幕末の激動の時代、英雄的な働きをした高杉晋作ですが、多くの偉人たちがそうであったように、彼の人生も悩みと挫折の連続でした。
「文久の政変(1863年8月)」によって御所を追われた長州藩は、京都に攻め上り失地回復しようとする「進発派」の過激な動きを抑え込むため、晋作に説得工作の命を出します。
晋作は進発派の気持ちを理解しつつも懸命に説得を試みますが、思うようにはいかず、別ルートを模索して独自行動をしているうちに藩命放棄(脱藩)の濡れ衣を着せられてしまいます。
与えらえた使命を遂行しようと奔走したあげく萩に戻った晋作を待ち受けていたのは、地位も石高も、さらには藩主より賜った衣類まで没収され投獄されるという屈辱的ものでした。
刑期はとくに定められていなかったため、あるいはそのまま獄中で朽ち果てるかもしれないという不安があったでしょう。
獄中で綴った「投獄文記」に、晋作はその時の悲痛な心境を吐露しています。
「僕は獄に下った当初、これまでのことを後悔し、将来を案じ、茫然として黙座し、反省して心を責めた。しかしよくよく思うと僕はすでに獄に下り、いつ死ぬかも分からぬ身なのだ。
なんで反省して、心を責めねばならぬのだ。ただ枯れ木や灰のように死を待つのみであると考えるようになった」(『高杉晋作の「革命日記」』現代語訳 一坂太郎著)
しかし、その文章のすぐ後には、失望から希望への転換のようすが続いています。
「ところがある日、みずから悟るところがあった。朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり。これぞ聖賢の道だ」
歴史が大きく揺れ動くなか、囚われの身という状況は何も変わらないのに、それでも心の持ち方一つで絶望を希望に換えて、ひたすら書物を読み、勉強を続けていたのです。
そして、いずれ疑いは晴れると信じて希望をもつようになっていきます。
「士が讒言により汚名を蒙る。それは、月明かりが浮雲に覆われたようなものだ。浮雲が去った後、明月は人の心を照らしてくれる」
「身は捕えられ、檻に入れられた鳥獣のようだ。しかし心は水のように悠々と流れている」(同)
歴史に記される輝かしい功績以上に、晋作の真の素晴らしさは、絶望を希望に変える力、内面の勝利にこそあるのかもしれません。
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□書籍のご紹介
『高杉晋作の「革命日記」』
一坂太郎著
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