』安藤百福発明記念館 編)
ここでの経験が、安藤を食品事業に向かわせた原点になっているといえるかもしれません。
「しかし、しばらくして気持ちに変化が生じた。「しょせん人間は動物ではないか。飢えれば豚になる。それだけのことだ」極限状態の中で透明な感覚に襲われ、不意に『食』というものに突き当たった。「人間にとって食べ物ほど崇高なものはないな」という強い思いに打たれた」(同)
結局、共同経営者の犯行であることが判明し、安藤は解放されますが、腸閉塞などの後遺症に苦しめられます。また社会状況もアメリカとの戦争がより一層激化して、まだまだ暗雲が立ち込めていました。
しかしこの時安藤は、世界を変えることになる一つの希望の種を、その手につかんでいたのです。
┌──────────┤書籍のご紹介├┐
□『転んでもただでは起きるな!』 安藤百福著
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