幕末の激動の中、高杉晋作はわずか27年という生涯の中で数々の偉業を成し遂げました。
その中でも最も広く知れ渡っているのは奇兵隊の創設でしょう。
奇兵隊は、藩士中心の正規軍とは別の兵隊という位置付けであり、志さえあれば、身分を問わずに誰でも入隊することができました。
「戦を行うのは武士」と、誰もがそう思い込んでいた時代、晋作は古い考えにとらわれることなく「出自」よりも「志」のあるなしに重きをおいたのです。
そうした常識を越えた斬新な発想は、何よりも志を立てることを重視した師・吉田松陰の教えも強く影響していたはずです。
ただ、奇兵隊創設は、武士階級からすれば、自らの職域が侵されることでもあります。
とくに、長州藩の名家に生まれたことを誇りに思っていた晋作においては、ある意味、自己否定的なプロジェクトでもあったでしょう。
しかし、倒幕や攘夷に向けて、兵の数が足りないことは大きな問題でした。そのうえ戦のない天下泰平の世が長く続いたせいで、多くの武士が堕落してしまっているということも、晋作は肌で感じていました。
残された日記を見る限り、意外なことに晋作は封建的な秩序や価値観を無視していたわけではありません。
奇兵隊には、農民や町人などさまざまな人が参加していましたが、それぞれの袖印は階級ごとに区別されていました。
晋作自身、藩主に対する忠誠心は、相当強いものがありました。同時に、藩の要職にあった父親への孝心も人並み以上でした。
松陰の革命的な思想に惹かれつつも、保守的な父親の意向も無視できず、その間に挟まれて深く悩んでいたことが日記の随所に記されています。
尊王、攘夷、倒幕、佐幕、開国…晋作の生きた時代には、それぞれ重なりつつも対立し合うような概念が乱立していました。
攘夷を主張する人は開国に反対という立場をとりやすい反面、晋作を始め、諸外国の強さを肌で感じていた人は、現実的に考えて攘夷が不可能であるということもわかっていました。
伝統を保守しつつ、新しい時代にいかに対応するか――晋作も、そして同時代を生きた志士たちも、深く悩んだことでしょう。
幕末は、まさに歴史の交差点のような時代ですが、それを一人の人に象徴させるとするならば、高杉晋作こそ、その人であるといえるかもしれません。
そうした悩みや矛盾を抱えながらも、晋作が大きく一歩踏み出して時代を進めることができたのは、松陰の遺志を引き継いでいるという自負と、高い志ゆえであると考えられます。
┌────────────┤おすすめ├┐
□書籍のご紹介
『高杉晋作の「革命日記」』
一坂太郎著
└──────────────────┘
