陽転思考の達人 過去と現在の賢人たちに学ぶ実践的アクティブ・ブレインの生き方

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記憶術×陽転思考の<a href="http://www.oda-abs.com">アクティブ・ブレイン・セミナー</a>を受講した方限定のメルマガ「ウィークリーコンパス」の中から「陽転思考の達人」のみを抜粋し公開しています。

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●向上心が高く勤勉なローワー・ミドル階級

イギリス史上初の女性首相となったマーガレット・サッチャーは、1925年に食糧雑貨商を営む家に生まれました。
父親は後に市長に選ばれたこともありましたが、サッチャーが生まれた頃は決して裕福というわけではなく、中流の下の方(ローワー・ミドル)でした。

ここで、イギリス特有の階級社会について少し述べておきましょう。
イギリス社会は、上流、中流、労働者階級と、その出生や仕事内容によって大きく3つの階級に分かれています。

イギリスの上流階級は、日本語からイメージされるよりもずっと上に属する人たちです。そのほとんどが貴族で、その他は大資本家や地方の大地主など、「生計のために働かなくてもいいような人」
「自分の財産の管理が主な仕事になっている人」たちです。
国家への貢献が認められ、一代限りの貴族の称号が与えられている人もいます。(ちなみにサッチャーもその「一代貴族」の一人です)。
上流階級は、イギリスの人口の0.2パーセント程度に過ぎません。

中流階級は、さらにアッパー・ミドル(中流の上)、ミドル・ミドル(中流の中)、ローワー・ミドル(中流の下)と3つに分けられます。
アッパー・ミドルは、銀行の経営者や幹部、高級官僚などで、ミドル・ミドルは、会計士や設計士、弁護士、医師など高度な専門技術を有する人など。
そしてローワー・ミドルは、小企業経営者や下級管理職などの人たちであるとされています。
中流階級は、収入や仕事内容によって上下に変動する階級ともいえるかもしれません。

サッチャーの思想や生き方には、ローワー・ミドルの家に生まれたことが強く影響していると考えられています。
ほぼ出生によってその位置が決まる上流(貴族)階級に比べ、中流階級は、本人の努力次第で、より上に行くことができる位置です。
とくに、サッチャーの生家が属したローワー・ミドルは、怠ければ労働者階級に落ちてしまいかねない反面、逆にがんばればローワーからミドルへと上っていくこともできます。
そのため、向上心が高く勤勉な人が多いと言われていました。

「イギリスのローワー・ミドルは昔の日本の商店や職人のように律儀である。またマナーがよく、子供の躾も厳しく、イギリスの階級の中で一番清潔である。
クーパーによれば、アッパー・ミドルの女性は便所に入っても人が見ていなければ手を洗わないで出るが、ローワー・ミドルの女性は必ず石鹸で手を洗うとも書いている。一番きちんとした階級なのである。」
(『歴史の鉄則』渡部昇一 著)

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●「サッチャノミクス」ではなく「サッチャリズム」

2013年4月8日、「妥協しらずの“鉄の女”が死去」というニュースが報じられました。
1979年から1990年まで、3期にわたってイギリスを率いたマーガレット・サッチャー元イギリス首相の訃報です。87歳でした。
エリザベス女王はじめイギリス国内はもちろん、安倍首相やオバマ大統領など、世界中からお悔やみと共に、偉大な業績を讃えるメッセージが贈られました。

その反面、自由競争を促進し、国営事業の民営化や、緊縮財政などを強行に進めた政策で苦しみを味わった人たちからは、痛烈な批判が浴びせられたことも事実です。
曰く、「サッチャーによって地獄が民営化されようとしている」「サッチャーが地獄に落ちて、わずか20分で地獄のかまどが3つ廃炉になった」などなど…。

サッチャーの政策は「サッチャリズム」と呼ばれていました。彼女と同時期にアメリカを率いた盟友・レーガン元大統領の経済政策は「レーガノミックス」と呼ばれました。
ちょうどいま日本でも、安倍政権が推し進める「アベノミクス」の成否が注目されています。
サッチャーの政策も、その中核は経済政策であったにもかかわらず「サッチャノミクス」ではなく「サッチャリズム」と称されたのには、どんな理由があったのでしょう。

「レーガノミックスにはサッチャリズムのような革命、世直しといった発想は乏しく、経済政策のワクを大きく超える広がりを欠いていた。従って「イズム」にはなりえなかったということなのだろう。
逆にサッチャリズムは経済政策の背後にある意識改革、世直しに力点が置かれており、「(エコ)ノミックス」だけではなく、それをも含む「イズム」のほうがふさわしいということになるのではないだろうか。」
(『サッチャリズム』三橋規宏 著)

サッチャリズムは、単に経済政策であるというだけでなく、「人間のあり方」「生き方そのもの」の提案だったともいえるでしょう。
そしてもう一つ、陽転思考的観点から見落としてならないのが、「信念を貫くこと」「逆境に負けず自分を信じて前進する」という、
夢や志に向かう強い姿勢が「サッチャリズム」という言葉には、内包されているということです。

サッチャーは、反対意見や幾多の困難に屈することなく、自分の信念を「鉄の意志」で貫き通そうとしました。まさに「鉄の女」と称されるゆえんです。
その結果、冒頭にも述べたように「敵」も多く作ることになりましたが、偉大な政治家として、その名を歴史に残すことにもなりました。

次回からは、サッチャーの偉業と、それを可能にした陽転思考について詳しく掘り下げていきます。

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『サッチャリズム』三橋規宏著
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●江戸の戦火を阻止した勝と西郷の歴史的会談

1868年10月23日、「慶応」は「明治」へと改められました。元号はその年の初めに遡って適用されるため、慶応4年という呼称はなくなり、1月1日から明治元年となります。
実質的にはまだ慶応4年だった1968年の春。鳥羽伏見の戦いに勝利した官軍は、西郷隆盛を司令官に征東軍を編成し、江戸城に向かって進軍します。

先回述べたように当時幕府の最高幹部だった勝海舟は、江戸城が火の海になることを阻止しようと実に大胆な策を講じます。
まずは、万が一戦争になれば、幕府軍は命がけで戦う用意があるということ、そしてもう一つは、江戸の庶民を逃がした後で、街中に火をかけるという焦土作戦です。
もし戦えば、甚大な被害を及ぼすことになる、という決死の作戦でした。
それは単なる言葉だけの脅しやハッタリではありません。勝は、かねてから付き合いのあった江戸の庶民たちに協力を仰ぎ、人々の避難と焦土作戦を具体的に準備していたのです。

「江戸開城の時に、彼が頼りにしたのは、武士ではなかった。町人達である。つまり、庶民である。
それも、新門辰五郎や、清水次郎長などのやくざ、あるいは、吉原華街の経営者、芸者、料理屋のおかみ、踊りの師匠、消防を担当していた町火消などを動員し、
江戸市中の沈静に当たった。いざという時に備えて、房総方面から数百隻の船を用意し、官軍が江戸に攻め込んだ時は、江戸市民をこれらの船で逃がす用意をしていた。
市民を逃がした後、魚市場の連中に頼んで、江戸を焼き払うつもりでいた。焦土作戦を敢行して官軍を迎えようとしたのである。これだけ決意をして、官軍の代表西郷吉之助と談判したのだ。
(『勝海舟の人生訓』童門冬二 著)

当時のことを振り返って、勝は次のように述懐しています。

「江戸の明け渡しの時は、スッカリ準備がしてあったのサ。イヤだと言やあ、仕方がない。あっちが無辜の民を殺す前に、コチラから焼打のつもりサ。
(中略)治まってから西郷と話して、“あの時は、ひどい目にあわせてやろうと思っていた”と言ったら、西郷め、“アハハ、その手は食わんつもりでした”と言ったよ」
ーーー戦まじえる準備、やったらどうなるかわからないぞという裏づけがあったのだ。西郷に対した海舟の眼光、一挙手一投足、一語一語にはすさまじい迫力があったろう。(『勝海舟 強い生き方』窪島一系 著)

こうした決死の覚悟と、そして幕府や藩よりも国を思う公的視野は、敵将・西郷の心を動かし、江戸城無血開城という偉業が成功したのでした。
旧知の間である西郷が相手なら、その志が通じるはずだという信頼も勝にはあったでしょう。
奇しくも、この二人の会談が、薩長連合から倒幕への足掛かりを作り、そしてまた、その幕を閉じるきっかけとなったのでした。

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『勝海舟の人生訓』童門冬二著
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●戦う力をもちつつ戦わない強さ

慶応3年(1867)10月、将軍・徳川慶喜は京都・二条城に諸藩を集め、大政奉還を決議します。勝海舟45歳の時のことでした。
翌月には、門弟であった坂本龍馬が暗殺されてしまいます。
さらに翌年には、大政奉還後も権力を保とうとする幕府と、薩長を中心とする討幕派連合軍(官軍)が、京都南部の鳥羽伏見で激突します。
明治が幕を開ける前夜。勝個人にとっても、そして日本歴史においても、まさに激動の時代でした。

鳥羽伏見の戦い(戊辰戦争)に敗北した幕府は江戸に引き上げ、将軍慶喜も恭順の姿勢を示して、徳川幕府の温存を図ります。
それでも官軍は、強大な兵力をもつ徳川幕府をせん滅しようと、江戸城に迫ります。
当時、海軍奉行並や陸軍総裁を兼任するなど、実質上、幕府の最高幹部となっていた勝は、江戸での戦闘を阻止しようと奔走します。

「海舟の努力は続く。まず、こちらからは絶対に戦争をしないという体制をつくらなければ、彼の議論は成立しない。徳川から「私」の巣窟を一掃しなければならないのだ。
それは、この場合主戦論を断乎排斥して徹底的な恭順論を貫く以外にない。それも、勝利の見込みをもちながら恭順することが、その「公」を光彩陸離たるものにするに違いない」
(『維新前夜の群像3 勝海舟』松浦玲 著)

単に恭順するだけであれば、勢いづく主戦論を抑えることさえできれば、それほど難しいことではないでしょう。
しかし勝が考えたのは、「もし戦えば相手にも相当な被害が出る」という状況を作り上げたうえで、和平に持ち込もうという作戦でした。
そして軍事責任者として、実際にどのように戦うかという計画まで立案しています。

いざという時には戦う余力がある、場合によっては勝てる、という力を示すことで戦争を抑止するという考えは、現代日本の専守防衛という考え方にも通じる先駆的なものだったといえるでしょう。

「この、必勝を未前に察して、しかも戦わないのが、海舟の「公」なのである。(中略)こちらが「公」を貫けば、先方もまた「公」でもって応ぜざるをえまいというのだ」(同)

勝の「公」とは、単に幕府の生き残りのためではなく、とにかく日本そして日本人を守るために考え、行動するというところにありました。勝はその信念を生涯貫いています。

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『勝海舟の人生訓』童門冬二著
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●勝海舟の視野の広さに敬服した西郷隆盛

幕末、勝海舟と西郷隆盛は二回ほど会って会談しています。その二回とも、幕末史の流れを大きく変えてしまう重要なきっかけとなりました。
初めての出会いは、先回述べたように、禁門の変(蛤御門の変)の敗北や、四国(英・仏・蘭・米)連合艦隊による攻撃などで、
倒幕派の急先鋒だった長州の力が低下し、その一方で幕府が息を吹き返していた頃のことでした。

「元治元年、西郷と海舟は大阪で初めて対面したが、西郷はたちまち海舟の大きさ深さに心酔してしまう。この時、海舟は西郷にこう言っている。
「幕府には人材がおらずもうダメであるから、幕府など相手にするな。それより、賢明な諸侯が四、五人集まって話し合い、外国軍艦を破る兵力を備えて長崎・横浜を開港したらよい。
そうすれば屈辱的でなく外交交渉もできる。これを実行するため雄藩が出京してくるなら、それまでは自分の力で外国人を引きとめておいてみせる」
ーーさすがの西郷も驚いたのである。」(『勝海舟 強い生き方』窪島一系 著)

幕府による長州征伐軍の有力藩であった薩摩の西郷に対して、勝はむしろ幕府の限界を説いたのです。西郷にとってそれは、全く予想外のことだったでしょう。
幕臣という立場を越えて、日本全体を思う勝の視野の広さ、高さに驚き感服した西郷は、薩摩にいる大久保利通への手紙に「ひどくほれ申候」と書き送っています。
実際、勝との初会見の後、西郷はその政策を大きく方向転換しています。

「西郷は海舟を通じて横井小楠の「共和政治」を理解した。しかも、同時に、それに触発されて、割拠論の方も明確に位置づけている。共和政治が雄藩主連合であるのに対して、割拠の方は武力倒幕論である。
(中略)ともかく、この海舟との会見を機として、西郷は、長州を決定的にいためつける方針を改め、その息の根を止めてしまわないように上手にたちまわりはじめる。
いずれ幕府を倒さなければならないとすれば、長州は最大の盟友となるのだ。」(『維新前夜の群像3 勝海舟』松浦玲 著)

敵対関係にあった薩摩と長州が手を組むことになった薩長連合は、坂本龍馬の功績が大きかったと評価されていますが、
その根底には、この時の勝の考えが西郷の心を動かしたことも強く影響していたのではないでしょうか。
そもそも龍馬もまた勝の弟子として、その影響を強く受けて行動していたということを考え合わせると、あの時代、勝の果たした役割は、きわめて大きかったということが分かってきます。
さらには、その倒幕への流れの最終段階、勝は江戸城に迫る官軍の司令官であった西郷との単独会談に臨み、無血開城を成功させることで、自らが開いたドラマを見事に締め括っています。
それが幕末の二人の二回目の出会いでした。

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『勝海舟の人生訓』童門冬二著
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