陽転思考の達人 過去と現在の賢人たちに学ぶ実践的アクティブ・ブレインの生き方 -6ページ目

陽転思考の達人 過去と現在の賢人たちに学ぶ実践的アクティブ・ブレインの生き方

記憶術×陽転思考の<a href="http://www.oda-abs.com">アクティブ・ブレイン・セミナー</a>を受講した方限定のメルマガ「ウィークリーコンパス」の中から「陽転思考の達人」のみを抜粋し公開しています。

●転んだ時に見える景色

戦後の混乱期、安藤百福は、さまざまな事業を起こしつつ成功と失敗を繰り返してきました。
たとえ挫折した時でも、わずかに残った資産を元に、また新たな事業にチャレンジして復活を遂げてしまうというのが、彼のすごいところです。

しかし、理事長を務めた信用組合の破綻は、全財産を失うという大きなダメージを安藤にもたらしました。
そのとき安藤は既に47歳。今度こそ再起不能だろうと思う人も少なからずいたでしょう。

ところが、その絶望的な状況にあっても彼のチャレンジ精神は一向に衰えることはなかった。
むしろそのどん底の時こそ、やがて世界中の食生活を大きく変革することになるインスタントラーメン誕生の土壌となったのです。

「安藤は過ぎたことをいつまでも悔やまない。「失ったのは財産だけではないか。その分だけ経験が血や肉となって身についた」。そう考えると、また新たな勇気が湧いてきた」(『転んでもただでは起きるな!』安藤百福発明記念館 編)

何かを失ったとき、「失ったという経験」だけは得られます。
仮に、すべてを失ってしまったとしても、「すべてを失う」という、ある意味とても得がたい貴重な経験が残ります。

まさしく「転んでもただでは起きるな。そこらへんの土でもつかんで来い」という言葉通り、安藤は「転んだ時に見える景色」に意味を見い出し、そこから何かをつかんで這い上がろうとしたのです。

かつて憲兵隊に拘束された時、過酷な留置場で食べ物を奪い合う囚人たちを見て感じた「食」の大切さ。
戦後、どん底の食糧難の時に、屋台のラーメンで見た幸せのイメージ。

全財産を失って多くの人が離れて行くというどん底の状態で、安藤の頭の中で、かつての記憶がつながったのかもしれません。

この時から安藤は、たった一人で、お湯さえあれば家庭ですぐに食べられるラーメンの開発に着手します。

┌──────────┤書籍のご紹介├┐
□『転んでもただでは起きるな!』 安藤百福著
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●大成功の前の大試練

GHQ占領下の日本。
アメリカから大量に輸入される小麦粉を使ったパン食が普及し始める頃、安藤百福は、同じ小麦粉を使うなら日本人には麺類のほうがあっていると考え、ラーメンの研究を始めようと思い立ちます。

しかしその矢先、若者たちを集めて始めた製塩事業に関連して、安藤はGHQ(連合国軍総司令部)から脱税疑惑をかけられ、巣鴨プリズンに収容されてしまいます。
若者たちに小遣いのように渡していたお金が給与であると判断され、その分の源泉徴収がされていないということでした。

安藤は、弁護士を立てて闘いますが、アメリカと日本の税金に対する考え方の違い等もあり、収容所生活は2年もの間続くことになります。
当時巣鴨プリズンには、後に総理大臣となる岸信介ら戦犯として告発された人も一緒に収監されていました。

2年後、安藤は無事に社会復帰を果たしますが、その間、製塩所や自宅は立ち退き処分となり、交通技術専門学校も閉校となっていました。

それでもめげずに、魚介類の加工や販売等を手がけていた(株)中交総社をサンシー殖産(株)」に名称変更して、事業を継続します。
(このサンシー殖産が、やがて日清食品へと引き継がれていくことになります。)

とはいえ、そこでもまた大きな試練が待ち受けていました。

事業家としては大阪界隈ではそれなりに名が通っていた安藤は、新しく設立された信用組合の理事長になってほしいと頼まれます。
金融業の経験がなかった安藤は、いったんはその申し出を断りますが、とにかく「名前だけでも」と何度も懇願されるうちに、断り切れずに引き受けてしまいます。

結果的にこの信用組合は数年で倒産、理事長として社会的責任を問われた安藤は、またしてもその財産のすべてを失ってしまうのです。残ったのは、借家だけでした。

戦中から戦後にかけて2度にわたる獄中生活と財産喪失。普通なら、そこで人生を諦めてしまいそうな状況の中、安藤はむしろ、そこでいよいよ本腰を入れてラーメン作りに打ち込むようになるのです。

┌──────────┤書籍のご紹介├┐
□『転んでもただでは起きるな!』 安藤百福著
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●「食によって日本を復興させる」という志

安藤百福は、終戦直後の混乱の中、矢継ぎ早にさまざまな事業を展開、次々と軌道に乗せていきます。
そしていよいよ「日本の復興は食から」という志を実現するために「国民栄養科学研究所」を設立、本格的に食品事業に乗り出します。昭和23年、安藤38歳の時のことでした。

「街ではまだ、栄養失調で行き倒れになる人が後を絶たなかった。スイトンや雑炊が食べられればいい方だった。人々はイモのツルまで食べて飢えをしのいでいた」
(『転んでもただでは起きるな!』安藤百福発明記念館 編)

配給される食糧では十分な栄養が得られずに、闇市が繁盛していました。
職業上の倫理観から、闇市経由の食糧調達を拒否し続けた東京地裁の判事が、栄養失調で死亡したという痛ましいニュースもありました。

何とか日本人の栄養不足を補おうと、安藤はパンに塗って食べるタイプの栄養食品の開発に没頭します。
近所で捕まえた食用ガエルまで、使えるかどうか試しています。
その実験の最中、圧力釜が爆発して天井やふすまなどを台無しにしたこともありました。

数々の失敗を繰り返しながらも、なんとか牛や豚の骨から抽出したタンパク質を元にした栄養食品が完成し、ようやく発売へと漕ぎ着けます。

当時、占領下にあった日本では、アメリカの余剰小麦が大量に輸入されていたため、パン食が奨励されていました。

そこで安藤は、さらに次の段階へと進むために、同じ小麦粉を使うなら日本人にはパンよりもめん類のほうがあっていると考えました。
そのとき安藤の脳裏には、屋台の周りで暖かなラーメンを食べる幸せそうな人々の姿が浮かんでいたのかもしれません。

厚生省に掛け合いますが取り合ってもらえず、自分で設立した国民栄養科学研究所の研究者からも「ラーメンみたいなものは研究に値しない」と一蹴されてしまいます。

結果的に、安藤は自分自身で一からインスタントラーメンの開発に取り組み、大成功を収めることになるのですが、その前に、また大きな試練がやってきます。
詳しくは次回に。

┌──────────┤書籍のご紹介├┐
□『転んでもただでは起きるな!』 安藤百福著
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●「暖かさ」や「幸せ」のイメージ

戦中戦後の悲惨な食糧事情を目の当たりにした安藤百福は、食品事業を起こして日本人を元気にしたいという志を胸に抱きます。

「寒い冬の夜だった。偶然そこを通りかかると、20~30メートルの長い行列ができている。一軒の屋台があって薄明かりの中に暖かい湯気が上がっていた。ラーメンの屋台だった。粗末な衣服に身を包んだ人々が、寒さに震えながら順番が来るのを待っていた。一杯のラーメンがこんなに人々の気持ちを引き付けている。暖かいラーメンをすすっている人の顔は、幸せそうな表情に包まれている」(『転んでもただでは起きるな!』安藤百福発明記念館 編)

ラーメンを事業の柱にしようという考えが具体化するのは、これからまだ10年以上も後のことですが、この時、安藤の脳裏には「暖かさ」や「幸せ」のイメージが強烈に焼きついたに違いありません。
生きることに直結する食の大切さを知るにつけ、「衣食住ではなく食衣住である」という言葉が安藤の心の中で膨らんでいくようになります。

とはいえ食品に関して安藤は全くの素人。知識も経験も具体的なアイディアもありません。
そのうえそれまで起こした事業も戦災によってすべて灰になってしまっていました。
普通の人なら、諦めてしまうところですが、しかし安藤には、何よりも世の為、人の為になることをやれば必ず道は開けるという持ち前の陽転思考がありました。

当時、街は職も希望も失って途方にくれる人が溢れ、若者でさえ何もすることがなく、ただブラブラしているような状態でした。
「この人たちを使って何かできないか」――安藤は、疎開中に見た赤穂の塩田を思い出し、彼らを集めて塩作りを始めます。

もちろん、塩作りに関しても、経験も知識もありません。それでも一から研究して、何とか皆にお金を配れるようにまでに育て上げることができました。
次に安藤は漁船を買ってイワシ漁を始め干物作りを始めます。
さらには、若者に自動車整備や鉄道関連の技術を教える専門学校まで設立しています。

すべて終戦の混乱から、わずか2年の間に安藤が成したことです。
この時はまだ何か大きなことを成すというより、とにかく目の前の人を助けなければ、というのが動機になっていました。しかしあとで振り返ってみれば、その意識の底流には、やはり日本全体を元気にしたいという高い志があったことが分かります。

┌──────────┤書籍のご紹介├┐
□『転んでもただでは起きるな!』 安藤百福著
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●「衣食住」ではなく「食衣住」である

太平洋戦争が始まり、世情が何かと険悪になってきた頃、安藤百福は軍事物資横流しの嫌疑をかけられ、苛酷な留置場生活を余儀なくされました。

腐りかけたわずかな食料を奪い合う囚人たちの姿を見て、安藤は、生きるということの根底に食があるということを体感します。

「「私は一度豚になった。そこからはい上がってきたとき、食をつかんでいた」。
安藤は転んでもただでは起きない。やがて即席めんという新しい食品の発想につながる痛切な思いを、この時深く心に刻んだのである」
(『転んでもただでは起きるな!』安藤百福発明記念館 編)

まさに悲惨な牢獄こそ、やがて世界を席巻することになるインスタントラーメンやカップヌードルのスタート地点だったのです。

終戦直後、日本の大都市の多くが焦土と化す中、大阪を中心とした安藤の事業拠点も、すべて灰になってしまいました。

「これからどうしたらいいのか」――さすがの安藤も途方にくれかかりますが、しかし、そのどん底から、彼はまた一つの希望の種を探し出します。

「終戦から1年余りたっても、街には腹をすかせた子供達や、やせ細り、うつろな目をした飢餓状態の人があふれていた。道端にじっとうずくまっているのは、いま亡くなったばかりの餓死者だった。
「やはり食が大事だ」と思った。「衣食住というが、食がなければ衣も住も芸術も文化もあったものではない」戦後の復興にまず何をすればよいか。結論は明らかだった。
安藤は36歳になっていたが、この時、すべての仕事をなげうって「食」に転向する決意を固めた」(同)

「人間に必要なものは、衣食住ではなく、食衣住である」(『安藤百福かく語りき』安藤百福 著)

その時つかんだ希望の種は、10年余りの後、芽を出し、太い幹となり、世界中に根を張って数々の花を咲かせることになります。

「転んでもただでは起きるな。そこらへんの土でもつかんで来い」という安藤のトレードマークともいえる有名な言葉は、こうした実体験から生み出されたものなのです。

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