陽転思考の達人 過去と現在の賢人たちに学ぶ実践的アクティブ・ブレインの生き方 -5ページ目

陽転思考の達人 過去と現在の賢人たちに学ぶ実践的アクティブ・ブレインの生き方

記憶術×陽転思考の<a href="http://www.oda-abs.com">アクティブ・ブレイン・セミナー</a>を受講した方限定のメルマガ「ウィークリーコンパス」の中から「陽転思考の達人」のみを抜粋し公開しています。

●ラーメンを売るのではなく食文化を売る

安藤百福は、アメリカでのチキンラーメン試食の時に閃いたアイディアを、帰国後すぐに形にするべく自ら先頭に立って開発を進めます。

カップブードルの開発は、まず容器を作ることから始まりました。
輸送や保管時には、中身を保護することのできる丈夫さが要求されます。
そのうえで、手に持って食べられるようにするためには、軽くて断熱性も高くなければなりません。
さらに、食べ終わったらそのまま捨てられるように安価である必要もあります。

「カップは即席めんの包装材料である。ところが、お湯を注いで蒸らす時は調理器具となる。フォークで食べるとき、それは食器になる。一つで三役をこなすような容器が、かつて市場に出たことがあっただろうか」(『転んでもただでは起きるな!』安藤百福発明記念館 編)

安藤が描いたカップヌードルのイメージは、単なる「新しい食品」ではありませんでした。それは保管、調理方法から、食べ方、後片付けまで、何もかも斬新な食文化そのものの提案でもありました。

「ラーメンを売るな。食文化を売れ」(『安藤百福かく語りき』安藤百福 著)

いろいろな可能性を試した結果、容器は発泡スチロールを使うということに決まりました。現在では当たり前のように使われていますが、当時は魚屋の店頭で見かけるような大型の箱ぐらいしか使いみちがない素材でした。

容器が決まった後も、完成に至るまでにはいくつもの難しい問題を解決する必要がありました。
しかし、アメリカでの試食販売の時、安藤の脳裏に強烈に焼きついた「新しい食べ方のイメージ」は、最後まで彼を妥協させずにゴールまで導き続けることになります。
そのあたりのエピソードは、書籍や関連WEBサイト等にたくさん掲載されているので、ぜひご一読いただければと思います。

開発開始からおよそ2年後の1971年5月、世界で初めてのカップヌードルが1個100円で発売されました。同じ年の7月、銀座にマクドナルドの一号店がオープンしています。
東西のファストフードが同じ時期にスタートしたというのも、不思議な巡り合わせを感じさせられます。

┌──────────┤書籍のご紹介├┐
□『転んでもただでは起きるな!』 安藤百福著
└──────────────────┘

無料マンガダウンロード
●データよりも自分の感性・力を信じる

チキンラーメンの大ヒットから8年。56歳になった安藤百福は、即席麺事業の海外展開のために、欧米視察へと旅立ちます。

戦後の荒廃の中、全財産を失い、まさにどん底状況で立ち上げた日清食品(当時はサンシー殖産)も、日本を代表する食品メーカーへと成長していました。

事前の市場調査では「アメリカ人は動物性タンパク質を好むから、でんぷん主体の麺類に成長性はない」というレポート結果が提出されていました。

しかし、安藤は市場調査の結果よりも、自分の目で見て、肌で感じることのほうを重視して経営判断を行なってきました。
欧米視察も「とにかく実際に見てみなければ分からない」ということだったのでしょう。

ちなみにアップル創業者のスティーブ・ジョブズも、同じようにデータよりも自分の直感や感性を重視する経営スタイルをとっていました。
こうした方法は、うまく行けばスピーディに方向性が決まり時代を先駆ける大ヒット商品を生み出すことも可能ですが、データを重視するやり方に比べて、失敗するリスクも格段に高くなります。

経営スタイルの是非は別として、少なくともこの時の安藤の直感重視、現場主義は、世界的大ヒット商品を生み出すための重要なアイディアを彼にもたらすことになります。
それはロサンゼルスのスーパーでのチキンラーメン試食会の時のことでした。

「何人かのバイヤーに試食を頼んだら、彼らは首をかしげて困っている。めんを入れるどんぶりがない。そこで持ち出したのがコーラを飲むための紙コップだった。チキンラーメンを2つに割って紙コップに入れ、お湯を注いでフォークで食べ始めた。食べ終わったコップは、ぽいとごみ箱に捨てた。目からうろこが落ちるとはこういうことか。安藤はその時初めて、欧米人はハシとどんぶりでは食事をしないという当たり前のことに気が付いた」(『転んでもただでは起きるな!』安藤百福発明記念館 編)

「使い捨ての紙コップに麺を入れて、お湯を注いでフォークで食べる」――まさにカップヌードルの原型がそこにありました。

その時、安藤の脳裏には、世界中の人が世界中のいろいろな場所で「カップ麺をフォークで食べている姿」が鮮烈にイメージされたのかもしれません。
さっそく日本に帰って、安藤自らが陣頭指揮をとって新商品の開発に着手します。

┌──────────┤書籍のご紹介├┐
□『転んでもただでは起きるな!』 安藤百福著
└──────────────────┘

無料マンガダウンロード
●大成功の後の再チャレンジ

安藤百福が開発したチキンラーメンは、食品業界に革命をもたらしました。
2年後には森永製菓がインスタントコーヒーを発売し、全国的にインスタント食品ブームが訪れます。

いま世界中で愛されている日本食の中で、寿司をもしのぐほどの人気を誇っているラーメン。
かつては「中華そば」という呼称が一般的でしたが、チキンラーメン発売以降は、「ラーメン」という言葉のほうが広く行き渡るようになります。

チキンラーメンは飛ぶように売れていきますが、同時に類似品もたくさん出回るようになりました。
なかには粗悪品も多く、「チキンラーメンを食べて食中毒になった」というような情報も飛び交いました。
よく調べてみると、パッケージは同じでも中身は偽物でした。

また、インスタントラーメンは体に悪いというイメージが広がったり、手抜き料理だと批判されたりしました。
そうした批判に安藤は、「インスタントラーメンは食べるのは即席だが、作る時は大変な手間をかけている。決して手抜きなどしていない」と反論しています。

偽造事件や品質問題をきっかけにして、安藤は、日清食品の全製品に製造年月日の表示を入れるように指示します。

メーカーとしては消費者に対して不利な情報を提供することになるため、業界内では疎ましく思われる傾向にありました。
現在では、それが当たり前のようになっていることですが、この時の安藤の決断がきっかけとなって始まったものです。

こうした問題を一つ一つクリアしながら、日清食品は一躍、大企業へと変貌を遂げていきます。
しかしチキンラーメンは、まだその序章に過ぎませんでした。

日清食品を真の意味で世界企業へと押し上げることになった革命的な商品・カップヌードルは、チキンラーメン発売から8年後、50歳も後半に差し掛かった安藤の頭の中で着想されたのです。
安藤のチャレンジは、大成功の後でも止まることなく続きます。

┌──────────┤書籍のご紹介├┐
□『転んでもただでは起きるな!』 安藤百福著
└──────────────────┘

無料マンガダウンロード
●人生に遅すぎるということはない

信用組合の倒産により47歳で無一文になった安藤百福は、それから約1年間、たった1人で1日も休まず研究を続け、ついにチキンラーメンの開発に成功します。

「「遅い出発ですね」とよく言われるが、いつも「人生に遅すぎるということはない。50歳でも60歳からでも新しい出発はある」と答えた」(『転んでもただでは起きるな!』安藤百福発明記念館 編)

よく「何かを始めるのに遅すぎることはない」ということがいわれます。
その言葉を実践して、成功を収めた遅咲きの人もたくさんいるでしょう。

しかし50歳を間近にして、しかも協力者も資金もない中で、世界中の人々の食文化やライフスタイルまで変えることになる商品を作り上げた安藤は、まさに特筆すべき1人でしょう。

「振り返ると、私の人生は波乱の連続だった。両親の顔も知らず、独立独歩で生きてきた。数々の事業に手を染めたが、まさに七転び八起き、浮き沈みの激しい人生だった。成功の喜びに浸るまもなく、何度も失意の底に突き落とされた。しかし、そうした苦しい経験が、いざというときに常識を超える力を発揮させてくれた。即席めんの発明にたどりつくには、やはり48年間の人生が必要だった」(同)

最初の商品は、当時まだ小学生だった息子(宏基・後の日清食品社長)まで動員して、家族総出で作り上げました。

また商品ができたばかりでまだ売れるかどうかも分かっていない頃から、貿易会社の知人を通じてアメリカにサンプルを送るなど、安藤は初めから世界展開を意識していました。
すぐに反応があったため輸出用に500ケースほど準備、英文の説明書をホチキスで袋に止めるのは子供たちの仕事でした。

そんな状況の中、「食べ物には国境がないから、これは世界的な食品になっていく」――安藤には、そんな予感がありました。無一文になってから、まだ一年余りしか経っていない頃のことです。

チキンラーメンは、当初、休眠状態だったサンシー殖産を使って製造販売していましたが、数ヵ月後には、その名を日清食品と改めます。
そこには「日々清らかに豊かな味を作りたい」という安藤の願いが込められていました。

┌──────────┤書籍のご紹介├┐
□『転んでもただでは起きるな!』 安藤百福著
└──────────────────┘

無料マンガダウンロード
●「絶望的」に見えても決して「絶望」ではない

無一文になっても、安藤百福は「食によって日本を復活させる」という志を捨てることはありませんでした。

「部下もいなかれば、カネもない。一人で取り組むしかなかった。昔なじみの大工さんに頼んで、庭の離れに10平方メートルほどの小屋を作ってもらい、そこで研究に没頭した」
「まったくの手探り状態で研究を始めた。天井からぶらさがった40ワットの裸電球の下で、チラシの裏に思いついたことをメモしては壁に貼った」(『転んでもただでは起きるな!』安藤百福発明記念館 編)

これが、後に日清食品を世界的な大企業へと飛躍させることになるチキンラーメンの開発の始まりです。
もちろん、すぐに素晴らしいアイディアが浮かんで商品が出来上がったわけではありません。
数多くの失敗を繰り返し、さまざまな紆余曲折を経て、1年後にようやく世界初のインスタントラーメンが完成します。

このあたりのエピソードは、関連書籍で詳しく紹介されています。興味のある方はぜひご一読されることをお勧めします。

「「チキンラーメンを発明した瞬間はどんな気持ちでしたか」と質問されると、安藤はいつもこう答えた。「これという決定的な場面は思い浮かばない。失敗を繰り返しながら、しかし、少しずつ前進していることは分かっていた。その先のわずかな光を頼りに、進み続けるしかなかった」と」(同)

わずかな光・わずかな希望しかない時、それを「もうほとんど望みはない」と思うか、「まだ希望は残されている」と思うかは、人それぞれでしょう。

陽転思考に生きる人は、たとえ希望がなくなったように見えても、まだ自分が生きている、というそれだけで、絶望ではないと考えます。
たとえ人やお金が離れていっても、自分の脳力はまだ何も失われていない。どんなに「絶望的」に見えたとしても、決して「絶望」ではないと、考えます。

そして実際、自分が自分を見捨てない限り、決して絶望ではないのだということを、安藤の人生は、教えてくれています。

┌──────────┤書籍のご紹介├┐
□『転んでもただでは起きるな!』 安藤百福著
└──────────────────┘

無料マンガダウンロード